一難去ってまた一難 1
「あらぁ、奇麗!素敵!やっぱりこうでなくっちゃね!でも、残念、これはこれでお似合い……有りね。や~だ、どうすべきかしらぁ。やっぱり美人は得よね~。ねぇ、セオドア?」
身もだえする様にして、騒ぐ人物を目の前にしてどう反応すれば良いのか分からず、私は呆然と立ち尽くしている。護衛さんたちもどう対応して良いか分からない様だ。姿絵の店の前で並んでいる人たちも、物珍しそうにこちらを見ている。それも仕方がないことだと思う。
だって結構な長身のセオよりも背の高い、美人といってもいい程、奇麗な顔立ちの男性が身をくねらせながら、黄色い声をあげているのだから。
セオだけが冷たい視線をその人物に向けている。アンガスに向ける視線とはちょっと違うようだが、呆れている様子を隠そうともしていない。なんだろう、セオの知り合いってちょっとばかりおかしな人が多い気がする。……いや、今日あった二人がちょっと突き抜けているだけだと思いたいけれど……。
私たちがひと言も発さないことに気づいているのか、いないのか、男性……いや、女性と言った方が良いのだろうか?はエメラルドグリーンの髪を振り乱しながら、身体を震わせている。ちょっと、どう声をかけて良いか分からない。できれば関わり合いになりたくない。許されるなら、見なかったことにして帰りたい。
結局、アンガスの要請に従い、姿絵の店から出た先にいたのは、目の前の人物だった。確かに王家の紋章が入った馬車が近くにあるし、セオの名前を出しているから、彼――彼女?どっちで呼べばいいか分からないから、とりあえず彼で統一しようと思う。だって、言葉遣いは女性的だけれど、来ている服は男性ものだし――がクライオスからの賓客だと思うのだけれど、結構王家に近い場所にいたはずの私でも、彼に会ったことはない。こんな目立つ人を見逃していたはずないし……いったい誰なんだろう?セオとは知り合いの様だけれど……。
ひと言も発さない私たちに焦れたのか、「ちょっと~」と言いながら、彼は近づいてきて、セオの肩に触れようとした。さすがにそれは見過ごせないかったのか、呆然としていた護衛さんの一人がセオの前に出て、彼を取り押さえようとした。
「ちょっとぉ、手を放してくれない?ワタシはセオドアの友達なのよ」
彼がそう言うと、護衛さんは素直に手を引く。先ほどの勢いはどこに行ったのか、大人しく道を譲る。あまりの変わりように少し驚いたが、特に怪我をしたような雰囲気はない。そんな護衛さんを満足そうに見ると、彼はセオに向かって手を振った。
「はぁい、セオドア。お久しぶり~。元気してた~?」
「やあ、テレンス。元気そうで何より。けれど、用事がないときは話しかけるなって言っていたと思うが、いったい何の用だい?わざわざ私を指名したんだから、それはもう大事な大事な用があるんだろう?」
「いやあね、用事がないと会わないなんて、つれないこと言わないでよ。ワタシとあなたの仲じゃないの。それにテレンスなんて呼ばないで。テレサって呼んでって言っているじゃな~い。ねぇ、一年ぶりかしら?会いたかったわぁ」
彼――いや、本人の自己申告が女性名だから彼女が正しいのか?でも、もう面倒だから彼で統一しよう――はそう言って、セオにしなだれかかる。派手な雰囲気と色彩を持つテレンスは長身なことも相まってたいへん目立つ。セオにしなだれかかるテレンスに周囲の女性たちまで黄色い悲鳴をあげだす。この世界にも腐女子が存在するのだろうか?確かに気持ちは少し、ほんの少しだけだが、分からないでもない。
セオは言うまでもなく、華やかな美貌の持ち主だし、テレンスもセオほどではないが、少し甘めで端正な顔立ちをしているし、色彩も華やかで人目を引く。エメラルドグリーンの髪の一部分だけが鳥の尾羽の様に伸ばされていて、少し甘めの美貌は、どことなく小動物っぽい。なんとなく、前世で見た『ケツァール』という、世界で一番美しいと言われている鳥を彷彿とさせる。
「それで?用事はないんだね?……あのさ、いくら君でも連れがいるのは分かるだろう?遠慮してくれるかい?できれば永遠に」
「もう、いっつもひどいんだからぁ。でも、そこが良いわ!」
そう言うと、テレンスは手を伸ばして、セオの首の後ろに手を回すとセオの頬に唇を落とした。いきなり頬にキスをされたセオは、この場の誰よりも――周りで一層大きな声をあげるご令嬢や、つい動揺してしまった私よりも――冷静で、無言のまま、テレンスの頬を思い切り押した。「ぶぎゅっ」と変な声を出すテレンスをそのまま、地面に押し付けるようにして自分から引き離す。テレンスはそのまま体勢を崩し、地面に倒れこんだ。結構痛そうな転び方をしていたので、ちょっと心配になる。けれども、座り込んでセオを見つめる目が輝いているので、心配は必要ないようだ。
テレンスは「うふふふ」と笑いながらすくりと立ち上がると、セオの手に抱きつく。なんだろう?なんというか……正直、ちょっと異様だ。
