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一難去ってまた一難 3

 カーテシーをしようとして、もう自分が貴族ではないことを思い出す。たった今、貴族として生きていくことをはっきりと拒絶したのだ。貴族の令嬢の立ち居振る舞いはしない方が良いだろう。軽く頭を下げて、踵を返し、セオの方を見る。まだ、セオの周りには人垣ができていて、動けなさそうだ。彼の瞳は周囲の人間に向けられていて、私を映していない。そのことになんとなく心細さを覚える。あぁ、いけない。セオにどんどん依存していっている。よくない兆候だ。


 セオに指示された通り、エレムさんを伴って宿屋に帰るべきだが、エレムさんは声をかけても、反応しない。このまま置いて帰ってもいいものなのか、少々悩む。けれど、もうテレンスと一緒に居たくない。特に、セオがいなくなってからの狂気を孕んだテレンスの態度は不快としか言いようがない。何より彼は危険だと私の中の何かが警鐘を鳴らしている。

 

「エレムさん、大丈夫ですか?エレムさん?」

 

 エレムさんの顔を覗き込みながら、声をかけるが、反応がない。一人でも帰るべきかもしれない。そう思って宿屋に向かおうとした瞬間、背中から笑い声が聞こえた。肩越しにテレンスを伺うと、引くほど大笑いをしている。しかも、彼の目は私に向けられており、その目はどこまでも楽しそうだ。彼に対する不快感を隠していないし、あれほど、はっきりと拒絶したのに、ちっとも気にした様子がない。言葉が通じていない様子にますます背中が凍る。


「良いわ〜、やっぱりこうでなくっちゃね。奇麗なだけのお人形さんじゃつまらないし、何よりも、自我のないお人形さんなんてあの方には相応しくないもの。

でも、困ったわ。強情なんだもの。……ねぇ、エヴァちゃん、もしかしてもうセオドアと寝た?」


 もうテレンスがなにを言おうと無視をしようと思っていたけれど、最後の言葉だけは看過できなかった。思わず、テレンスの顔を引っぱたいていた。力が入りすぎたせいか、それとも油断していたのか、テレンスは思い切り地面に尻をついた。

 やり過ぎとは思えなかった。今まで大切に守ってもらえていたことや、昨夜、辛そうにしていたセオの顔が頭に浮かんで、腹が立って仕方が無い。セオの優しさを下卑た妄想で踏み躙られた気がして、どうしても許せなかった。


「恥を知りなさい」


 尻餅をついたまま、テレンスは俯いてプルプルと震え出した。この後どう出てくるかと、注視していたら、テレンスはガバッと顔を上げた。


「素敵!やっぱり貴女は相応しい方だわ!本当にあの方が執着されるほどの人間か、一度試してみようと思っていたけれど、想像以上ね。いいわぁ、なんとしてもあの方の元へ連れ戻さなくちゃ…」


 そう言いながら、テレンスは私に叩かれた頬を嬉しそうに撫でる。その瞳はキラキラと輝いていたけれど、やはり、ここではないどこかを見ている様で、空恐ろしさを感じる。テレンスの瞳が不気味に光る。これ以上見続けてはいけないと本能が警鐘を鳴らすのに彼の瞳から目を逸せない。


「貴女はこんなところにいるべき人間じゃないの。自分が一番わかっているでしょう?殿下はずっと貴女を想って――貴女の帰りを待っているのよ」


 殿下……?何故、ジェイドの名前がここで出てくるのだろうか?あの方とはジェイドのこと……?それならば、もう、私には関係ない。私は彼の望む役割は果たしたはずだ。これ以上、私に何の用があるというのだろう。混乱する私を尻目にテレンスは嬉しそうに続ける。気分が悪い。テレンスの言葉を聞けば聞くほど、考えが纏まらなくなる。まるで高熱が出た時の様に頭がグラグラして、吐きそうだ。


「ねぇ、何も知らないわけじゃないでしょう?気づかないふりをしているだけなんでしょう?だって、殿下はあんなに貴女のことを想っていらっしゃるんだもの。気づかないなんてこと、あるはずがないわよねぇ?」


 テレンスの言葉が頭の中をぐるぐると回って、気持ちが悪い。あまりの気持ち悪さに、涙が零れそうになる。


「ほら、殿下に愛されているって、本当は分かっているんでしょう?……ねぇ、思い出してご覧なさい?」


 いいえ、知らない。ジェイドが私のことを愛しているはずなんか、ない。確かにジェイドは私を睨みつけたり、無視したりはしなかった。たくさん贈り物をしてくれて、たくさん私に触れてくれた。

