令嬢は新たなハルトに出会う 3
「冗談だよ。いつも飄々としている君にそんな顔をさせることができるなんてね。そんなに彼女を囲いたいなら、いつまでも神官に甘んじていないで、執政官になるべきじゃないか?上を目指す気概はないのかい?今のままじゃ、彼女の様に犬死するだけだと思うけれど……?」
セオと私の冷たい視線に気づいているだろうにアンガスは口を噤むつもりはない様だ。人を小馬鹿にしたような彼の物言いはとてつもない悪意を感じて、正直、不快だ。
「これを言うのは、何度目か覚えてはいないけれど、執政官になるつもりはないね。神殿に縛り付けられる人生なんてまっぴらだ。君と違って檻の中で暮らす趣味は私にはないんでね」
「だからって七聖の一か二と呼ばれる君が、このまま雑用係で終わる方がおかしいだろう」
「そんな呼び方を私は許したことがないよ。そんな呼び名が欲しいなら、君が取るといい。……私は私のしたいことをしているまでだ。とやかく言われる筋合いはないね」
「本当に君は……いや、君たちは欲がないよね。まさか、未だに人を救いたいなんて馬鹿なことを思っているわけじゃないだろう?僕たちは選ばれた人間だ。ハルトの中でも、特に優れている、まさに神の愛し子と呼ばれる存在だ。そんな僕たちが愚民どものために身を削る必要がどこにある?」
「私は私のできることをするだけさ。今までも、これからも。アンガス、私は他人の人生に嘴を突っ込むつもりはない。君もそうしてくれ。」
「できること、ね……いつも命を危険にさらすことが正しいと?神の愛し子たる僕たちがすることではないだろう。君ほどの力があれば、すぐに神殿長になれるだろうに……。
けれど、セオドア。君だってわかっているだろう?このままじゃあ彼女を守るどころか、自分の命ですら危ういってことを」
「こんな仕事だ。いつ命を落としても不思議じゃないとは思っているけれど、黙って命を落とすつもりはない。……だから安心して良いよ」
硬い言葉の後に続いた言葉は私にかけてくれたものだろう。その声はどこまでも柔らかくて、だからこそ、恐ろしい。セオが命を落とす未来が遠くなく訪れそうで……。
「ハハハ、今の君は神殿の命令に逆らえないだろう?それでどうやって抗うつもりなのか、お手並み拝見と行きたいところだけれど……良いことを教えてあげよう。ここだけの話だが……ギャレットが行方不明だ。あの地の状況を鑑みるだに……恐らくは生きていないだろう。スライナト領は最近問題があるからね……。恐らく君に話が行くよ、セオドア」
突然のアンガスの言葉に息を呑む。ギャレット【新しい攻略対象者】が死んだ……?
そして、そんな危険な地にセオが行って……死ぬかもしれない……?
