王太子と神殿の魔導師 1
僕にナイフを突きつけている相手は、深くフードを被っているせいで口元しか見えないが、若い男のようだ。唯一見えている男の口が三日月のように歪んだ。笑っている、そう思ったが危機感は全く覚えなかった。目の前の男暗殺者は気配を消すことこそ上手いが、刃物の扱いには慣れていないようだ。はっきり言うと暗殺者としては三流以下だ。僕は風を操って喉元をガードすると、男の手首を思い切り打った。
案の定、男は簡単にナイフを取り落とした。馬鹿だな、その腕で仕事を成し遂げたいなら、後ろから近づいてすぐさま首をかき切ればよかったのだ。
男が取り落としたナイフを爪先で蹴飛ばし、宙にはね上げたナイフを握る。そうして逆に男の喉元にナイフを突きつけてやった。僕の行動に驚いたのか、男は先ほど打たれた手首を触った状態で固まっている。
さて、この男をどうしようか。このまま殺してしまっても良いが、僕がこんな時間に粗末な服でバルコニーにいたことを追及されたら面倒だ。エンデがいれば、始末を任せて良いが、この状態でも出てこないあたり、不在か、役に立つつもりがないのかのどちらかだろう。どちらにせよ、使えない。
まあ、いいや、暗殺者のことを考える時間は惜しい。僕の部屋は五階にある。このままバルコニーの外に放り出せば、返り血もつかないし、始末も簡単だろう。僕は風で男を持ち上げると、バルコニーから放り投げた。
そのまま落ちていくかと思ったのに、男はバルコニーの外にふわりと浮かんだ。いったいどこから入り込んだのかと思ったが――どう見ても男の腕は三流以下だったから――どうやら男の獲物は刃物ではなく魔法のようだ。しかも魔導師としては結構な腕前のようだ。
いくら風属性の魔導師でも全員が全員、自分の身体を持ち上げることはできない。というか、普通の魔導師ではまず無理だ――空を駆けることができるとバレていたら、僕の夜歩きは難しかっただろう――。自分の身体を持ち上げるほどの量の風を操る術は、とんでもない魔力と卓越した技術が必要なのだ。この魔法は失伝一歩手前の魔法で、王宮の図書室の隅で埃を被っていた魔導書を読んで手に入れたものだ。目の前の暗殺者はどうやってこの魔法を知ったのだろうか……。
目の前の暗殺者は卓越した魔導師のようだが、だからこそ甘く見るわけにはいかない。卓越した魔導師を殺すのは惜しいが、敵対するのなら仕方が無い。このまま殺してしまおう。僕が手に魔力を集めようとした瞬間、男はフードを脱いで両手を上げた。
「降参。ちょっと趣味の悪い自己紹介だったと思うけれど、親戚の誼でなんとか矛を収めてもらえないか?」
親戚の誼……?なんだか面白いことを口にした男をまじまじと見たが、フードから覗いた顔には見覚えがない。けれど、なぜか親近感のようなものを覚える。いや、これはこの男が『親戚』だなんて口に出したからかもしれない。
僕の部屋から漏れるぼんやりとした光の下で見た男は僕と同じくらいか、少し年上くらいのようだ。中々整った顔をしているが、目つきだけがやけに鋭い。
「悪いが君の顔には見覚えが……」
ない、そう言いかけて先日の長の言葉を思い出した。そう、表向きの僕の祖母はルーク家から嫁いできた『リーゼ』だが、本当の祖母は籠の中の小鳥だと――名前は何と言ったかよく覚えていない――。もしかしたら、目の前の青年は籠の中の小鳥の縁者ではないだろうか?
「ははっ、思い当たることがあるなら、真実を知っているんだな。私はジーン、王家の血はほとんど入っていないが、一応、君の従兄にあたる」
僕の言葉が途中で止まったせいか――驚愕が顔に出ていたとは思いたくない――ジーンと名乗った青年はふわりとバルコニーに降り立つ。
「話があるんだ、ひとまずは中に入れてくれないか?」
そう言って微笑んだ顔はやはり、他人のような気がしなかった。さて、どうしたものかと思ったが、この男の話も聞いてみたい。今夜は外出する予定だったから、使用人たちは下がらせているし、出てもこないエンデに気を遣う必要もないだろう。僕は頷いて、部屋に通じるテラスドアを押した。
「お茶を出したいところだが、人を呼ぶわけにはいかないだろう?寝酒くらいならあるけれど?」
「いや、酔っ払うと魔法の制御ができなくなるから、遠慮するよ。殿下と違って自由自在ってわけじゃあないんだ。神殿からこっそり抜けてきたから、戻らないわけにもいかないしね」
神殿と言う言葉に、反応しそうになるが、自制する。しかし、探そうと思っていた人間がこのタイミングで飛び込んでくるなんて、作為的なものを感じてしまう。ここまで都合がいい展開はあり得ない。なにか裏があるに違いない。それを気取られないように、微笑みを浮かべて、ソファーに座るよう、促した。
彼が何をしに来たか、分からないが僕から口を開くと、相手にいらぬ情報を与える可能性がある。それに、神殿に帰らねばならないジーンにはタイムリミットがあるはずだ。黙っていても、遠からずあちらから話を切り出してくるだろう。
