ベネディ家の執着 1
準王族で被害者であるにもかかわらず、彼女の立つ場所はあり得ないほど低い場所だった。下手をしたら、彼女こそが罪人だと思われるのではないだろうか。彼女に対する王家への仕打ちに怒りを覚える。思わず噛みしめた唇が切れて、口の中に血の味が広がった。
周囲の不躾な視線に晒されているというのに、まっすぐ背を伸ばして前を見つめ続ける彼女はこの世の誰よりも美しかった。デビュタントの夜の彼女も美しかったけれど――ただ、あのドレスはいただけなかったが――今日の彼女はあの日に増して美しい。
しかし、殿下は何を考えているのか。私と彼女を引き裂いたのは彼女をこのような目に合わせるためなのだろうか?そもそも、彼女は我が家に――いや、私に嫁ぐはずだったのだ。
父が奮闘してくれたおかげで、正式な婚約者ではなかったが、殿下の彼女への執着の凄まじさは見て取れるほどだった。このままでは彼女が取られてしまう、そう焦っていた頃に、あの痛ましい事件が起き、彼女の婚約者がルアードに変わった。
殿下の執着ぶりから見て、彼女を手放したままでいるはずがないと思っていた。それなのに、殿下は彼女を婚約者に取り戻すべく動こうとはしなかった。それどころか、彼女が公爵家を出されても静観したままだった。殿下はいったい何を考えているのだろう。彼女を気に入っている様に振舞っていたのは見せかけだけだったとでもいうのだろうか?
それならそれでも良い。余計な遠回りをすることになったが、最終的に彼女が私のものになるのならば……。
私はリオネル家に我が家のものを潜り込ませ、ルアードと彼女の仲を報告させた――本来ならリザム家に潜り込ませたかったのだが、何故かうまくいかなかった。
嬉しい誤算と言ってもよいことに、ルアードと彼女はうまくいっていなかった。ルアードが彼女に惚れているのは周知の事実だったのに――なにせあの事件はルアードが彼女に振り向いてもらうべく起こしたものだったのだから――どうして彼女を大事にしないのか。疑問に思ったが、すぐに思い至った。
ルアードは思慮が足りないところがあるが、まっすぐな男だ。多分、彼女を手に入れた嬉しさよりも、後ろめたさが勝ってしまって、まともに接することができないのだろう。しかし、仕方が無いとも言えよう。そもそも彼女はルアードには過ぎたる宝なのだ。分不相応な宝を手にしてもどう扱えばいいのか分からないのは当然のことだろう。
しかし、このままにしておくつもりは無い。彼女を取り戻そう、そう思ったが、それは簡単なことではなかった。母は私のことを嫌悪している癖に私の婚約について色々と口出しをしてきた。クラン公爵家に関して良い感情を抱いていなかった母は、彼女を迎え入れることに反対していた。
父は反対こそしなかったが、表立って私の手助けをしてくれるつもりは無いようだった。一度彼女と殿下の婚約を反対している手前、これ以上王家の反感を買いたくないということもあるだろうが、そもそも、父は私にも母にも興味はない。父は書斎に飾られている絵画の女性にしか、興味がないのだ。
どうしても彼女のことを諦めきれない私は手をつくしていたが、中々うまくいかなかった。まだ爵位を継いでもいない、成人前の子供ができることなど殆どなかった。
ある日、珍しく父に書斎に呼ばれた。何を言われるか戦々恐々としていたが、父の話は悪いものではなかった。
「傷物になった上、子爵家に養女に出された彼女を我が家に迎え入れることは難しい。イザベラの横やりもあるからな。
……嫁に行ったものが面倒な」
父は顔を顰める。どうやら彼女を娶ることに反対しているのは母だけでなく王妃である叔母もの様だ。ヒステリックに叫ぶ叔母の顔を思い出してげんなりする。何故陛下が叔母を寵愛しているか未だ持って分からない。王妃ではあるが、王太后に見放された叔母は社交界では軽んじられている。
宰相たる父も能力のない叔母を毛嫌いしている。「百害あって一利なし」と言っていたのを聞いたことがある。だから、叔母は我が家にあまり接触してこない――接触しても無視をされている、と言ってもいいかもしれない。私もあまり叔母と顔を合わさない様にしている。
そのせいか、叔母は生家である我が家よりも、主家のルーク家との方が仲が良い。そもそも、母の母は――私にとっては祖母だ――ルーク公爵家の先代当主の末の妹なので、我が家とルーク公爵家とのつながりは深い。
現在のルーク家の当主は叔母にとっては従兄弟にあたるキーラン公で、叔母とキーラン公は仲が良い。だから、叔母が奸計をめぐらす時はキーラン公に話を持って行っている様だ。
まあ、あの思慮が足りない叔母の悪だくみなど、碌なものではないから、関わり合いにならない方が良いので、父もある知らぬ顔をしている。むしろ、なぜキーラン公が叔母の相手をしているかは不明だ。放っておきたいところだが、ベネディ家もルーク家の一門だ。もし、ルーク家が下手を打ったら我が家にまで影響が及ぶ可能性がある。あまり放置しているのも恐ろしい。
