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王太子は動き出す 11

 通されたのは一番奥まった部屋だった。騎士は扉を開け、僕を部屋に案内した後、静かに扉を閉めた。どうやら部屋の中に入るつもりはないようだ。

 部屋の中には先客がいた。思わず息を呑むが、部屋の中の人物は僕に目を向けることはなく、優雅にお茶を飲んでいる。小さく息を吐いてから、頭を下げる。そう、王太后のリーゼ様(先客)は今の僕よりも位が高い。今は、まだ。


「いやあね。公の場ではないのだもの、もっと楽にしてちょうだい」


 頭を下げている僕に柔らかな声が降って来る。その声はどこまでも優しくて――まるで、物語に登場するような、一般的な祖母のようで――驚いてしまう。今までこの人から、こんな優しい声で話しかけられたことなんかなかった。

 正直、本当の祖母と思っている時ですら、リーゼ様は近寄りがたい人だった。彼女の瞳には感情というものが全くなかった。父母は言うに及ばず、僕のことも、祖母の目には映っていなかったと思う。無視をされるわけではない。けれど、取るに足らないものだと思っているようで、公務の際はともかく、私生活では僕らとは顔を合わせようともしなかった。 

 実際、リーゼ様からは頭を撫でられるどころか、優しい言葉をかけられたことすらなかった。どこか突き放したような、冷たい雰囲気を持つ祖母を父も苦手にしていた。母などはリーゼ様の名前を聞くだけで逃げ出す始末だ。


 けれど、リーゼ様のその態度は当然のことだろう。彼女の人生はクライオス王家に踏みにじられたようなものだ。だから、リーゼ様が王家の人間を嫌う理由はよく分かる。

 長の話を聞いた後、僕なりに彼の話が本当か調べてみた。難航するかと思ったが、案外、探すと当時のことを知る人間は城内にもいた。彼らは、最初こそ僕に話すのを渋っていたが、最終的には()()()()()()()、話してくれた。

 彼らの話も話半分で聞いていたが、ジーンの話とだいぶ一致していたから、彼らは、嘘は言わなかったのだろう。


 僕の曽祖父(先々代の国王)は、祖父(ディードリッヒ王)が幼いころにエルダード王国との戦場で死亡した。その結果、祖父は十二才で王位に就いた。祖父は増長することも、我儘を言うことも無く、まっすぐに育ったそうだ。若いころの祖父は理知的で穏やかな、理想的な国王だったらしい。実際に、国防を強化したり、南西部の治水を見直したり、北西部の食糧難を解決したりと祖父の功績は目覚ましいものがある。まあ。このうちのいくつかはリーゼ様の功績なのだろうが……。


 リーゼ様は五才の時から、祖父の婚約者だった。リーゼ様と祖父は傍から見ると、たいへん仲睦まじい様子で、皆、二人が作る国を楽しみにしていたらしい。

 けれど、当時の我が国は隣国のエルダード王国とハルペー帝国と二面戦争しており、そのせいで国王を失ったこともあり、国内は荒れていた。リーゼ様と祖父の結婚は治世が落ち着いてからという話になっていた。けれど、リーゼ様が二十才を過ぎても国内は不安定なままだった。

 ようやく終戦したころにはリーゼ様は二十二才になっていた。『行き遅れ』と呼ばれる年だ。けれど、二人はどこまでも仲睦まじく、周囲の人間も、ルーク家も――恐らく、リーゼ様も未来(これから)の心配はしていなかっただろう。しかし、悲劇は起きてしまった。


 悲劇の発端は戦争の功労者であるドーレ辺境伯夫妻(ジーンの祖父母)が王都へ来たことだ。不幸なことにドーレ辺境伯夫人のアンジュが祖父の伴侶だったのだ。

 伴侶を見つけた祖父は文字通り狂った。伴侶を手に入れようと奔走し、まともな手段では無理だと理解した後は、力づくで奪って、秘密の場所(鳥籠)に閉じ込めた。

 伴侶を見つけた王族は――僕がイヴ以外の人間を抱けないのと同じで――他の異性を受け入れられない。祖父はリーゼ様との婚約を一度は破棄したそうだ。当時のルーク家当主――僕の母方の曽祖父にあたる人物だ――は怒り狂ったそうだ。まあ当然だろう。当時のリーゼ様は二十二才で、しかも王妃教育まで終わっていた。他家には嫁げない。


