毒殺王妃のため息 1
更新が遅くなりまして申し訳ありません。まだもう少し、ヒロインの出番は先になってしまいます。
また、皆様のおかげで『婚約破棄した傷物令嬢は治癒術師に弟子入りします!』がコミカライズしていただけることになりました。
佳宵 伊吹 様の美しいイラストが目印です!コミックシーモア様にて5月1日から、1話~3話一挙配信配信しております。佳宵様のジェイドはたいへん色っぽくてドキドキします!
是非一度、ご覧いただけますと幸いです。
この場を借りまして応援してくださっている皆様に改めてお礼申し上げます。
遅筆な私を待っていてくださる方、応援してくださっている方、本当にありがとうございます!
これからもお付き合いくださると嬉しいです。
「帰してしまってよろしかったのですか?」
ジェイドが帰った扉をぼんやりと眺めていると背後から声をかけられた。いるはずがない存在にため息が漏れる。伴侶を失った王族は狂う。何をするか想像がつかないから、隠れていなさいと言ったのに。思わず小言が飛び出しそうになるが、私を心配してのことだろうと思うと、叱る気になれない。
声の主――侍女のエルマは音もなく近寄ってくると、ジェイドが使ったカップをワゴンに乗せた。
「御慈悲をお与えになるおつもりだったのでは?」
どこか気遣わしげに尋ねてくる声にどう返すのが正解なのか……?一瞬考えたが、相手はエルマだ。取り繕う必要は無い。エルマは名ばかりの王妃である私にも忠義を尽くし続けてくれた、信頼のできる人物だ。彼女に何を話しても外に漏れることはない。
「さあ?どうかしらね。そんなことよりも、お座りなさいな。お茶に付き合ってちょうだい」
「先ほどから飲み過ぎではありませんか?眠れなくなってしまいますよ」
エルマの言葉に苦笑する。王都に足を運んだせいか、それともジェイドに会ったせいか、どうやら神経が昂っているようで、ついつい飲み過ぎてしまっているようだ。どうにも、王都には良い思い出がない。――いや、良い思い出よりも、悪い思い出の方が多いという方が正しいだろう。
「見逃してちょうだい。落ち着かないのよ」
「ですから王都へお戻りになるのはお止し下さい、と申し上げましたのに」
エルマは手早く紅茶を入れると、先ほどまでジェイドが座っていた席についた。そうして、チョコレートをひとつ摘まんで口に運ぶ。美しく、繊細な味のサリンジャ産のチョコレートは彼女と私の好物だ。
「大目に見てちょうだい。非常事態だったのよ」
「非常事態ですか?王家がどうなろうとも、これ以上、リーゼ様が手を差し伸べる必要があるとは、私にはとても思えませんけれど?」
本当に嫌そうな顔を見せた後に、エルマはお茶を口に含んだ。カップから口を離したら、ブツブツと文句を言いつつ、チョコレートを口に運ぶ。実に忙しそうだ。
「お優しい貴女様の人生を狂わせただけでは飽きたらず、重荷まで押し付けた王家なんて滅びてしまえばよろしいのですわ」
エルマはいつもそう言ってくれるけれど、私はそこまで優しい人間ではない。全て私が選択した生き方だ。そう、彼女がそこまで思う程、私の人生は悪いものではなかったと思う。
確かに変わってしまったあの方を見るのは辛かった。まるで汚物のような目で見られた時は、消えてしまいたいと思ったこともある。
けれど、あの方との思い出は悪いものばかりではない。狂う前のあの方は本当に優しく、思慮深い、尊敬できる方だった。
エリゼ姫との婚約を王家の都合で一方的に破談にされた父は『王族の近縁になる』ことに異常なほどの執着心を抱いていた。王家の縁戚になることを望んでいたのか、エリゼ姫に執着していたのか……。父は最期まで明かさなかったから分からない。けれど、そんな父の妄執に巻き込まれたのが、ディードリッヒ様と私だ。
引け目のある王家は父の要求――現国王の娘でエリゼ姫の姪でもある、アイリス姫がルーク家に降嫁するか、私たち姉妹のいずれかを王太子妃にするか――を呑んだ。結果、アイリス姫が生まれて間もない弟のエイベルの婚約者になった。だから年の離れた姉はベネディ侯爵家に嫁ぎ、私もルーク一門のとある伯爵家の嫡子と婚約した。けれども、ここでまたもや、異常事態が発生した。アイリス姫が齢六才にして運命の相手を見つけてしまったのだ。