 けれど、最終的にジェイドが選んだのはサラだった。私には見せない顔で笑いかけて、私に隠れてキスをして、デビュタントでも私を放って、ずっと一緒に踊っていた。しかも、仲睦まじい様子を私に見せつけ、諫めた私を馬鹿にしたように笑っていたのに、今更、愛していたなんて言われても信用できるはずがない。

 それも、本人が言うのではなく、知己でもない第三者が『殿下は貴女を愛していた。それなのに殿下の元から去った貴女が悪い』と私を責め立てるのだから、辟易してしまう。


 なんで、ラウゼルも、テレンスも、今更になって、おかしなことを言うんだろう?彼らよりも、私の方がジェイドのことを知っていると思う。私の方が、ジェイドのそばにいたのだから……。

 それなのに、私すら知らない、なにを彼らが知っているって言うんだろうか?もう、放っておいてほしい、外野がとやかく言わないで。

 あの事件の最中も、事件の後も、ジェイドはずっとサラといた。最後までジェイドの隣はサラのものだった。どこまでも、ゲームのシナリオ通り、ジェイドの心はサラのものだった。……私は利用されただけの、ただのモブでしかなかった。


 私だって、ジェイドのことが好きだった。彼の手が欲しかった。

でも、ジェイドは私じゃなくて、サラを選んだのだ。だから、身を引いたのに……。


 もう、これ以上私を惨めにさせないでほしい。何故か、涙が溢れた。もう、吹っ切ったはずだった。もう二度とジェイドのために涙を流すことなんてないと思ったから、セオとここまで来た。私の進むべき道だって、見つけたというのに……。


 それなのに、一緒にお茶を飲んで、色々と話をして、唇を重ねたジェイドの顔が頭に浮かぶ。心が引きちぎられそうだ。確かに、時折、ジェイドのことを思い出すことはあった。でも、それは、ふと頭によぎるだけで、こんなに鮮明に思い出すことはなかったのに……。


 何故だろうか、足元がふわふわする。頭がぼうっとして、今自分がどこにいるのか、何を見ているのかすら、わからなくなってくる。それなのに、聞きたくない声だけは聞こえてくる。


「さぁ、貴女のいるべき場所へ帰りましょう?殿下が待っているわ」


 違う、私の居場所はジェイドの隣じゃない。ジェイドの隣はサラのものだ。テレンスの言葉は私には受け入れられない。

 私の居場所は……私が居たい場所は……いつもそばにいて、守ってくれる、セオの隣だ。私は必死に首を振った。


「もう、顔に似合わず強情ね!殿下も貴女のそこが良かったのかしら?困った子ね!ねぇ、悪いことは言わないから、貴女のいるべき場所に戻った方が良いわ。……誰のためにもそれが良いと思うわよ?」


「いいえ……、私の、いるべき場所は、殿下の隣ではありません」


 気持ちが悪いのを我慢して、必死で声を振り絞った。ひと言、口に出したら、その後はつっかえずに言葉が出てきた。テレンスは驚いた様に目を瞠った後にいっそう深く笑った。


「ねぇ、貴族の令嬢がいくら入殿したとはいえ、一人で生きていけると本気で思っているの?言ったでしょう?籠の鳥は外では生きていけないわ。取り返しのつかない事態になる前に、殿下の元へお帰りなさいな」


「いいえ……私はもう子爵家の子女ではありません」


「ええ、そうね。リザム子爵が爵位を返上した以上、今の貴女は、子爵家の令嬢ではないわね」


 テレンスの言葉に思わず、息を呑む。どれだけ驚いたとしても、顔に出してはいけない。分かっていたはずなのに、急に告げられた言葉に動揺してしまう。お義父様とお義母様に何かあったのだろうか?いや、テレンスは信用できない。嘘を言っているかもしれない。そう思うのに、動悸が止まらない。


「ご存じなかったの?貴女が王都から去ってすぐの出来事よ。疑っているかもしれないけれど、嘘じゃないわよ?こんな洒落にならない嘘をつく趣味はワタシにはないもの。

 子爵夫妻が爵位を返上したのは、()()()()()よ。お二人は、貴女が殿下の婚約者を辞退したから、爵位を返上したの」


 嘘だ、そう言いたかったのに、何故か、テレンスの言うことは嘘ではないと分かってしまう。テレンスは私の顔を覗き込んで、にやりと笑う。彼の瞳に映る私は、衝撃を受け止め切れず、呆然と立ち尽くしている。


