ベネディ家の執着 2
うるさく喚く女が身の程を知らずにエヴァンジェリンを責め立てている。お前こそ何様だというのだ。クラン家の血がほぼ入っていない娘が正統な血筋のエヴァンジェリンを貶めるなどと許されることではない。
確かにわが国の法律では女性が爵位を継ぐことはできない。だから、サリナ様の夫であるファウストが今はクラン家の当主だが、アスランがクラン家を継ぐまでの暫定の公爵に過ぎないことは周知の事実だ。クラン家の正統な後継はアスランとエヴァンジェリンで、サリナ様の血が一滴も入っていないイリアは正確にはクラン家の娘ではない。今は思いあがったファウストが甘やかしているが、アスランが家を継いだ暁には家を追い出されることになるだろう。
いくら女性が爵位を継げないからといって血統が軽んじられることはない。爵位を継ぐにはきちんとした審査があるのだ。クラン家ほどの大きな家であれば、その審査は非常に厳しい。まぁ、男爵家だとしても審査は優しいものではないが。そもそも今回の様に婿養子の専横を許したら、殆どの貴族は血統が守られず名ばかりのものになってしまうだろう。
もし、サリナ様とファウストの間に子供ができなかった場合は分家の中の誰かが爵位を継ぐことになっただろう。とはいってもクラン家の分家は総じて主家の血が薄くなっているから、次期当主決めは紛糾することになってしまっただろうが。
今、ファウストが公爵でいられるのはアスランの存在のおかげなのにもかかわらず、ファウストは勝手をしすぎ、王家の不興を買っている。そもそもあの男は公爵の器ではなかったのだ。何も気づいていないあの愚かな親子は恐らく楽には死ねないだろう。
そもそもクラン家は何代か前まで筆頭公爵家だった。そのため、四公爵家の中でもクラン家は大きな領地を所持している。血統にしたって申し分なく、この国で最も王家に近い家だ。実際エヴァンジェリンの曾祖母は王家から降嫁してきている。
エリゼという名のその姫は絶世の美女だったが、あまり身体が丈夫ではなく、二人しか子供を産めなかった。それなのにもかかわらず、長男は病弱で健康な次男は出奔してしまっている。
家を継いだ長男はサリナ様しか子供を持てなかった。病弱だった先代当主は早逝し、間を置かず、サリナ様もその後を追っている。
つまり、ここ何代かのクラン公爵家は少子のため、家を繋ぐのが精いっぱいで、婚姻による恩恵を受け取れないでいる。
煎じ詰めて考えると筆頭公爵家であるクラン家に影が差したきっかけはエリゼ姫といっても良いのかもしれない。大抵の貴族の子息子女は政略結婚をするが、それは婚姻を通じて一族の繁栄を計るためだ。要するに子供は多ければ多いほど良いのだ。
現在ルーク家が栄えているのは、多産の家系であるということが大きい。先々代公爵はやり手で、長女のリーゼ様を王家に――今の王太后様だ――次女のミレーヌ様をドーレ侯爵家に、末娘のエルシー――私の祖母だ――を我が家に嫁がせている。王家の外戚になり、また有力な家に娘を嫁がせたため、先々代の時期にルーク家は一気に力をつけた。そうして現在の王妃はルーク家一門の我が家から出ている。いまやルーク家はクラン家を凌ぐほどの隆盛を誇っている。
しかし、いくら斜陽傾向にあるとはいえ、クラン公爵家が断絶するのを許すわけにはいかない。四公爵家は王国創立時からあるといわれている家だ。そんな家がなくなってしまえば社会情勢は不安定になってしまうだろう。
だから、王家はクラン家に多産系の家系であるルーク家の血を入れたがったが、二家はエリゼ王女の降嫁の件で疎遠になってしまっていた。なので、直接ルーク公爵家の息子をクラン家に入れるのではなく、分家の中でも血の濃いベネディ家の人間と結びつけることにした。それが私の父とサリナ様だった。
けれど、長男だった父の兄が事故で早逝したため、父とサリナ様の婚約は白紙となってしまった。結局サリナ様も父も別の人間と婚姻をしたが、父はサリナ様に心を残したままだ。そのせいで私の母とは不仲で、子供も私しかいない。
父とサリナ様との結婚はダメになったが、幸いにもサリナ様は二人も子をお産みになり、長女であるエヴァンジェリンと私の年回りも良かった。なので、父は私とエヴァンジェリン嬢の結婚を王に打診しており、それはほぼ認められていた。それにもかかわらず、殿下が横やりを入れてきたのだ。