「だからといって王家に舐められたままというのは我慢ならない。ここで手を引くのは癪に障る。何よりも、諦められないだろう?お前も私と同様、執念深い性質の様だからな。
彼女を迎え入れるに足る理由を作れ。そうしたら私がその後の道を整えてやろう」
ようやく少しだけ道が開けた様な気がして思わず安堵の息をついた。父に礼を言い、退室しようとしたところで書斎に飾られた少女の絵が目に入った。艶やかに笑っている少女は顔立ちこそ彼女によく似ているが、浮かべる表情が違うせいか、今見たらそれほど彼女に似ていない。少女はまるで咲き誇るカサブランカの様だが、エヴァンジェリンはひっそりと日陰に咲く花の様だ――それなのに、どこまでも魅力的だ。
昔はそっくりだと思ったけれど、今はエヴァンジェリンの方が美しいと思う。父の苛立ったような咳払いで我に返った私は頭を下げて退室した。父も私同様独占欲が強い。これはベネディ家の特徴だろう。
彼女を取り戻すべく策を練っていた頃に、王妃主催の茶会が開かれた。あまりこういった催しに参加しないエヴァンジェリンもこの茶会を欠席することはできなかった様で、ひっそりと参加していた。質素なつくりのドレスだったが、余計な飾りがついていないそのドレスは彼女によく似合っていた。ただ、右手だけにはめられた黒い手袋だけがどこまでもアンマッチだった。
彼女が参加していることに気づいたのは私だけではなかった。殿下から『秘密裏にエヴァンジェリン嬢を私のところへお連れしてくれ』と命令された時、嫌な予感がした。今まで放置していたのに、今更彼女に接触しようとするなんてどういうつもりなのだろうか?
殿下の命令は私の気を重くしたが、かといって断ることは難しかった。とりあえず彼女に声をかけたら、彼女は「お久しぶりです」と花が綻ぶ様な愛らしい笑顔を見せた。彼女とはもっと違う形で再開したかった……。悔しく思う反面、それでも彼女が私を覚えていてくれ、かつ、笑いかけてくれたことは私の心を温かくした。殿下の元へお連れしようとしエスコートしている時に、彼女が目を潤ませて私を見上げた。
「わたしの様なものに、どの様なご用件なのでしょうか……?今のわたしは殿下にお会いできる様な身分ではございません。……それに、わたしも殿下にお会いしたくないのです。
どうか、私のことは捨て置いてくださるようにベネディ様からお伝えいただけないでしょうか……?」
あまりの可憐さに心臓が止まるかと思った。彼女の望みを叶えたいし、何より私も彼女を殿下の元へ連れて行きたくない。どうすべきか、と思った時に彼女の手袋が目に入った――この下にはルアードの罪の証がある。そう思った時に閃いた。それは天啓だったのか……いや、悪魔のささやきだったに違いない。
そう、私も彼女に傷をつければいいのではないか、と思ったのだ。
心が痛んだが、階段を上っている途中、少しバランスを崩した彼女を軽く押した。その結果、彼女は思ったよりも酷いけがをすることになったが――右足の太ももに大きな傷が残ることになったらしい――彼女が私のものになるなら、傷痕が残ろうが残るまいが、どうでも良いことだ。
目論見通り彼女を私の婚約者に据えることができた。ルアードは彼女との婚約解消を渋っていたが、今まで良い関係を築けていなかったせいもあり、二人の婚約はあっさりと解消された。
彼女を殿下の元へお連れできなかったことについて殿下から何もお咎めはなかった。それどころか彼女との婚約を祝福された。殿下はまだ彼女に執着しているのではないかと思っていたが、どうやら杞憂だったようだ。今回彼女を呼び出そうとしたのも、以前の事件のことを詫びたかっただけなのかもしれない。
何もかもうまくいったはずなのに、肝心な彼女と接触できずにいた。彼女との婚約が成立した後に何度も手紙を送ったのだが、彼女からの返事は無かった。まさかと思って調べたところ、母の元ですべて止められていた。他家との交流は侯爵夫人たる母の役割で、執事も母に従っていた。
殿下にその後のことを聞かれた時に、つい私はこのことを話してしまった。彼女を取り返すまでは色々と思うところがある相手だったというのに、私との婚約以降、殿下は目立った動きをしておらず油断していた。それに何より殿下は仕えるべき主君であるが、同時に母方の従兄弟でもあり、つい愚痴ってしまったのだ。ため息をつく私に殿下は一人の侍従を紹介してくれた。
「私に紹介されて君が直々に雇ったことにすればいい。そうしたら侯爵夫人と雖も彼を止めることはできまい」
殿下に紹介された侍従は真面目に働く男で、私はすぐに彼を信用した。だから、彼女への手紙も贈り物も全て彼に託した。私の便りは、無事彼女に届いているはずなのに便りを出すのが遅かったせいか、それとも乱暴なことをしてしまったせいか、彼女からの返事は無かった。辛うじて手紙は受け取ってもらえたが、贈り物は花一輪も受け取ってもらえなかった。
それでも、私は彼女を諦めるつもりは無かった。けれども約束を取り付けずに彼女を訪ねる勇気も持てなかった。これ以上彼女に嫌われることは避けたかったのだ。この判断が間違っていたと気づいたのは殿下に再び彼女を奪われた後だった。
 