「逃げ出したりせず、大人しく貴女が殿下に嫁いでいたなら、子爵夫妻も爵位を返上せずに済んだでしょうに」


 私がなにも言えずにいると、テレンスはふふふっ、と笑った。なんとも言えない、不気味な笑顔だった。


「ざ〜んねん。顔に出てしまったことは落第。でも、完璧すぎるのも面白くないし、なにより可愛らしいから、それはそれで良いわぁ。可愛らしい貴女に、情報をあげる。貴女の義父母はスライナト辺境伯領に行かれたのよ。今、この国で一番危険な場所へ」


「どうして……」


 スライナト辺境伯領……。現在一番力があるハルトが行方不明になった土地。アンガスも問題があると言っていた土地……。そんなところにお義父様とお義母様が……?


「さあ?どうしてかしらね?ねぇ、戻りたい?鳥籠の中へ戻る気になった?貴女が殿下の元へ戻って、褥で可愛らしく『助けてください』っておねだりしたら、すぐに解決するわよ?殿下はきっと、すぐにハルペーを殲滅して、子爵夫妻を王都へ戻して下さるわ」


 テレンスはそう言ってにっこりと笑った。なまじ顔が整っているだけ、彼女の笑顔は醜悪に映った。気持ちが、悪い。いやだ、これ以上ここにいたくない。この人の話はまるで泥の様で、何かがベタベタと私の心に絡みつく。彼女の言葉は私の心に、澱のように沈んでいく。


「さぁ、私の手を取りなさい。すぐに王都へ戻るのよ。入殿に関しては、私がなんとでもしてあげるわ」


 テレンスは私の方へ歩を進めると、その手を差し出す。


「子爵夫妻が心配ではないの?今こうしている間も危険な目に遭っているかもしれないのよ?私と共に、すぐに王都へ戻りましょう。貴女がこの先、一生涯、殿下のそばで愛らしく囀ると約束するなら、すぐに殿下は許してくれるし、お願いも聞いてくれるわ」


 テレンスは手を差し出したまま、私へと近づいてくる。この場から――彼女から逃げたいのに、私の足は縫い止められた様に動かない。そんな私を見て、テレンスはその顔の笑みを一層深くする。先ほどと打って変わって、彼女の瞳は夢見る様なものから、捕食者のそれになっていた。


「なにを迷うの?あまり、聞き分けがないと貴女の大切な人が危ない目に遭うわよ?このまま、強情を張って神殿にいたら、セオドアだって危険な目に遭うわ……()()()()()()


 一番聞きたくなかった言葉をテレンスは口にする。私が一番怖かった言葉。先ほど、私が危惧した事態……。やっぱり、私のせいなのだろうか?


()()()()()()()()よ。そのせいで、貴女の周りの人は危険な目に遭うの」


 ぱきり、と胸の奥で何かがひび割れた様な、何か大切なものが壊れた様な、音がした。胸が痛い。気分が悪い。何か決定的なものが損なわれてしまった気がする。けれど、それが何なのかは分からなかった。

 もう何も考えられなくなって、せっかく展開した魔法も維持できなくなって、ぼんやりと立ち尽くす私にテレンスは続ける。


「貴女がその身を差し出しさえすれば、子爵夫妻もセオドアも、助かるのよ?」


 そう、言われて、何も考えられなくなった私は発作的に、差し出しされた彼女の手に、自らの震える手を重ねた。テレンスは私の震える手を掴むと笑みを深くした。


「つ~かまえた」


 テレンスがそう言った瞬間、私の意識は闇に呑まれた。

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― 新着の感想 ―
え…主人公はまだ王子に未練があったの…? セオとあれだけイチャイチャしてるのに(笑) 王子ENDが消えてなくて嫌な予感がしてきました…あはは。
[良い点] ハラハラ展開で、どうなるのだ…?と思いながらスクロールしました…! キャラクターが魅力的なだけに、文章から情景が目に浮かぶようです! [一言] 初めてコメントさせていただきました。 面白す…
[一言] すでに各家のことは半分も覚えていられない… 誰が誰だか分からなくなっています。 また増えたし…
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