毒殺王妃のため息 4
「結局、リーゼ様が心配した通りになってしまいましたわね」
エルマの声で、思考が引き戻された。本当に、どうしてこうなってしまったのか……。いいえ、イザベラとイギーのせいなのは分かっているけれど。……私はこんな結末は望んではいなかった。
「そうね。……あの子たちなら、大丈夫なんじゃないかと、思っていたのだけれど」
「『大丈夫』ですか?どうしてそうお考えになったか分かりませんけれど、クライオス王家の一族は呪われているって聞きましたもの。初代国王、オーガストの母親だったか、妻だったかが、今際の際に呪をかけたって……」
「よく知っていること。いったいどこでそんな話を聞いて来たのかしら?」
私の問いかけにエルマは顎に手を当て考え出した。どこで聞いたのか、思い出そうとしているのだろう。彼女が思い出すまで待つことにする。手持ち無沙汰なので、紅茶を口に含んだ。
今私を振ったらちゃぷちゃぷと音がするかもしれない。
クライオスの王族の血は呪われているという話は、まことしやかに囁かれている。とはいえ、表立って口に出せば差し障りがある話題なので、口にするものは少ない。大国であるクライオス王家の国王夫妻が不仲だというのは、内政面でも外交面でも、不利にしかならない。
何百年か前に、時の王が――この王も伴侶に愛されていなかったそうなので、八つ当たりだったのかもしれない――その話が書かれている書物を――王家が管理しているものを除き――全て焼き、新たに文字に残すことを禁じた。その上で噂をする者全員に罰を与えた。更に、密告制まで採用し、貴賎を問わず、その話をする人間を徹底的に処罰した。
その成果か、『クライオス王家の人間が呪われている』という不確定な噂は残ったが、詳細を知る者は王族と限られた人間以外はいないはずだ。それなのに、なぜエルマが詳細を知っているのだろうか。それが気になって仕方がない。
正確に言うとクライオス王族の血ではなく、『国王』が呪われている。この話の詳細は王家にだけひっそりと伝えられている。私は城の禁書庫の奥、唯一残された王国史で読んだから詳細を知っているが、誰にも――一番信頼する侍女のエルマにも話していない。
王家以外に、この秘密を知っている者は王国の歴史を編集しているテンペス一族だろう。けれど、彼らは秘密主義で――王国の歴史は闇が深い。誰かれかまわず語っていれば、今頃公爵家の数は四つではなく、三つになっていただろう――寡黙だ。彼らから漏れたとは到底思えない。
四公爵家の中で唯一、機能しているテンペス一族は神秘の塊だ。他の一族が失くしてしまった能力を未だに保持し、伝え続けている。いや、本当の意味で失われているのは、クラン公爵家のみで、ルーク家やダフナ家は失われてしまったと言うと語弊が生じるかもしれない。
ともあれ、テンペス家は特別な家で、その能力を守るためにも、余計なことをするはずがない。
いったいどこの誰が、何の目的で広めているのだろうか……。
王国史は、テンペス家の手によって編纂され、一年に一度、昨年の物を春の終わりに国王に献上される。中身は主要な都市の一年間の天気、気温、台風や竜巻などの災害、おもな農作物の取れ高、税金額と多岐に渡る。他にも、王家や他貴族の間に起こった事件も事細かに記載される。恐らく、今年の王国史には『ジェイドの婚約破棄』や『王妃の密輸疑惑』、『クラン公爵家の不祥事』などが書かれるだろうから、例年よりも分厚くなるに違いない。
その、王国史の中の『王家の記載』が問題なのだ。テンペス家は権力や金銭に靡かず、ただ事実のみを記載する。その内容が気に食わないと時の王に殺された人間もいるという。それでも、彼らは『テンペス家が与えられた役割は記録なのだ』と、姿勢を変えなかった。不思議なことにテンペス家の人間を殺した王は、不審死を遂げるため、テンペス公爵家の血が絶えることはなかったが、それでも、王家に殺された人間は少なくない。それなのに、今なお、職務を投げ出さない姿は立派だと思う反面、狂気的だとも思う。
彼らが紡いだ王国史も、たいへん有用ではあるが、同様にとんでもない爆弾でもある。
クライオス王家は歪で、闇深い。
初代クライオス国王、オーガストは神の転生体だ。王国神話によると、彼は人として生まれた。ある時、魔獣に襲われ、怪我をした彼は手当のために水を汲むべく、泉に手を浸した。その際に、自分が神であることを知った。オーガストはすぐ近くの野原で力を磨き、妖精が住まう森で魔獣や魔族たちを屠る魔法を練った。
