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ベネディ家の執着 3

「紹介するよ、私の筆頭婚約者候補のエヴァンジェリン・フォン・クラン嬢だ」


 殿下が嬉しそうに彼女を紹介した時、驚きのあまり固まってしまった。生きて、動いている。ついつい凝視したけれど、彼女は嫌な顔ひとつせず、それどころか私に向かって優しく微笑んでくれた。私の髪と目の色に不快を示す人間もいるというのに、彼女はおくびにも出さなかった。なんて美しいんだろう。言葉も忘れて見惚れた私に殿下が不愉快そうな目を向けたが、そんなことはどうでもよかった。彼女を見続けていたかった。こんな奇跡が起こるとは思わなかった。


 そう、彼女はこっそり隠れて入った、父の書斎に飾られている絵画の少女にたった一点を除けば、瓜二つだった。絵画の少女と目の前の少女(エヴァンジェリン嬢)の相違点は瞳の色だ。絵画の少女の瞳は晴れた空を映した様な澄んだ青だったが、エヴァンジェリン嬢の瞳はアメジストの様な美しい紫だった。紫色の方が神秘的で、より魅力的だと思った。


 その後のことはよく覚えていない。ただただ彼女の美しさに魅了されたままで、気がつくと家にいた。あの後、彼女と何を話をしたかも、それどころかどうやって家に帰ったかもわからない。ただ彼女の美しさだけが目に焼き付いていた。昼間会ったばかりなのに、彼女に会いたくて会いたくて仕方がない。居ても立ってもおられず、父の書斎に足を向けた。


 父はこの国の宰相で忙しい人間だが、毎日必ず家に帰ってくる。といっても、私や母と一緒に過ごすわけではない。父は家にいる時間のほとんどは一人で自分の書斎に篭っている。書斎には、父が許可した少数の人間しか入れないので、私たちが父と過ごす時間は、ほぼない。


 父と母は政略結婚で、よく私が生まれたと思うほど、二人の仲はよろしくない。父と母と私は会話のひとつもない。母は私の黒髪と黒い瞳を嫌悪していた。この国では黒い色彩を持つものが生まれることは少ない。それなのに、我が家は黒い髪もしくは黒い瞳を持つ人間が時折生まれる。実際、父の目も黒い。これはベネディ家の特徴なのだが、運の悪いことに私は目も髪も黒かった。母はそれが気に食わず、私を寄せ付けなかった。


「どちらか一方ならまだしも、どちらもなんて……!まるで野蛮人(ハルペー人)の様」

 

 母はいつも私をそう評した。歴史的敵国であるハルペー帝国の人間の殆どが黒髪黒目だ。母はダフナ家の分家の人間でハーヴェー教の熱心な信者でハーヴェーを信仰していないハルペー人を異常なほど嫌悪しているので、私の様な人間が許せないのだろう。ものを知る貴族たちはベネディ家の人間の黒髪黒目は珍しいものではないと知っているが、幼い子供や母の様な狂信者は私を嫌った。

 母は私の顔を見るのが嫌なのだろう、私に関わるのを嫌がり、他所に愛人を作った。そのためいつも外出しており、父よりも家にいる時間は短かった。


 昔、もっともっと子供の頃、母に嫌悪されていた私は父のことが知りたくて仕方がなかった。なので、禁止されているにも拘らず、父がいつもいる書斎にこっそりと入った。今思うと、父の言いつけ通り、入らなければよかったのだ。もし、あの時に戻れるなら、私はなんとしてでも子供の私を止めただろう。ここで私は彼女に出会ってしまった。


 幼い私の目に飛び込んできたのは一人の少女の絵だった。それも一枚だけでなく、大量の。……父の書斎には所狭しと一人の少女の絵が飾られていた。

 少女は私が今まで見てきたどの令嬢よりも美しかった。まるで天使か妖精の様で、この世のものではないのではないかと思えるほどだった。しかし、絵には少女の成長していく過程が描かれており、それだけが唯一少女を人たらしめていた。向かって右が一番幼く、左にいくにつれ、成長していく。一番右は私が今日会ったエヴァンジェリン嬢と同じくらいの年齢だったが、一番左では美しい貴婦人に成長していた。


 この少女に会うために、父は毎日家に帰ってきているのだろう。父にとって私たちよりもこの少女が大切なのだと子供ながらにも悟った。けれどそのことで少女を憎む気にはなれなかった。むしろ、父の気持ちがよくわかった。私だって毎日毎日、この少女に会いたいと思ったから。

 それからの私は父や使用人の目を盗んでは彼女に会いに行った。

 彼女はいつも美しく微笑みかけてくれていて、誰にも見向きされない私の心を温めてくれた。彼女に会う時間は、毎日の私の癒しになった。会える時間が短いことだけが、不満だった。


 私は一番右の絵画を見る。そこには今日会った彼女にそっくりの少女が穏やかに私に微笑みかけている。時を忘れて見つめ続けた。今までは見つめるだけで良かった。けれど今日彼女に会ってしまった私は、それだけでは我慢できなくなっていた。もっと彼女に近づきたい、そう思って絵画に向かって手を伸ばした。手が触れそうになった瞬間、いきなり現れた大きな手に私の手が掴まれた。驚いてそちらを見たら、難しい顔をした父がいた。


