【間章】神殿の魔導師の怨嗟 2
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女嫌いだと専らの噂のセオドア・ハルトはまず間違いなく障害にはなり得ない。ハルトの中でも一二を争うほど優秀な男なのに、まるで流れる雲のように掴みどころがない男。金や人に執着することも無ければ、権勢欲もない。優しいヒトだと慕う人間も多いが、私の目にはどこか欠けているようにしか見えない。その美貌もあいまってどこまでも作り物めいた雰囲気を持っている、ジェイドとは違った意味で歪なハルト。
クライオスでは、女にだらしない男だと言われているが、それは見せかけだろう。あの空虚な男が女に溺れるはずがない。何よりもあの男は女を倦厭している。狡猾な鳥飼共は、どうしても優秀な彼の種がほしかったのだろう。一位や二位との同衾を断り続けるセオドア・ハルトの寝所へ、例外的に魔力が低い、けれどサリンジャ一美しいと評判の娘を寝所に送り込んだ。念には念を入れて、薬まで盛ったというのに、コトはならなかった。役に立たないどころか、吐き散らかした後、三日三晩寝込んだ。
セオドア・ハルトのあまりにもひどい憔悴ぶりに鳥飼共は無理強いをすることはなくなり、彼も女性を遠ざけ始めた。神殿では男性しかそばに置かない彼は、いつしか、男色家だとまことしやかに囁かれるようになった。実際、神殿には男色家の人間も少なくない。この性的指向はサリンジャ以外ではあまり一般的ではない。だから、隠すために女性を侍らせているのだろう。多分この想像は間違っていないはずだ。抜け穴なんていくらでもあるのに、周囲の女性に一切手を付けていないのが、その証左だ。
そんなセオドア・ハルトがあんな、いかにも貴族然とした娘を好むはずがない。まず間違いなく洗礼が済んだら、あの娘を放り出すだろう。
遠目に見ただけなので、娘の顔貌はよく分からないが『セオドア・ハルトが連れ帰った娘を保護しろ』と指示しておけば、簡単に手中に収めることができるはずだ。
通常の魔導師であれば、クライオスとサリンジャほど距離があれば伝令魔法を使えないが、私ならば問題なく使える。残念ながら私ほどの魔力量を所有している人間が他にいないから一方通行になるが、私の部下は如才のない人間ばかりだ。任せても問題ないだろう。
従弟殿の魔力量は私以上なので、彼も私と同じ精度でこの魔法を使えるに違いない。私が改良を加えた風魔法を教えておけば、私が神殿に帰った後でも、彼と私は意思疎通が可能だろう。これは嬉しい誤算だ。彼が提案を呑んでくれたら、教授しよう。一方通行ではない通信がどれだけの利益を生むのか、それどころではないというのに、考えると少しわくわくしてしまう。
私の提案に王太子は酷薄な笑みを浮かべたままだ。裁判の時とは別人としか思えないほどのプレッシャーを湛えて。私だとて、狐狸妖怪の闊歩する神殿で生き抜いてきた人間だ。ぬくぬくと育った従弟に負けるはずがないと思っていたが、どうやら目の前の男は神殿の老害と比肩するほどの――もしかしたらそれ以上の、とんでもない怪物のようだ。背中に冷たい汗が伝うが、アイヴィーのためにも引けるはずがない。何よりも、この男が執着している女性を引き合いに出した時点で逃げられないだろう。思わず唾を飲み込んだ私に王太子はうっそりと笑った。
「わかった、君と手を汲もう。至急、彼女を迎える準備をして、準備ができ次第、迎えに行こう」
その言葉に安堵するよりも先に、胸に不安が渦巻いた。なにか決定的な、取り返しのつかない失敗をしたような気がしたが、それを隠して微笑んだ。今更だ、もう後戻りはできない。
私はどうしても、ドーレ家をミレーヌ……ルーク家の人間の手に渡したくない。このままでは、ドーレ家は王家とルーク家に乗っ取られ、直系の血が途切れてしまうかもしれない。そもそもドーレ家は正当な血筋である私が継ぐはずだったのだ。それを奴らが無理やり乗っ取ったのだ。何をしてでも返してもらう。ドーレ家を壊した人間たちの好きにはさせない。祖父と父の死だって奴らが裏で糸を引いていた可能性が高い。それに奴らは母のことも見殺しにした。このまま、のうのうと暮らせさせるつもりなどない。
本来なら、元凶である王家にもルーク家の系譜にも近づきたくはないと思っていたが、元凶のディードリッヒ王はともかく、国王と王太子には何の咎もない……そう、なんの咎もないのだ。
本当に何も感じないかと聞かれたら、正直微妙だ。ディードリッヒ王が祖母を奪っていかなければルーク家が我が家に侵入することも無く、祖父も両親もあんな形で死なずに済んだ。病床の母の、細くなった身体を、枯れ枝のような手を忘れられない。妹だって神殿の人間に貞操の危機を感じなくてよかっただろう。考えれば考えるほどルーク家は憎いし、王家の人間だって許したくない。
