2巻発売記念SS ジェイドの不満 5
そして今日、私は結構なピンチを迎えていた。いったい、なんでこうなった……?なんだか目を爛々と輝かせているジェイドを前に私は困り果てていた。やはり前回、押しに負けずに距離を置いておくべきだった……。
いったいジェイドは何をしたいのだろう……。今更、私と仲良くする理由なんてジェイドにはないはずなのだが。
「えぇ……と?」
どう反応すべきか困っている私に向かってジェイドは再度同じ言葉を口にした。やっぱり聞き間違いではなかったか……。
「うん、だからね。君が作った料理を差し入れしてほしいんだ。お願いできないかな?」
「はぁ……。手作り料理ですか?あの、どこへお持ちすればよいのでしょう?」
「どこへも何も、僕のところ以外のどこへ持っていく気なのかな?イヴは」
さて、何を言い出したのかな。この腹黒王子は。十日ほど前であれば――中庭でジェイドとサラのキスシーンを見る前であれば――なんだかんだ言ってはいたけれど、それでも、ジェイドのために何か差し入れを作ったと思う。
私は本当に馬鹿だ。身を引くべきだとか、婚約解消すべきだとか、思っていたくせに……。本当はジェイドに愛されているんじゃないか、なんて心の底では思っていたのだから。
そんな自分の気持ちに、私はジェイドとサラのキスシーンを見るまで気づかなかった。私はなんて浅ましいんだろう。本当に自分で自分が嫌になる。
多分サラはジェイドルートに入っていて、今、二人は順調に絆を育てているはずで――だから、これ以上、ジェイドが私に関わる必要なんてどこにもないはずなのだ。
それなのに、この罠感満載なフラグはいったいなんなんだろう。言葉通り、『私の手料理がほしい』わけではないことを私は知っている。つまり、これは何某かの符丁の可能性が高いと思う。……ただ、問題は私がジェイドの意図を理解できないことだ。さて、私はどう反応するのが正解なのだろうか。ジェイドの意図が分からない以上、考えうる対応はいくつか。ひとつずつ試していくしかない。
まずひとつ目は黙殺だ。聞こえなかったふりをして、紅茶を飲む。そして、テーブルの上のクッキーを手に取って口に入れる。この国のクッキーはともかく硬い。ひと口大ではあるが――噛めないのだから、当然だ――口の中でふやかしながら食べるしかないので、食べ終わるまで五分はかかる。つまり、話したくない、という意思表示だ。
ちらりとジェイドを窺ってみたが、憤った様子もなく、にこにこしている。よし、このまま煙に巻こう。にっこりと微笑みながら、次のクッキーを手に取り、口に入れる。
更に流れるように三つ目を手に取ろうとした瞬間、同じように微笑んでいるジェイドに手を握られた。そのままお互い無言で微笑みあう。
「このクッキー、本当に美味しいですね」
口の中のクッキーを食べ終えて、にっこりと微笑んでみせたがジェイドは「それはよかった」と微笑むだけで、手を離してくれようともしない。
仕方が無い、次の手!やや強引にでも話を逸らす!
「そういえば、先日クッキーと一緒にお送りいただいた白い花、あまり見ない花でしたが、良い匂いで、本当に奇麗でした。どこの花なんでしょうか?」
「気に入ってくれたのなら何よりだよ。あれは王太子宮の庭に夜だけ咲く花なんだ。月光の下咲く様は本当に圧巻だよ。良かったら今晩、一緒に見てみるかい?」
うげ、藪蛇だった。顔が引きつりそうになるのをぐっと堪える。そんな私を見ながら、ジェイドは掴んだ私の手を持ち上げると手の甲に唇を落とした。思わず手を引こうとしたが、ジェイドが結構な強さで握っているせいか、かなわない。痛くはないけれど、逃げられもしないという絶妙な力加減だ。
「私のようなものが王太子宮に伺うなんて恐れ多いです」
「へぇ……?謙虚なのはイヴの美点の一つではあるけれど……先日から謙遜が過ぎるんじゃないかな?君以外の誰なら相応しいと思っているのか、是非聞いてみたいところだね」
先ほどから返答に困る質問ばかりだ。どうしてだろう、どんどん雲行きが怪しくなってきているような気がする。これ以上口を開くのは絶対によろしくない。できれば再度クッキーに手を伸ばしたいところだが、まだジェイドに手を握られている。さて、どうすべきか……。とりあえず、話はそらせたようなので、時間が来るまでこのまま黙っているべきか……。