なにが起こっているのだろう?ゲーム上ではギャレットとセオは何の関係もないはずだと思うが、ギャレットのルートを知らないから、分からない。
けれど、この展開は私がシナリオから逃げたせいだとしたら……?私が、シナリオから逃げたせいで、セオが危険な目に遭うのだろうか……? この先、私はなにをするのが正解なのか?幸せに生きていきたいと思ったのがいけなかったのだろうか?私がセオに頼ってしまったのは間違いだったのだろうか?どこで道を間違えたのか……目の前がグワングワンと揺れる。
アンガスの言葉は悪意の塊だ。雪の様に降り積もって気づけば身動きができなくなりそうだ……。セオに申し訳なくて俯いた私の腰に添えられたセオの手に力が籠る。見上げたセオは私に笑いかけてくれたが、返って申し訳なくなる。
「無事に生きて帰れればいいね、セオドア。僕も君の生還を待っているよ。……まあ、万一の場合は僕が彼女を引き取ってあげるから安心するといい」
そう言って酷薄に笑うアンガスの後ろから、身なりの良い男性が現れ、そっと何事か囁く。アンガスは男性の言葉に頷くとセオに向かって口を開いた。
「やっぱり、クライオスからの賓客は君を訪ねてきたみたいだよ。君に会いたいと名指ししているらしい」
「何度も言うけれど、今の私の管轄は王宮神殿でなく、大神殿だ。例え王族が来ても私が対応する必要はないと思うけれど?」
「いや、君が対応した方がいいと思うよ。大神殿にとって悪魔と判断されるような人間と付き合いがあったことはバレない方が良いだろう?これは僕なりの厚意だよ、セオドア」
クライオス王家の紋章の馬車と聞いたから、思わずジェイドを思い出してしまったけれど、アンガスの話しぶりでは違うようだ。けれど、クライオス王家の人間で悪魔と呼ばれる人間なんていただろうか?一番怪しいのは魔力が格段に強く、サイコパスの可能性が高いジェイドだけれど、サリンジャとクライオスは表向き友好関係を保っている。クライオスの王太子であるジェイドを悪魔なんて言うわけはないだろう。ジェイドはどこか壊れたところがあるから、下手にそんなことを言ったら神殿を滅ぼしに来そうだし……。ということは、この町に来たのはいったい誰だろうか……?セオの知り合いならば、そこまで警戒する必要はないかもしれない。
思わず怯んでしまったけれど、私とクライオス王家の縁はとうに切れている。未だにジェイドが追ってくるかもしれないなんて、自意識過剰だったかもしれない。しかし、セオにときめいているというのに、未だにジェイドのことが頭から離れない私は気が多いのだろうか?そんなことはないと思いたいのだが、折につけジェイドのことを思い出してしまう自分がいるのは否定できない事実だ。我が事ながら、未練たらしくていやだ。
「わかった。私が対応しよう。けれど、ひとつだけ言っておくが、別に彼との付き合いは神殿に隠してはいない。きちんと大神官様に報告している。その上で、大神官様が問題ないと判断されている」
「ふぅん……、本当に正直に話したのかな?……まあ、いいや。そういうことにしておこうか。じゃあ、頼んだよ。そうそう、エヴァンジェリン。もし、セオドアに捨てられたら僕を訪ねておいで。君ならいつでも大歓迎だよ」
嫌味な発言と気色の悪い笑顔を残すとアンガスは踵を返す。途中で現れた男性がセオに頭を下げると、アンガスに続いた。後に残ったのはセオと私と姿絵の店の従業員二人だけだ。
まるで嵐の様だった。しかも、結構な爪痕を残して去る様な、はた迷惑な嵐だ。
「大丈夫だったかい?結構、強烈だっただろう?」
セオが気遣わし気に声をかけてくれるが、私は首を振る。だって、今思うと私は一言もしゃべっていない。
「ううん、セオが守ってくれていたから、私は大丈夫。……そんなことより、何か危険な仕事を受けなきゃいけないの?もしかして、私のせい……?」
「まさか。どうして君のせいだなんて思ったんだい?シェリーちゃん」
セオはそう言って私の顔を覗き込む。我慢ができず、つい、聞いてしまったが卑怯な聞き方をしたと思った。だって『私のせいか?』なんて聞かれたら、『そんなことはない』と答えるしかない。ここで『そうだね』なんてセオが言うはずなんかない。