クライオス王家の血は呪われている。
王族の人間は意識してか無意識か分からないけれど、伴侶を探してしまうものらしい。そして、いざ、伴侶を見つけたら、彼らは狂う。どれだけ幼かろうと、全く見込みがなかろうと関係ない。自分が伴侶だと思ったら、相手を手に入れるまで、彼らは止まらない。どのような手を使っても自らの伴侶を手に入れようとする。そうしないと彼らは生きていけないに違いない。それほど、王族は異様だ。
アイリス姫は全てを投げ捨てて伴侶である、隣国の王太子の下へ走った。そう、ルーク家は親子二代に渡って王家の姫にそっぽを向かれたのだ。父の怒りは凄まじかった。王家に猛抗議した結果、次は私がディードリッヒ様に嫁ぐことになった。
若き日のディートリッヒ様も、父ほどではないが、無責任なエリゼ姫やアイリス姫に憤っていた。そして巻き込まれた私を哀れみ、まるで兄のように優しく接してくれた。
あの方は『運命の相手』なんて信じないと語った。……その言葉は『私がディードリッヒ様の伴侶ではない』と言っているのと同義だった。けれど、それで良いと思った。いや、むしろ、ホッとした。伴侶云々と言われる方が恐ろしかった。話で聞くエリゼ姫も、実際に見たアイリス姫も、尋常でなかった。あんな狂気に巻き込まれるのはごめんだ。誰かに異常なほど、愛されなくてもいい――いや、愛されたくなどない。ゆっくりとした人生を送りたかった。
ディードリッヒ様との婚約はそんな私にとって、救いだった。私たちは、お互いを尊敬しあう、優しい関係を築いた。私たちの間に恋愛感情はないけれど、いや、無いからこそ、穏やかな夫婦になれると、そう思った。
ディードリッヒ様のお役にどうしても立ちたくて、私は色々なことを学んだ。聡明なあの方には及ばなかったが、少しでもお役に立てたら、嬉しかった。
戦争が長引いたせいで、国内の情勢が安定せず、中々結婚できなかったけれど、それでも良かった。周りは色々と心配していたが、ディートリッヒ様はいつも優しくて、何も心配していなかった。
私たちの関係は、そのまま、何事もなく続くはずだった。あの方が伴侶に会わなければ……。
伴侶に出会ったディードリッヒ様は文字通り狂った。狂ったあの方は今までの面影すらなかった。そんなディードリッヒ様を見ているのが恐ろしくて、苦しくて、どうしようもなかった。あの方も、私も婚約の解消を望んだ。婚約解消をしてしまうと、まともな結婚はできなくなる。それは分かっていたけれど、それでも良かった。ともかく、ディードリッヒ様と離れたかった。
その願いは叶って、一度は婚約破棄ができた。そのまま修道院に行くか、領地に閉じこもるか……。私に残された選択肢はそれしかなかったけれど、それでも、あんな目で見られながら生きるよりもずっとずっと良かった。他の人からは不幸な人間に見えたかもしれないが、私は安堵していた。色恋や権力から離れた生活を送っていくつもりだった。……けれど私たちを取り巻く環境がそれを許さなかった。
なにもかもがずれていた。おかしかった。狂っていた。あの方が伴侶を見つけたことも、その伴侶が既婚者だったことも。そして、王家が三度に渡ってルーク家を拒絶したことも。
父も、エイベルも、ディードリッヒ様を許さなかった。彼らはドーレ辺境伯を利用して、無理やり、再度、私をディードリッヒ様の婚約者にした。絶望しかなかった。それからの人生は、誰のために、なんのためにあったのか、今でも分からない。ディードリッヒ様が私を疎んだ結果、私を私と認識してくれる人はいなくなった。ただ、王妃という、地位だけが私を指し示すものとなった。それは思ったよりも私にダメージを与えた。感情もどんどん麻痺していった。私の顔に浮かぶのは、王妃教育で培った笑顔だけになった。
王妃以外の何者でもなくなった私はできることをし続けた。それだけが、私が生きているという証だった。
その結果、私の株は上がり、狂ったあの方の株は暴落し続けた。気づけば王である、あの方でなく、私に忠誠を誓う人間が王宮を占めていた。それも当然のことなのかもしれない。あの方は籠の鳥を愛で続けることに必死で、政務を放り出して久しかったから。
エルマが私についてくれたのもこの頃だった。優しいエルマの前でだけ、私は息がつけた。