「ねぇ、イヴ?」
黙っている私の顔を覗き込むと、ジェイドはにっこりと微笑んだ。まずい、これはいけない。なんだか冷たい汗が背中を伝う。さて、なんと言うべきか……なんて言えば角が立たないか……。一生懸命考えるが、どうにも上手な言い訳が思いつかない。
「本当にイヴは仕方が無いね……悪いと思っているんなら、今晩は王太子宮に泊まってくれるよね?」
「え、いいえぇ!まだ、婚約者にすぎない身でしゅので……」
思い切り噛んだ。恥ずかしくて俯いた私にジェイドは吹き出した。
「わかった、それじゃあ、今回だけは君の手作りで見逃してあげる」
振り出しに戻ってしまった。なぜこんなにも手作りに拘るのか……。
このままジェイドの提案を呑んだ方が良いような気も少しはするけれど……それはもっと危険な気がする。だって、私は知っている。ご親切な方が、わざわざ教えてくれたのだ。つい先日、サラがジェイドに特別なお菓子を差し入れしたことを。そして、それを仲良く食べたということも。
しかし、このイベントはどうして発生したのだろう?サラがジェイドを攻略しているならば、このイベントは絶対に好感度が下がるだけのイベントのはずなのに……。
そこまで考えてハッとした。そうか、これはやっぱり、私を陥れるための罠に違いない。いくら婚約者とはいえ、私とジェイドはそんなに仲が良いわけではない。
サラは乳兄妹で幼馴染だから、信用があるだろうが、私は幼馴染というほどの関係ではない。確かに昔は婚約者筆頭候補ではあったけれど、それは八才の頃までの話だ。それ以降は会っていなかったので、七年間ほどのブランクがある。今は婚約者ではあるけれど、恐らくなんらかの思惑があるからだろうし。
そんな私が手作り料理を差し入れするのは間違っている行為だ。下手をすると断罪の材料にされるだろう。
つまり、どれだけ圧力をかけられようと断るのが正しい。というか断らなければ、待っているのは破滅に違いない。危なかった……。気づいて本当に良かった。
それならば、躊躇していた三つ目の手が正しい対応だろう。生唾を飲み込んでから、私は発言した。少し声が震えたけれど、仕方が無い。
「申し訳ありません、せっかくのご要望ですがお受けいたしかねます」
三つ目の手は、正面切ってのお断りだ。
「理由を聞いてもいいかな?」
「殿下に手作りのものを差し上げるなんて恐れ多いことです。殿下の安全面を考えてもとてもお渡しできません」
案の定、食い下がってきたが、続けて、正論で武装する。絶対に折れてはいけない。ここで折れたら待っているのは破滅だ。というか、婚約を破棄したいなら、そう言ってもらえれば、いつでも身を引く覚悟はできている――そりゃあ少し、ぶれかけたけれど……でも、邪魔だと思われているのに、無理を言ってまでそばに居るつもりは私にはない。
ちょっと憮然とした様子のジェイドに、できるだけ、角を立てないように言葉を重ねる。
「王宮には素晴らしい料理人の方がいらっしゃいます。私のようなものが作ったものなど恥ずかしくて、とても……」
これで退いてくれると良いのだが……そう思いながら俯く。ここで退いてくれれば、これ以上は言わなくて済むのだ。けれど、私の願いは叶わないようで、ジェイドは私の手を握る手に力を込めて口を開いた。
「そんなことはないよ。僕は他の誰よりもイヴの手料理が……」
「つい先日、親しい方から特別な差し入れがあったと伺いました。その……随分と親しい様子だったとも伺っております。その方を越えるような料理を作る自信がありません。申し訳ありません」
仕方が無く、最後のカードを切る。この手は下手をしたら『嫉妬に狂って、サラに嫌がらせをした』なんて言われる可能性があるし、なによりも、こんな僻みめいたことは言いたくなかったのだ。けれど、もうこの際、手作りを差し入れしないで済むなら、多少のことは目を瞑ろう。
私の言葉に絶句したジェイドの手から、手を引き抜くと、さっと立ち上がって逃げるように辞去した。
その後は色々あったから、もうこの話が出てくることはなかった。安心したと同時に、少し寂しくもあった。本当に私は浅ましい。
セオに『どなたかに贈ったことは……?』と言われた時、一瞬だけジェイドの顔が思い浮かんだのは、きっと私が弱いせいだろう。