「あぁ、あの馬鹿が変なことを言ったからだね。君を手に入れるために、邪魔な私に危険度の高い仕事を振り分けるなんてことは奴の権限じゃ無理だよ。でも、奴が君に目を付けたのは本当だから気をつけないとね」
セオはそう言って慰めてくれるが、私が無関係だとは到底思えない。アンガスがそんな権限を持っていないという言葉が嘘か本当かは分からないが、私がシナリオから逃げたせいという可能性は否定できない。
でもだからといって気にした様子を見せたらセオが気にするに違いない。なんとか笑顔を作って、うん、と答える。
「あのね、シェリーちゃん。さっき奴が言っていただろう?『七聖』がどうとかって。……君には未だ言ってなかったんだけれどね。……ひとえにハルトって言っても、実力に開きがある。ハルトの中でも特に力が強い人間を、七つのひじりと書いて『七聖』と呼ぶんだ。人によっては七つの星で『七星』とも呼ぶんだけれどね。
まあ書いて字の通り、魔力が高いハルトの上から七人がそう呼ばれる。それでね、あの馬鹿も、今回行方不明になったギャレットも、私も七聖の一員でね。ギャレットですら、どうにもならない状況なら、現状その次に力が強いとされている私が派遣されるのは当然の流れなんだ。だから、君の入殿は関係ないよ」
笑顔を作ったというのに、セオは私が納得をしていないことに気づいたのか、丁寧に説明してくれる。だからといって納得はできないけれど、それでも、これ以上は追及すべきではないだろう。これ以上セオに気を遣わせるのは申し訳ないので、慰めてくれたお礼をセオに言って話を変えることにする。
「でも、セオが私に婚約を申し込んでくれた理由がよく分かったわ。まあ、他の人はあそこまで極端じゃないかもしれないけれど」
「いや、ほかのハルトも、みな似たり寄ったりだよ。嫌味な奴だけれど、アンガスは立場がある分、まだ理性的な方だろうね。ハルトなんて大なり小なり選民意識の塊だから、なりふり構わず襲ってくる奴もいるかもしれない。だから、ほんっきで俺から離れないでね。君は本当に目立つから」
正直、アンガスは怖かったので、セオの言葉に素直に頷く。そんな私にセオも満足そうに頷き返した。しかし、アンガスが自ら『自分は神の愛し子』だと言い出した時は引いたけれども、大なり小なりハルトは『自分は尊い存在』だと思っているのだろうか?すごいな、どんな人生を送ってきたら、そんな風に思えるんだろう?私も一応ハルトだけれど、神に嫌われているんじゃ……?と思ったことはあるけれど、愛されているなんて思ったことはない。
ハルトはセオしか知らないから、考えたことはなかったけれど、神殿のハルトに対する扱いを受けていたらそんな風に思うのかもしれない。破格の対応だし。まあ、女性のハルトは私が思っていたよりも色々と危険かもしれないが……。
「うん、わかった。ねえ、セオ。あなたの言葉通り、そばから離れない様にするから……。危険な任務でも連れて行ってね?」
意を決してセオの手をギュッと握りながら、そう言うとセオの顔が途端に曇った。そう、セオの危機を私が齎したのならば、私は自分ができる限りで、セオを守らなければならない――いや、守りたい。できることなんてそんなにないだろうけれど。でも、だからといってなにもしないではいられない。だから、セオの『離れるな』という言葉は私にも好都合だ。
「できれば君には安全な場所にいてほしいけれど……それがどこかと言われたら確かに考えざるを得ないね。ちょっと、保留にさせてくれるかい?」
「安全な場所?そんなの、あるの?ハルトで、七聖で、執政官なんて地位のある人間に目をつけられているのに……?そんな人に対抗できる人ってセオ以外にいるの?しかも、ほかの人だって、みんな似たり寄ったりなんでしょう?それに、私はセオといたいの」
「もし、奴が言うように、その仕事が本当に私に回ってきたら、ね。だけど、その場合は私の側から離れないこと。俺の言うことに逆らわないこと。あと、魔法の勉強を少し詰めるからね?」
私を連れて行ってくれるような言葉に思わず破顔してしまう。「仕方ないね」とセオも困ったように笑う。
「あのう、そろそろ……」
笑い合う私たちに向かって、後ろで控えていた従業員の男性が声をかけてくれて、ようやく、クライオスからの賓客を忘れていたことを思い出した。