そう思って彼の顔を見て初めて気づいたが、彼は水色の髪と、とても水色に近い碧眼をしていた。彼の瞳を見て、疑念が確信に変わった。僕と同じ、実に珍しい瞳の色を持つ彼は間違いなく、僕の縁者だろう。
あちらも先に口を開くのは嫌だと思ったのだろう、お互いに黙って微笑み合っていたが、タイムリミットが近づいたのだろう。案の定、ジーンは笑みを深くした後、先に口を開いた。
「実は、殿下に私を売り込みに来たんだ」
「へぇ?売り込み、ね。それは、またどうして?君は恐らく神殿でも高い地位にいる――恐らく二位の魔導師だろう?結構な地位にいる人間だし、僕にすり寄る必要はないんじゃないか?」
「狡猾な鳥飼共を信用しろと……?何よりも僕の欲するものを得るためには神殿はむしろ邪魔だ」
どこまでも僕が欲している人間に合致するジーンがどうにも怪しく、あえて煽ってみたが、彼は激昂することなく、受け流した。しかも、僕の興味を引く言葉を付け足すあたり、中々の策士のようだ。
「君のほしい物、ね。神殿が二位たる君に与えることができないものを、僕が与えることができるのかな?」
「もちろん。むしろ、君以外は与えることができないと言ってもいいだろうね」
「へぇ……?それが何かは気になるが、僕のメリットはなにかな?それに、なぜ、今このタイミングで僕を訪ねたかも知りたいな」
「ハハッ、確かに君たちの話を盗み聞きしたのは謝るさ。けれど、中々大神殿から出られない身でね、ようやく外に出られたこの機を逃すわけにはいかなかったんだ。ずっと接触したかった君が今日王宮を抜け出すのを見て、悪いと思ったんだが、後をつけさせてもらった」
「君が?参ったな、全く気配を感じなかったな」
「つけたのは、私の手の者だよ。さすがに、あの速さで駆ける君より先に王宮につける自信はない」
ジーンは苦笑すると、軽く肩をすくめた。つまり、僕の後をつけることができて、その上、僕らの会話を盗み聞き、しかもそれを僕が帰ってくるまでに伝えられる人間を抱えている、ということか。中々に貴重な人材だ。できれば引き抜きたいところだ。
「もちろん、君を出し抜くのは並大抵のことじゃない。君が僕を買ってくれるというなら、手札は開示するし、方法も教えよう」
「中々魅力的な話だけれど、少し弱いね」
「もちろん、本題はここからだ。君が私の願いを叶えてくれるというなら君の大事な姫は私が保護しよう」
確かにイヴの護衛がほしかったところだが、取引材料にイヴを出されるのはどうにも不快だ。そもそも、ジーンにイヴを保護するだけの力があるのだろうか?風の魔法を使うジーンは――光属性の持ち主は他の属性の魔法を使えないはずなので――光属性の持ち主ではない。ジーンの力量を見るだに、結構な使い手のようだが、それでも地位はハルトよりも下だろう。
そんなジーンがあの気障なハルトからイヴを奪取できるとは到底思えない。
「君にそんな力があるとでも……?他のことはともかく、彼女のことに関しては、僕は極端に心が狭くてね。嘘を言ったり、だまそうとしたりするならば、いくら自称親戚でも許すつもりはないけれど……?」
目の前に座る青年に視線を投げかけると、その身体をびくりと震わせた。そう、僕は彼が縁者だろうと確信しているが、表向きには父の母は、リーゼ様なのだ。それにまだ正式に名乗られていない以上、この場だけでも、親戚と認めるわけにはいかない。
僕の威圧に怯んだのか、ジーンの顔色は白く、脂汗も浮かんでいるようだが、それでも微笑みを浮かべているあたり、中々に肝は座っているようだ。ジーンは乾いた唇を舐めると、口を開いた。
「こう見えて、私は二位の中でも五指に入る実力者だ。風の派閥の長でもある。私が弟子にしたいと一言いえば、神殿は拒否しないだろう」
「彼女を連れて行ったのは、ハルト殿だ。そのハルトに君が勝てるとでも……?」
「リザム嬢をお連れしたのが、セオドア・ハルトだから、この提案をしている。もちろん、前提としてリザム嬢が光属性の持ち主ではないと仮定した場合の話だが」
「それなら心配ないだろう。ここ近年、クライオス王家には光属性の人間は生まれていない。光属性の持ち主の誕生を渇望している王家は、王家に入った妃や生まれた姫にも属性鑑定を徹底しているが、それでも光属性持ちは見出されていない。もちろん、王家に連なる家系である四公爵家の誰にも、だ。だから、万にひとつでも、イヴが光属性を持っているとは思えないね。
そもそも神殿が光属性を独占している今、王家に光属性が生まれたら、国を挙げての祭りになるだろうさ。その上で、光属性が顕現した人間は王家が手厚く保護するだろうが……そんな事態はここ数百年起こっていない」
「それなら安心だ。基本でハルトの弟子は、光属性を持つ者に限られる。だから、リザム嬢がただの二位なのであれば、僕なら保護下に置けると思う」
「基本で、ということは例外も?」
「ああ、あるね。まあ、ぶっちゃけると、そのハルトが娶りたいと思った相手の場合は他に弟子にやらずに自分の手元に置くだろうね。魔法を教える弟子、というよりも花嫁としてね」




