2巻発売記念SS ジェイドの不満 3
このお茶は何杯目だろうか?ようやく復調したイヴとお茶を飲んでいるが、言い出しづらい。……っていうか、言えるわけがない!あの時は「それしかない!」と思ったがよくよく考えたら、「君の手作りのお菓子を差し入れしてほしい」なんて口に出せるはずもない。
「どうかなさいました?」
僕の様子がおかしいことに気づいたのか、イヴは愛らしく、こてんと首を傾げた。うん、本当に可愛い。こんなに可愛い女性が僕の伴侶なのだと思うと嬉しくて仕方が無い。抱きしめてキスして、もっと先にも進みたい。一度彼女の甘い唇を、肢体の柔らかさを知ってしまえば、我慢するのは難しい。できれば今すぐにでも腕の中に閉じ込めてしまいたい。
「ジェイ様?」
イヴに呼びかけられてハッと我に返った。しまった、舐めるような目でイヴを見ていた気がする。怖がられてないと良いんだが……。取り繕うように微笑んだら、イヴも微笑み返してくれた。
どうやら僕の邪まな想いには気づいていないようだ。そんな純粋で無垢なところも可愛いのだが、他の男の前でもこんなに無防備なのか思うと不安になる。けれど、だからといってイヴを矯正しようとは思えない。僕が守るから、イヴはこのままで良い。というかこのままでいてほしい。
「ああ、ごめんね。ちょっと考え事をしていて……」
「そうなんですか……お忙しいのにお時間をいただいてしまって申し訳ありません。今日はこのあたりで失礼いたしますね」
しまった、返答を間違えた、と思った時にはもう遅く、イヴは少し寂しげな顔をして立ち上がった。
「いや、大丈夫だから」
「お気遣いありがとうございます。けれどご無理をなさるとよくありませんもの。……もしかして、いつもこうしてお時間をとっていただくのはご負担になっていらっしゃるのでは……?」
「そんなことはないよ。こうしてイヴとお茶をする時間は僕にとって一番大切な時間なんだ」
一生懸命弁明したおかげで、なんとかこれからの時間は確保できたが、今日は引き留めることができなかった。正直に「イヴが可愛すぎて見惚れていた」って言えばよかった。けれど、『手作りお菓子を作ってほしい』なんて言おうとしている時に、そんな言葉を言うのは――それが心からの言葉でも――ちょっとどうかと思ったのだ。
「お前、本当にどうしようもないな」
イヴを見送った僕にアスランが冷たい視線を向けた。確かにイヴと話をしている時から、少々目が座っていたが、案の定、イヴが帰った瞬間ぶちぶち言い出した。昨日まではあんなに止めていたくせに……。欲望に素直なやつめ。
「自分でもそう思っているさ。あぁ、本当ならあと30分はイヴと居られたのに……」
「自業自得だな。肉食獣みたいな目で見ていたから、怯えられたんじゃないのか?」
「イヴの返事を聞かなかったのか?あくまで僕のことを慮ってくれていたじゃないか」
「まあ、どう思おうとお前の勝手だけどな。でもそれだけじゃなくてさ、今日なんかチャンスだったじゃないか。『最近少し忙しくて食事をとる時間がなくて』とか言ったらエヴァなら気を効かせてくれそうだが?実際、リザム子爵が忙しい時は差し入れしているみたいだし」
「そんなことを言おうものなら絶対に『私が会うのを控えるから、その間休んでほしい』って言われると思うんだが」
そう、先ほどもそうだったが、イヴはいつも自分が引こうとする。僕がどれだけイヴを想っているか、イヴは分かっているだろうか?自分の気持ちよりも僕を大事にしてくれているのかもしれないが、もっと僕に甘えてほしい。もう、なにも諦めないでほしい。もちろん、僕のことも含めて。
アスランは僕に向ける冷たい視線を少々緩めて、小さくため息をついた。
「『君と会う時間が唯一の癒しなんだ』とかなんとか言いながら、さりげなく差し入れを頼めばよかったんじゃないか?そもそもお前は欲張りすぎだ。全部手に入れようとするな。いつか失敗するぞ?エヴァの手作り料理を手に入れるためなら、少しは譲歩しろ」
「イヴのことで譲歩なんかできるもんか。それに既製品を持ってこられたらどうするんだ?」
「もちろん、喜んで受け取ってお礼を言う。その後も何回か繰り返して『君が作ったものも食べたいな』とかなんとか言えば大抵の人間は用意してくれるぞ。それでも、用意してもらえないのなら、お前が嫌われているんだろう。その時はエヴァのことはきっぱり諦めろ」