けれど、何もかもを敵に回すことほど私の力は強くない。不可能なことを実現しようとすることほど愚かなことはないのだ。自分が本当にしたいことが何かを見極めるべきだ。
私の目的は、ドーレ家を取り戻すことで、それを邪魔する人間だけが敵だ。そう思って割り切らねば待っているのは破滅だけだ――いや、復讐なんて考えている時点で私の未来には破滅しか待っていないのかもしれないが。
それに、ジェイドの瞳の色は湖面のような水色に近い青で、亡き母とアイヴィーと一緒の色だ。この淡い青を持っている人間は、母と妹、そしてジェイド以外は、絵画の中の祖母しか見たことがない。
祖父と母の話を疑っていたわけではないのだが、彼の瞳は確かに僕たちに血のつながりがあることを証明していた。愛しい家族たちとの血のつながりを感じさせるせいか、ジェイドには怒りを感じない。むしろ、親しみを感じた。とんでもない怪物だと、得体のしれない奴だと理性では思うのに、不思議なことに、気を許したいと思う自分もいるのだ。
まあ、事前に調べた限りでは、ジェイドはルーク家を嫌っているし、神殿にも思うところがあるようだから、親近感が湧いているのだけかもしれないが。
何より、ジェイドには権力がある。将来この国の頂点に立つ彼ならば私の望む未来を実現してくれるかもしれない。
この国では女性は爵位を継ぐことはできない。けれど、ジェイドならこの制度を変えることができる可能性がある。彼がそれを為すつもりかどうかはわからないが、神殿の台頭のせいで女性の社会進出ができないことは問題だと議会で発言したことがあり――この説はダフナ家を始めとした神殿派の貴族に黙殺されたが――彼が現在の制度に疑問を感じているのだけは確かだ。
もしも、女性の爵位継承の制度に着手しなくとも、私の働き次第では、入り込んできた異物を排除し、アイヴィーが婿を迎えることの後押しくらいはしてもらえるかもしれない。
そのためにはジェイドの婚約者を確保する必要がある。二位以下なら簡単に庇護下に置けるだろう。彼女が三位以下であればこの後も話が早いが、二位の場合でも、まあなんとかなるだろう。
神殿はクライオス王家に強く出られない。特にジェイドのように強い力を持っていれば強固に突っぱねることもできない。その証拠に本来なら、一国に一人、多くとも二人までしか常駐させないはずのハルトを、クライオス王国には五人も常駐させているのだ。婚約者殿のことだって、なんとか理由をつけてクライオスへ返すはずだ。基本で鳥飼共は、ハルトにしか興味を示さないのだから。
裁判の時の様子を見るだに、婚約者殿はこのクライオス王国から逃げたいのかもしれない。けれど、私の目的のためには諦めてもらおう。どうせ大神殿に行っても貴族の令嬢が暮らしていけるはずがない。彼女にとってもジェイドの下で生きる方が幸せだろう。
ここまで考えておかしくなった。望まぬ男性に引き渡される辛さを妹に感じさせないために動いている私が、同じようにあがく人間を踏みつけようとしているのだから。けれど、だからと言って引くつもりはない。あの子の不幸と婚約者殿の不幸が同じなはずがない。少なくとも、ジェイドはあの軽薄なアイザック・ハルトと違い、婚約者殿を愛しているようなのだから。
何より、私はどうしても、奴らをこのまま放置できない。奴らにドーレ家を好きにさせたくない。
この憎しみが失せたならよかったのだが、色あせるどころか増すばかりだ。もし、いつか地獄に行くことになったとしても、後悔はしない。ただ、私がそこに行く時は奴らを先にそこへ落とした後だ。
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2巻はエヴァンジェリンとセオドアの神殿までの旅路の様子を書きおろしで収録しております。
書籍版でしか見られない二人の様子をお読みいただけると嬉しいです!
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第三者の目から見たセオドアや二人の関係、そして王都を脱出した日の二人の話です。
電子書籍版書下ろしとして以下の2本のSSを収録予定です。
エヴァンジェリンが去った後のジェイドのお話と、お兄様のお話です。
TOブックス様のオンラインストアでご購入下さった方限定のSSは二人の旅路を第三者の視点で見たお話です。
林 マキ先生の美しいイラストを2巻も楽しんでいただけます!
皆様に楽しんでいただけるような一冊となっておりますので、2巻もどうぞよろしくお願いいたします。
 




