王太子と神殿の魔導師 2
花嫁だって?聞き捨てならない言葉に思わずジーンに詰め寄りたくなるのをグッと抑え、続きを促すためにジーンの顔を見る。
「神殿において、師弟というのは結構な重さを持っていてね。師匠は弟子の全てに責任を持つことになる。魔法の修練はもちろん、私生活においてもね。つまり弟子が結婚する際は――と言っても相手を限定する者は昨今減少傾向にあるんだが――師匠の許可がいる。もちろん、許可を貰えない場合が殆どだが。逆に、師匠が弟子の相手を決めることもある。その相手は殆どが自分で……まあ、要するに弟子は師匠の保護対象という名の、お手付きというわけだ。弟子に一番先に手を出す権利を師匠は有している。原則として師匠は同じ系統の魔法を使う人間を弟子に取るのだが、例外として、自らが娶りたい人間を自分の保護下に置くために弟子に取るということが横行している」
「中々に爛れた環境みたいだね」
「仕方がないさ。女性は魔法を習うことが少ないからね、神殿では常に女性が不足している。いや、こういうと語弊が生じるな……高い魔力を有する女性が不足している。特に一位や二位は相手が二位以上に限ると制限が厳しい。『子作りを許される相手は神殿に所属する二位以上の者のみで、それ以外との性交は一切禁ずる』という面倒な戒律があってね」
思ったよりも魔力重視な神殿の制度に眉を顰めたくなる。しかし、そんな制度がまかり通っているあたり、やはり神殿は不自然だ。そんな国に飛び込んでしまったらイヴがどうなるか……。彼の話通りなら、イヴの立場はたいへん危険なものになるだろう。ただでさえ、女性が希少な場所で、イヴほど可愛く、綺麗な女性が入殿したら……考えるだけで恐ろしい。目の前の男が保護するとは言うけれど、この男がどこまで権力を持っているかも分からないし、何よりもミイラ取りがミイラになる可能性だって否定できない。
「それで?つまり、彼女が危険だから、君の手を取れ、と?」
「まあ、それで私を買ってくれるというなら有難い話だけれどね。ともかく神殿では女性が少なく、高位の人間ほど相手を見繕うことが難しい。だから、戒律の穴をつくように、一位や二位の間では男色が流行っていてね」
「男色?生々しい話だね。けれど僕には関係ない話になってきたと思うけれど?」
「まあまあ。少しくらいなら無駄話をする時間はあるだろう?……人が生きて行くうえで、睡眠欲、食欲、それに性欲は切っても切り離せないものだ。確かに戒律では『特定の人間以外との子作りを禁ずる』とはあるけれど、子作りできない相手との性交は禁じられてないという解釈になったわけだ。まあ、目をつけられた人間は悲惨だね」
そう言って目の前の美貌の青年は薄く笑った。これは自分のことを語っているのだろうか?確かに目の前の青年は奇麗な顔をしているので、人気があったかもしれない。彼の話通りなら、師匠の命令であれば拒否はできなかっただろう。イヴとならあんな気持ち良い行為を、魔力が高いだけの、どこの誰ともつかない相手としなければならなかったのならば、気の毒だとは思う。けれどだからと言って僕が彼に便宜を図ってやる必要性は感じない。
僕が何も言わないからだろう、ジーンは口の端で笑うと話を続ける。確かに一分一秒を争う状況ではないが、無駄話に延々付き合う心の余裕は、今の僕には無いんだが?そう言おうとして考え直す。神殿内部の話は、それがどんなものだろうと聞きたかったものだ。くだらない話がいつ、どのように役に立つか分からない。
「でもそれは、神殿内部の中で終わらせるだけ、まだましだ。性質の悪い奴なんか、魔力が高い、好みの女性を見つけたら、言葉巧みに騙して神殿に連れ帰ったりするからね」
魔力が高い人間が神殿に所属したがる傾向があることは知っていた。新しく発明した魔法を試す際は、ハルトの同席が必要だ。しかも、ハルトに依頼して受理してもらうには、時間も費用もかかる。だから、魔法の研究に明け暮れる魔導師が神殿に所属したがる気持ちは分かる。そうしたら、依頼もすんなり通るし、費用もかからない。
だから、神殿に魔力の高い人間が集まるのは仕方が無いと思っていた。けれど、魔力の高い人間を積極的に取り入れていることまでは知らなかった。今、話を聞いた限りでは、神殿の人間が魔力の高い女性を欲する気持ちは分からないでもない。けれども、神殿の高位者が連れ去る人間は恐らくわが国の人間が殆どだろう。
そう、わが国の始祖は『始まりの魔法使いオーガスト・クライオス』だけあって、魔力の高い人間が他の国に比べて多い。つまり、神殿に力が集まれば集まるほど、国は弱体化する、ということだ。その女性が魔法を使えなくても、その女性が生んだ子供は強い魔力を持つ可能性が高い。生まれた子供はサリンジャの国民になる。人口が減るのはもちろん、魔力が高い人間が減るのは痛い。