テレンスは笑いながら、セオの背に庇われている私の顔を覗き込んできた。うぅ、なんだか怖い話に登場しそうだ。アンガスとは違うベクトルで怖い。テレンスは至近距離でまじまじと私の顔を見つめると赤い目をくりくりと動かした。セオは「近い」と言って彼の手を振りほどくと彼の額を押して私から距離を取らせる。
「うふふふふふぅ、お連れ様は存じ上げているわ。エヴァンジェリン・クラン・デリア・ノースウェル・リザム嬢でしょう。思った以上ねぇ。やっぱりこうでなくちゃ」
楽しそうに笑っているが、テレンスからは何となく鬼気迫るものを感じる。しかも、テレンスは言葉遣いこそ女性のものだが、声は男性のものなので、ものすごく違和感がある。そして近くで見たから気づいたのだが、彼はうっすら化粧までしていた。この国では男性が化粧をすることはまずない。つまり、彼は所謂、美の求道者っていう類の人種なのかもしれない。まあ、私には関係がないので彼がどんな人間でも構わないけれど。
しかし、どれだけ見ても、ラウゼルに続き、彼の顔も見覚えがない。ラウゼルは貴族ではなかったから当然だが、テレンスの立ち居振る舞いは貴族のものだ。しかも、王家の紋章の馬車で現れるほどの立場にいる人間。
国内の貴族はもちろん、国外の有力な貴族の名前は覚えているはずにもかかわらず、彼が一体どこの誰なのか、全く分からない。相手が分からない以上、下手に口を開くのは悪手だ。ここは彼と親しげなセオから紹介をしてもらってから、会話すべきだろう。そう思ってセオを見上げると、こちらの意を察してくれたのか、頷いた後に、口を開いた。
「テレンス、こちらはエヴァンジェリン・ハルト。俺の弟子で婚約者だ。シェリー、これはテレンス・フォン・ダフナ。ダフナ公爵家の三男だ」
「いやぁねぇ、テレサって呼んでっていつも言っているでしょ。エヴァちゃん、ワタシのことは、どうかテレサって呼んでね」
首を傾げて笑うテレンスは小動物の様で、なんだか可愛い。だからこそ、おかしい。こんな目立つ人が噂にならないはずはない。いくらほかの令嬢とは疎遠だったとはいえ、私の耳に入って来ないはずがない。
しかも、私が王妃教育で習った時にはダフナ公爵家には次男までしかいなかった。何より、テレンスが本当にダフナ家の人間なら王家の馬車で現れる理由が分からない。近年、ダフナ家は神殿と必要以上に懇意にしているせいで、クライオス王家との仲は険悪だ。しかし、『貴方のことなんか知りませんでした』とも『どうしてダフナ家のあなたが険悪なはずの王家の馬車で現れたんですか?』なんて言えるはずはない。私はにっこりと微笑んだ後に軽く会釈をして口を開いた。
「お初にお目にかかります。エヴァンジェリン・ハルトと申します」
「よろしくね。仲良くしてくれると嬉しいわぁ。だって長い付き合いになると思うもの」
「別によろしくなんかしなくて構わないよ。長く付き合うつもりもないしね」
「もう、本当につれないんだからぁ。神殿のハルト様がそんなので良いの~?もっと優しくしてくれなきゃ…」
「くれなきゃ?」
「泣いちゃうゾ!」
「どうぞ、ご自由に」
素っ気ないけれど、アンガスとは違い、テレンスに関しては、きちんと相手をしてあげているようだ。セオには珍しく、取り繕った様子がないことに少しだけ驚く。軽口を叩きあえるほど仲が良いのだろうけれど、テレンスはどこか不安定で、危険な匂いがする。できれば関わり合いになりたくないと私の中の何かが警鐘を鳴らしている。もしかしたら、先ほどから濃い人間が続いているから過敏になっているだけかもしれないけれど、それでも、なんだか嫌な予感がする。
「さ、行こうか。シェリーちゃん。あいつのことは今すぐにでも忘れていいよ」
そんな私の様子に気づいたのか、セオは私の腰を抱くとテレンスに背を向けた。テレンスは「ちょっと待ってよ~」と声を上げながら駆け寄ってくると、空いているセオの手に抱きつき、甘えた声を出した。
「もう、ちょっとはお話させてよ~。彼女、セオドアの婚約者、なんでしょう?」
「必要性を感じないね。そもそもお前が外に出ているってことは何らかの厄介ごとを抱えているんだろう?私を巻き込むつもりかもしれないが、お断りだ。そう何度も迷惑をかけられてたまるか」
「うっふっふっふ、任務がなくてもワタシは好きなところへ行けるの。だって、あの方が迎えに来てくださったんだもの。ワタシは自由なの!だからワタシはもうどこにでも行けるのよ。まあ、あの方のそばから離れようとは思っていないけれど」
「へぇ、そうかい。よかったね、おめでとう。さっさとその新しい飼い主のところに帰ったらどうだい?それじゃあ、そういうことで。
さて、シェリーちゃん。なんだかケチが付いたからどこか違うところに行こうか。行きたいところある?」
セオがテレンスの腕を振り払って歩き出そうとした時、熱に浮かされた様な瞳をした少女たちが行列から外れてこちらへやって来た。彼女たちは吸い寄せられるかの様にセオの傍によると手を突き出した。