 最初はドーレ辺境伯と一緒に祖父を糾弾していたルーク家当主だが、祖父の意志が曲げられないと知ったのか、祖父に取引を持ち掛けたそうだ。ドーレ辺境伯夫人の返還を求めない代わりに『リーゼ様を娶れ』と要求した。

 辺境伯夫人はすでに子供もおり、どうしても正妃に迎えられない。表向きの妻が必要だった祖父はその要求を呑んだ。結果、リーゼ様は当初の予定通り、祖父に嫁ぐことになったが、皆の予想と違って、仲睦まじい夫婦にはならなかった――なれなかった。

 祖父はただただ、ドーレ辺境伯夫人を愛し、リーゼ様を寝所に呼ぶことは一度も無かった。それどころか、納得して迎えたはずのリーゼ様を疎む素振りすら見せたらしい。


 リーゼ様の心境はいかばかりのものだったのか――それを知る者は誰もいなかった。リーゼ様は祖父に対しても、自分の境遇に対しても、ひと言も何も言わなかったそうだ。

 祖父に無視をされようが、冷たく扱われようが、生さぬ子を押し付けられようが……祖母はいつもうっすらと笑って受け入れたそうだ。父は愛されたどころか、微笑みかけられたことすらないと言っていたが、それは当然のことだろう。その状況で殺されなかっただけでも感謝すべきだ。もし、万が一のことがあったとしても、誰もリーゼ様を糾弾しなかっただろう。祖父だって、例え父が死んでも一向に構わなかったに違いない。祖父の目にはようやく手に入れた、己の伴侶(アンジュ)しか映っていなかっただろうから。文字通り、父は邪魔者だったのではないだろうか。


 伴侶()に狂った祖父は執政を全て投げ出した。代わりに国政を担っていたのはリーゼ様だった。エルダード王国を併呑後の事後処理も全てリーゼ様の指揮のもとに行われた。勅令書や決裁書に押す王印も祖父ではなく、リーゼ様が持っていたそうだ。

リーゼ様はともかく優れた方で、この頃の彼女は『模範的な貴婦人』で『理想的な王妃』だったそうだ。賢妃との呼び声も高かった。祖父よりもリーゼ様に忠誠を誓っていた人間も少なからずいたらしい。


 祖父の気持ちは分からないでもないが、ルーク家当主の気持ちは僕には分からない。どうして、娘に『絶対に不幸になる結婚』をさせたのか。確かに、ルーク家当主は、エリゼ姫の件で、一度王家に裏切られている。リーゼ様の婚約もエリしれない。それとも面目が保たれれば、なんでもよかったのかもしれない。それとも面目が保たれれば、なんでもよかったのだろうか……。

 しかも、ルーク家当主は伴侶を奪われたドーレ辺境伯――この時は辺境伯から侯爵へ陞爵していたから、ドーレ侯爵と呼ぶべきか――に、祖母の妹であるミレーヌを嫁がせてもいる。恐らく監視のためだろう。ドーレ侯爵がこのことをどう思ったかは分からない。結局ミレーヌとの間にも子を設けたのだから、そこまで拒まなかったのかもしれないが、真相は不明だ。ただ、ジーンの様子を見るだに少なからず、不幸になった人間もいるようだが……。


 祖父は、今でこそ(死後は)、賢君であると言われている。実際に戦争に勝利し、領土を増やした王であることや、若いころに為した功績があるからだろう。もちろん、リーゼ様の功績も、祖父の功績として数えられている。