とはいってもエヴァンジェリンとの婚約の話は、まだ幼かった私はこの時はまだ知らなかったのだが……。私が彼女に出会うよりも先に何故か殿下が彼女に出会っていた。それだけでも許せないというのに、陛下に彼女を欲しいとまで言ったらしい。
陛下は私とエヴァンジェリンの婚約をほぼ認めていたというのに殿下のおねだりを受けて、掌を返し、私とエヴァンジェリンではなく、殿下とエヴァンジェリンの婚約を進めるつもりの様だった。サリナ様も王家の意向に否やを唱えるつもりがなかったようで、殿下とエヴァンジェリン嬢の婚約を認めていた。
父が猛反対した結果、殿下とエヴァンジェリンの婚約の話は立ち消えになりかけた。どうやら父だけでなく、妃殿下も殿下とエヴァンジェリンの婚約に反対していた様だ。王妃と宰相の二人から反対されたせいで、陛下は二人の婚約について考え直す素振りを見せていたらしい。
けれども、殿下が粘りに粘り、無下にできなかった陛下は、彼女を筆頭婚約者候補という地位に据えた。もの凄く微妙な立ち位置のはずだが、殿下の執着ぶりから見てまず間違いなく彼女が将来の王妃になるだろうと何故か私は確信した。
結局、私とエヴァンジェリンの話は、流れてしまった。
「彼女がそなたの兄の子を孕んだ場合、それは王家を乗っ取ることになるな。つまり、王家簒奪の罪を犯しかけた言い訳がそれか?」
私が回想に耽っている間に裁判は進んでいる様で苛立った殿下の声が聞こえた。今、なんと言った?彼女があの愚かな男に犯されかけた……?兄が妹を襲うなんてそんなことはあるのだろうか?確かにあの日の彼女の美しさは目を見張るものがあった。私の腕に収まるほど華奢なのに、柔らかで豊満な肢体に、自制心が強いつもりの私ですら、くらくらした。
いや、だからといって、血のつながった妹に手を出すものなのか?下手をしたら異端審問にかけられる案件だ。いや、奴らの命などどうでも良い!名ばかりの愚かな自称公爵家の兄妹め、野良犬にも劣る薄汚い手をエヴァンジェリンに伸ばしただと……?殺して、やりたい。
しかし、殿下は何故こんな大勢の前で何を言い出したのか?恐らく未遂だろうが、あの言い方では何かあったと匂わせる様なものだ。こんな場で口にすることではない。彼女を社会的に抹殺するつもりなのか?!何を考えている?!
そういえば、殿下はあの日、彼女を放ってずっとサラと踊っていた。何故だ?もう彼女を愛していないのか?それならどうして私から再度彼女を奪ったのか。
王家の命令で急にエヴァンジェリンとの婚約を解消された、あの時の悔しさを思い出して思わず唇を嚙みしめた。彼女との婚約解消を私は当然拒否したが、同じ方法を取られると拒否しきれなかった。殿下はもう彼女のことを諦めたと思い、油断していた自分を殴りたい。
しかし、殿下はエヴァンジェリンよりもサラを選ぶつもりなのだろうか?もし、そうならちょっと殿下の趣味を疑う。サラは悪い奴じゃないが……野性的というか、なんというか……型にはまらないというか……もう女性じゃないというか……。
彼女が王妃になった日には国が滅びそうだ。
しかし、サラの方を愛しているというなら、どうしてエヴァンジェリンのエスコートを優先してサラのエスコートを私に命じたのか……。
それに、控えの間で彼女を見つめる私を牽制してきたあの目は、昔の殿下と同じだった。
けれど、今の一言で彼女と殿下の未来はなくなった。何がしたいのだろう?
いや、そんなことはどうでも良い。殿下が捨てるのなら、私が彼女を迎える。こんな醜聞の後だ。もしかしたら父ですら反対するかもしれない。それでも私はどうしても彼女を諦められない。手に入らなかったものに対する憧れなのか、それともあの美しさに私も囚われてしまっているのか、よく分からない。いや、理由なんかどうでも良い。何があろうとも、私は彼女が欲しいのだ。
思わず彼女の方を見たが、彼女はそれでも顔を上げ、まっすぐ前を向いていた。けれどよく見たら彼女の手は震えていて、隣に立つ男がそんな彼女を支えていた。
何故、彼女の隣に立つのは、いつも私ではないのだろう。気がつくと彼女の隣にはいつも私ではない男がいる。初めて会った時もそうだった。