「馬鹿言え。どうして僕がイヴのことを諦めなきゃいけないんだ。しかもどれだけ長期的なスパンの計画なんだ。イヴとの時間を一日でも減らすのは嫌なのに、どれだけ我慢をさせるつもりだ」
ぶつぶつ言いながら、執務室に帰ったらゴーフルを前に、干し肉を齧っているサラがいた。なんだかシュールな絵面に、一気に脱力する。こいつはまた窓から飛び込んできたのかと思ったが、窓は閉まっている――サラは窓から入って来るくせに、入ったら入りっぱなしで窓を閉めるなんてことはしないのだ――。不思議に思いながらも、窓に近づこうとしたら、サラが唇を尖らせた。
「今日はちゃんとドアから入ったわよ」
「部屋の主がいないときに人を通したのか?部屋の前を守っている衛士は何を考えているんだろうな?」
「差し入れを持ってきたって言って、お母様がにっこりと微笑めば通してくれたわよ」
「メラニーか……。珍しい。最近は僕にはあまり関わって来なかったんだけど。まあ、いくら乳母とはいえ、あまり褒められた行為じゃないから、後でひとこと言っておくとして……それで?差し入れって、サラがか?」
「そう!私が!」
怪訝そうな僕とアスランにサラは胸を張った。またこいつはいったい何をしでかそうというのか。というか、そもそもイヴからの差し入れがほしいわけでサラからの差し入れはいらないのだが……。精神的にも、肉体的にも、なんか嫌な予感しかしない――何が入っているか分からないし。
思わず顔を見合わせる僕たちを尻目にサラは得意げに続ける。
「ジェイドのことだもの。絶対に、エヴァちゃんにおねだりできないだろうと思ってね!感謝してくれていいのよ!」
「分かってないな。僕はイヴの手作りがほしいんだ。サラのじゃ意味がないだろ。それにお前の手作りなんて恐ろしくて口に入れられるか!」
「まさか私が作ったと思っている?私がそんなことできるわけがないじゃない。これは、お城の料理人に作ってもらったの!」
「おまえ、城の厨房からあれだけ食べ物くすねていたくせによくもまあ、恥ずかしげもなく依頼できたな」
どこか感心したようにアスランは突っ込んだが、問題はそこじゃないと思う。
それに正直、甘味を食べた後は胸やけがするので、そんなに好んで食べない。イヴが喜ぶから甘味を用意させているが、僕自身はあまり手を伸ばそうとは思わないくらいだ。
「いや、誰が作ったものでも、イヴの手作りじゃないなら必要ないよ。サラが片付けてくれ」
「ふっふっふっふ。そんなことを言って良いの?良い?ジェイド。これはエヴァちゃんのレシピをもとに作ってもらったものなの。つまり、これはエヴァちゃんが作ったものと同じものってことよ!」
「うん、お前に繊細な感性を求めるのが間違っていることはよく分かった。何度も言うが、僕はイヴが作ったものがほしいんだよ。いくら同じ味だとしても、それは必要ない」
「もう、めんどくさいな。誰が作っても味は同じだと思うんだけど……」
「それより、サラ。イヴのレシピなんてどこで手に入れたんだ?」
「うん?王妃様の手のものがエヴァちゃんを監視していたのは知っているでしょ?そりゃあ今はジェイドの箱庭の中にいるだろうけれど、以前の邸にいる時は……分かるでしょ?」
そう言うなり、サラはむんずとゴーフルを掴んで一気に距離を詰めると僕の口元につきつけて来た。
「いいから、ほら!」
「いらないって言っているだろ?サラが食べてくれ!」
「殿下!いかがなさいましたか⁉」
サラと二人で言い合っていたら、声が大きすぎたのか、バンッと大きな音を立てて扉が開いた。本来なら、褒められた行為ではないが、緊急事態――だと彼らは思ったのだろう――の時は仕方が無い。礼儀とか不敬とか考えて手遅れになっては仕方が無いのだから。
振り向いた先には、どこか焦っている衛士と、なぜか瞳を輝かせている侍女や女官がいた。
今の僕らの状況は、彼らの目にはどう映っているのだろうか…………。頭を抱えたくなった。最近ようやくセレスティーナ物語が沈静してきたと思っていたのに、振り出しに戻った気分だ。
本当にサラに関わると碌なことがない!