 けれど、伴侶を見つけてからの祖父がおかしくなったのも有名な話だ。晩年はさらに酷かったそうだ――恐らく、籠の中の小鳥が死んだのだろう。祖父が狂った理由は全て伴侶のせいだった。伴侶を得て狂い、伴侶を失って、更に狂った。狂った祖父は手が付けられなかった。


「なぜ、世界はまだあるのか?」


 そんなことを呟きながら、抜身の剣を片手に城内を練り歩き、時にそれを振るった。奇声を上げながら、魔法を放ったこともあったそうだ。少数ではあるが、祖父の奇行の犠牲になった人間もいたらしい。僕の生まれる前の話だから、詳しいことは知らない。話を聞いた人間の誰も詳しくは語ろうとしなかった。よっぽど酷い有様だったのだろう。

 日を追うごとに、祖父は憔悴していき――そして、凶行に走ってから一年も経たないうちに祖父は死んだ。享年、四十三才だった。


 リーゼ様が『毒婦』や『稀代の悪女』と呼ばれるのはこれ以降だ。狂死だと思われていた祖父の身体の中からは、毒物が検出されたのだ。そして、その毒物は、ルーク家の領内からしか採れないものだった。ルーク家の人間で、毒物を持ち込んでも咎められない立場の、祖父の身近にいる人間。ハルトへの要請も必要ないと判じられる人物。それに該当する人間はただ一人だ。

 けれど、リーゼ様を糾弾する人間は誰もいなかった。……祖父の死を悼む人間はいなかったからだ。それどころか、皆ホッとしたそうだ。当然だろう、この時の祖父は災害以外の何物でもなかったのだから。リーゼ様の行動は称賛されこそすれ、非難する人間はいなかったそうだ。


 しかし、それからのリーゼ様はまるで人が変わったかのようだった。まず、父親を手始めに、貴族達を次々と毒殺していった。リーゼ様がその手にかける人間をどのような基準で選んだのかは分からない。ある者は『リーゼ様の私怨だった』と語り、またある者は『国政の邪魔になる者ばかりだった』と語った。

 祖父の時とは違い、貴族たちは怯え、リーゼ様に罪を問おうとしたが、彼女を糾弾できる人間は全て墓の下にいた。なによりも、当時の父は幼く、リーゼ様が国政から離れると国が回らないことは誰の目にも明白だった。

 結局、リーゼ様の暴走を止められる者は誰もおらず、彼女の政治はその後十年に渡り、続いた。リーゼ様は陰で『毒殺王妃』と囁かれるだけで、結局罪に問われることはなかった。

 父が二十才で王位に就くと、彼女は自分の侍女の生家の領地にほど近い離宮で隠棲している――はずだった。それがなぜここにいるのか……?いや、もしリーゼ様が王都へ来るなら王宮ではなく、ここにいるだろうが……。

 そう、この邸――祖母付きの侍女の生家である、シュティッヒ伯爵家のタウンハウスに。


「さあ、頭を上げて。そこにいつまでも立っていないで、こちらへ来てお座りなさいな」


 祖母の言葉にゆっくり頭を上げ、周りを見回すが、祖母以外の人影はない。祖母は手元にあるポットからお茶を注ぐと、テーブルの上に置いた。

 僕も王族の端くれだから、多少は毒の耐性がある。しかし『毒殺王妃』と名高いリーゼ様の毒を僕は耐えきることができるだろうか?なんせ、王宮内には神殿のハルトがつめる王宮神殿がある。当時の王宮にも、ハルトが常駐していたはずだ。それなのに、リーゼ様を阻むことはできなかったのだ。

彼女の毒は、そこらにあるようなものではないかもしれない。


「ジェイド?どうしたの?お座りなさいな。今日は少し冷えるわ。さあ温かいお茶を入れたわ」


 躊躇する僕に何度目か分からない声がかけられる。僕へ向けるリーゼ様の顔には微笑みが湛えられている。これ以上、ここで突っ立っているわけにはいかない。ひとつ息を呑んで、リーゼ様の待つテーブルへと足を向けた。

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