準備を整えたオーガストは人々を苦しめる魔獣や魔族たちを一網打尽にした。その火力は凄まじく、大地は抉れ、森は焼かれ、川も蒸発した。それどころか、海も干上がったせいで、王家直轄領とクラン公爵領にそれぞれ港がひとつずつあるだけで、他の領は海がないのだという。大地や海、空まで焼いた炎は七日七晩燃え続け、この大陸は焦土と化した。焦土と化した土地を娘のヤヨイが癒すまで、オーガストは唯一、焼けずにすんだ安息の大樹の側で率いてきた人間たちと過ごした。その時にオーガストは一人の女性と結婚した。彼女が、後の王妃のハヅキだ。当然のことだが、彼女は当初、何の能力も持たなかったという。その上、際立った美しさを持つオーガストとは違い、目立ったところのない、凡庸な容姿の娘だったそうだ。
神たるオーガストがなぜ、どこにでもいるような、普通の娘と結婚したのかは分からない。彼女の性格や能力、容姿などの詳細は伝わっていない。なぜなら、彼女を溺愛するオーガストが、誰にも見せないように、すぐに彼女を監禁したからだ。それ以来、彼女は表に出てくることはほぼなかったという。
ただ、神の妻になったからか、力に目覚めたという伝承もある。力に目覚めたハヅキはとんでもない力を振るい、様々な人を救ったともいう。
この辺りは神話に過ぎず、後になってからまとめたものなので矛盾が残る話が多い。
オーガストはハヅキとの間に六人の子供を作った。そのうちの四人が公爵家の始祖になり、うち一人がハーヴェー教の教主となった。オーガストはともかく王妃を愛していた。子供たちですら、王妃に近づけないほどだった。その愛情が重かったのか、子供たちと引き離されたのが嫌だったのか、いつからかは分からないが、王妃は次第に王を憎むようになったのだという。
神の転生体たるオーガストは長寿だったが、普通の人間である王妃はオーガストを残して亡くなった。その際に、彼女は言葉を残したという。その話を誰が伝えたかは不明だ。臨終の席だから、さすがに子供たちが臨席したのかもしれないし、嘘かもしれない。
『愛しくて、愛しくて仕方のない……けれど、それ以上に憎いあなた。人の心が分からないあなたは、この先もずっと誰からも愛されない。いいえ、あなただけではない。あなたの血を引く子供、選り分け、国を統べる子供たちは、あなたと同じ。自分の気持ちばかり。絶対に誰からも……伴侶からも愛されない。愛されるはずがないわ。私があなたを憎んでいるように、あなたたちの伴侶も絶対にあなたたちを憎む。永遠に愛されない、地獄の中で苦しみながら生きると良いわ』
人と神は感性が違ったのだろうか。それとも、王妃は元々、オーガストを愛していなかったのか、王妃の恨みは凄まじかったようだ。ただの人が神を呪うことができたのか、疑問が残るところだが、それでも、クライオス王家の人間は王妃の呪詛どおりの道を辿った。
連綿と続く、クライオス王家の人間たち全てが、伴侶に愛されなかったかどうかは分からない。王国史を全て紐解けば分かるかもしれないが、知りたくないから調べなかった。
けれど、少なくとも、ディードリッヒ様は伴侶に愛されなかった。自業自得だと思わないでもない。だって、ディードリッヒ様は相手のことを考えなかった。けれど、こうも思うのだ。
もしかしたら、それすらも、いや、それこそが呪いなのかもしれない、と。
伴侶に出会う前のディードリッヒ様は思慮深く、優しい方だった。私の知るディードリッヒ様は、あんな無茶を通すような方ではなかったのだ。けれど、伴侶に会って狂った。
魔力の高い人間は、自らの伴侶が分かるという。それは一方的なものなのか、お互いにそうと気づくものなのかは、伴侶に出会ったことのない私には分からない。けれど、クライオス王家の人間以外で伴侶に手ひどい拒絶をされた人間の話はあまり聞かない。むしろ、たいへん睦まじい夫婦になるという。
人間が魔力を得たのは、オーガストの血が流れているからだという。証拠に、ハーヴェーを否定し、その信徒を悪魔の手先だと考えるハルペー帝国の人間は自国の人間以外と交わらないため、魔法が使えない。この国の人間と交わった場合、その子供は魔力を持つのだから、その説は間違っていないのだろう。
つまり、血の濃い薄いはあれども、同じオーガストの末裔なのに、差があるのは何故なのだろうか。一般の人間は伴侶を拘束する手立てが無いから、手ひどく拒絶されることがないだけなのかもしれないし、王家の人間が傲慢なだけかもしれない。……もしかしたら、王家の人間は本来なら、結ばれるはずのない相手を好きになるように仕組まれているのかもしれない。
このことに思い至った私は、恐怖した。もし、私の想像が正しければ、ジェイドも伴侶に愛されず、絶望する未来しか待っていないだろう。狂ったディードリッヒ様を思い出してゾッとした。ジェイドをあんな目に遭わせるわけにはいかない。私は持てる手段をすべて用いて相手を調べた。