そう長く放置する気はなかったけれども、できるだけ早く神殿の力を削がねばなるまい。それに目の前の男はどこまで役に立つだろうか?どうやら、神殿を嫌っているようではあるが、そう振舞っているだけかもしれない。
とりあえず、何事も無かったかのように話を続ける。もちろん、ジーンの話も気になっていた。あの気障な神官がイヴに目をつけ、連れ去ったのならば、彼女の身に危険が迫っているということだ。それに、イヴが目当てだったのなら、ジーンが保護するのも無理だろう。確かに、イヴはサラ曰く『とんでもない魔力の持ち主』だそうだし、何よりも、ものすごく美しく、愛らしい。彼女の美貌に狂う男が量産されるくらいには。
もしかしたら、今もあの気障野郎に迫られているかもしれない。他の男がイヴに触れる……想像するだけで相手を殺してやりたくなる。もし、あの男がイヴを狙って連れ出したのなら戒律なんてものも、なんの役にも立たないに違いない。
触れるな、イヴは僕のものだ!そう叫びたくなる自分を押さえつけながらもジーンに向き直る。ああ、こんな話をする暇があるなら今すぐにでも彼女を迎えに行きたい。
彼女につけていた影たちは、長を始めとしたクラン家の影が去った今、王都の情報ギルドと暗殺者ギルトに所属している者たちだけだ。王都は僕が手を出すまで、纏めていた男が糞野郎だったせいで、争いが絶えず、人材が育たなかった。
ザインが治めるようになって少しずつ育ってきたが、やはりクラン家の影たちに比べると劣る――もしかしたらクラン家の影たちが優秀過ぎるのかもしれない。王家の影をまだ使えない僕には、他に比較対象がいないから分からない。
だから、僕がつけた影は神殿の護衛たちに囲まれたイヴにはついていけなかった。彼女たちが王都から出るところまでは護衛していたが、それ以降は無理だったそうだ。つまり、今のイヴは神殿の人間に囲まれていて、しかも旅の連れの中には、ハルトであるあの男に逆らえる人間もいない、ということだ。絶望的な状況に焦燥感がますます募る。けれど、今飛び出しても彼女たちを見つけることは難しいし、何よりも、もうイヴはあの気障野郎と何日か過ごしている。
グラグラする腹を抑えつつ、できるだけ平静な声を出すように努めた。声が震えていないか気になったが、これ以上取り繕うのは無理だった。まだまだ修行が足りない。
「セオドア・ハルトがその性質の悪い奴だ、と言いたいのかな?それなら尚更君が彼女を保護することは難しいと思うが?」
「まさか。セオドア・ハルトに限っては、それはないと思うね。セオドア・ハルトは恐らく神殿に連れ帰る人間の鑑定なんてしていないだろう。その証拠に、彼が神殿に紹介した人間は他の誰よりも多いが、質は誰よりも悪いんだ。彼が連れ帰った人間の中に三位以上の人間はいない。しかも洗礼が終われば興味を失くしたように放置だ。それなのに神殿での彼の評価が高いのは、彼の力量のせいか、それとも還俗料で稼いでいるせいか、わからないけれどね」
「へぇ?それで?」
「私が感じただけだが……彼は伴侶を欲していない気がする。ハルトの中でも一位二位を争うほど強い力を持っている彼の子供を、鳥飼どもが欲さないわけはない。鳥飼どもが彼の寝室に美女を用意したことは数知れず。時には薬まで使ったらしい。けれど彼は誰にも手を出さないどころか、彼女たち曰く『役にも立たなかったらしい』。それこそ、男色ではないかってまことしやかに囁かれるくらいだ……恐らく、君の大事な彼女にも執着はないと思う。それなら、僕が保護することはたやすいはずだ」
中々に斬新な説ではあるが、あの気障野郎がイヴに何の感情も抱いていないという言葉には頷けない。あの男の目にはイヴに対する何某かの感情――はっきりいうと、イヴに対する好意や欲望――があった。そうでないと、僕に突っかかったりしなかっただろうし、彼女に寄り添ったりもしなかったはずだ。
「君はセオドア・ハルトの彼女に対する態度を見たことが?とても、どうとも思っていない人間に対する態度とは思えなかったけれどね」
「残念ながら、リザム嬢には接触できなかったし、裁判にも臨席できなかったから、見てはいないけれど……。洗礼を受けるまではともかく優しいのは、彼の常らしいよ。
それでも、彼の態度が今までと違うって言うのなら彼の目的はリザム嬢でなく、君だと言われた方が私には納得できるね」
とんでもない発言に鳥肌が立って、思わず「うげぇ」と呟いていた。ようやく僕から感情を引き出せたのが嬉しいのか、ジーンは楽し気に声を出して笑った。冗談か?冗談だよな?何をおいても、冗談であってほしい。あの気障野郎が僕を?考えただけで吐き気がする。
「それで、セオドア・ハルトがイヴの手を離したら、君が保護してくれるということか。正直、嫌な話を聞いたと思わないでもないが、まあ、君と手を組んでも良いかとも思ったよ。それで?君の事情を聞かせてくれるかい?僕に何を望む?」
 