「触れることは許さん」


 父は難しい顔のまま、そう言った。侵入禁止を言い渡されていた書斎に入っていることがバレてしまって青くなった私はなんとか言い訳をしようとしたが「言い訳はいらん」と父は言い、言葉を続けた。


「お前がこの部屋に入っていることは知っていた。絵を損なわず私の邪魔をしないのであれば、この部屋に出入りしても大目に見ようと思っていた……気持ちは痛いほどよく分かるからな。

 しかし、弁えていたはずのお前が何故、今日は絵に手を伸ばした?」


「今日、王城でそっくりの少女に会いました。それで……触れてみたく、なったのです。申し訳ありません」


 父は目を見張った後に「そうか」と呟いた。そうして私にソファーに座る様に促した。父から話をしようと言われたのは初めてで思わず目を丸くした。


「恐らく、お前が今日会った少女は彼女の娘だろう。……お前の妻になる女性だ。仲良くしなさい」


 父の言葉に驚いた。だって殿下は彼女を『自分の婚約者』だと紹介してきたのだ。しかも、彼女に見惚れる私に不快だと視線で告げていた。しかし、父の言葉は私には絶対だった。なにせ反論する機会などなかったのだ。けれど、父は今初めて私と話そうとしてくれている。それならば、聞いても良いのかもしれない。


「しかし、父上。殿下はエヴァンジェリン嬢を自分の筆頭婚約者候補だと仰っていました」


「ほう、そうか……。しかし、気にするな。先に打診したのは我が家で、ほぼ決まっていたのだ。サリナを私から取り上げ、その娘も取り上げるなど……許すつもりはない。

 エヴァンジェリン嬢とは仲良くしておけ。婚姻後は少なくとも三人は子供を作る必要があるからな」

 

「はい」と私が返事をしたら父は満足そうに笑った。初めて見る父の笑顔だった。父の笑顔も嬉しかったが、彼女が私の妻になることも嬉しかった。あんなに美しく、優し気な少女が私の伴侶になるなんて夢の様だ。

 

「もうひとつ。もうこの部屋には今日以降入ることを禁じる」


 思わず顔を上げた私に父は厳しい顔を向けた。


「ここにある絵はエヴァンジェリン嬢ではない。彼女の母親だ。エヴァンジェリン嬢には会ったことが無いからどれだけ似ているか私は知らないが……どれだけ似ていても別人だ。サリナに囚われてはいけない。お前はエヴァンジェリン嬢だけを見つめるべきだろう」


 父の言うことは正論だ。しかし、肖像画の少女は私の全てだった。急に会えなくなるのは辛い……。耐えられるのだろうか。返事ができないでいる私に父はため息をついた。


「エヴァンジェリン嬢の姿絵を一枚用意してやろう。それで我慢しろ」


 彼女の絵がもらえるのならば、書斎の少女に会えなくなっても良い。私にとってはエヴァンジェリン嬢の方が好ましかった。だって肖像画のの少女は手に入らないが、エヴァンジェリン嬢は私のものになるのだ!それに、絵画には、当然のことだけれど、彼女の花の様な匂いも、鈴を転がす様な声も、美しい立居振る舞いもない。目の前で動く彼女を見てしまったら、もう絵を見つめているだけでは満足できなくなっていた。

 父はひと月もしない内に私にエヴァンジェリン嬢の絵をくれた。私は毎日彼女を見つめ話しかけた。当然だが、彼女は何も言わない。けれどもいつか、本物の彼女と話せる、そのための練習なのだ。そう思うとなんとか我慢できた。

 

 鬱々と毎日を過ごす私に王家を始めとした色々な家が私に女性を紹介してきた。私が殿下の側近になることは決まっていたし、隆盛を誇っているルーク家一門の私には、まるで砂糖に群がる蟻のようにたくさんの女性が寄って来た。けれど、誰も彼も皆一様に醜悪で、私の琴線に触れる女性はいなかった。どれほど美しいと評判の女性でも私には他と変わらず醜悪なものにしか映らなかった。彼女でなければ皆同じだった。

 本来なら王家からの打診は断ることができないのだが、陛下も後ろめたく思っているのか、それとも父の手腕のせいか、命令されることはなかった。

 

 私が耐え忍んでいる間も、彼女と殿下の仲は深まっていた。殿下の隣で愛らしく笑う彼女を見られるのは嬉しい反面、心がどうしようもなく痛んだ。

 初めて彼女を目にした時は、衝撃的すぎて何も言えなかったし、今もうまく話せる自信はない。それでも、彼女は私の妻になるはずなのだ。……一刻も早く早く殿下の婚約者候補から外されて欲しかった。彼女が欲しくて欲しくて仕方が無かった。もう誰にも奪われない様に早く私のものにしたかった。


 それだけ私が恋焦がれているエヴァンジェリンを殿下は傷つけるだけ傷つけて捨てようとしている。決して許せる行為ではない……!

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