新しい攻略対象者?
「お待たせいたしました」
程なくして扉がノックされ、先ほど私たちを案内してくれた男性が、重たそうな本を持って入って来た。
「どうぞご覧くださいませ」
男性は深々と頭を下げると恭しく本をセオに差し出した。セオはその本を受け取ると、私の隣に座った。そうして私とセオのちょうど中間あたりに本を置き、頁をめくり始めた。私もセオの手元を覗き込む。繊細に描かれた姿絵は色までついていて、実に美しく、見ごたえがある。途中、セオの姿絵も見つけたが、セオがさっさとめくったので、ちらっとしか見えなかったけれど、やっぱり奇麗で他の誰よりも格好よかった気がする――いや、実物の方が格好いいと思うけど……。なんとか購入できないものだろうか。
興味深く姿絵を見つめていたら、程なくしてセオの手が止まった。
「彼がギャリー……ギャレット・ハルトだよ」
覗き込んで、思わず息を吞んだ。セオが示したページには紺色の髪を腰まで伸ばした、中性的な容貌の男性が描かれている。どうして、彼が神殿にいるのか……。美貌の青年の絵をまじまじと見つめてみるが、間違いない。
セオが『幼馴染で強力なハルト』だと言っていた彼を私は知っている。いや、知っていたというべきかもしれない。そう、彼は私が死ぬ数日前に行われた大型アップデートで『新規攻略対象者』として追加された人物だった。
最近の攻略サイトの情報の更新はものすごく早く、追加された翌日にはアップされていることが多い。なので、アップデートの翌日に、一応目を通してみたのだが、その時は未だ詳細な情報は上がっていなかった。こんなことになるなら毎日覗いておくべきだった。
ゲームでの彼の名前は『ギャレット・グレンフォード・アダルベルト・リグゼット』。クライオス王国とサリンジャ法国に接する中堅国家、リグゼット王国の第一王子だ。
リグゼットは領地や関税についてクライオスとサリンジャと揉め、戦端を開いたことがある。海洋国家であるリグゼットは、貿易が盛んで、海洋資源も豊富だったが、国土自体はそこまで広くない。にも拘らず、大国であるクライオスとハーヴェー教の総本山であるサリンジャを同時に相手取った結果、歴史に残るほどの大敗を喫した。辛うじて滅びこそしなかったものの、リグゼットは高額な戦争賠償を始めとした様々なペナルティを課せられることとなった。
その戦争はもう百年以上前のことだというのに、リグゼットは未だに、王家の人間をクライオスに人質を送り出す様に義務付けられている。
ギャレットは第一王子だが母親の身分が低く、後ろ盾になってくれる貴族が居なかった。それでも他に王子が居なければ王太子になれたかもしれないが、正妃が第二、第四王子を産んでいたので、彼が王位を望める立場になかった。
ギャレットの母は国王の寵愛を受けていたが、それが災いしたのか、彼が幼い時に毒殺されていた。彼の母を溺愛していた国王は、残されたギャレットには何の関心も抱いておらず、守ってくれることは無かった。結果、ギャレットは追い出される様にしてクライオスに送られることになった。
ゲーム上ではギャレットは城の奥深くに隠れる様に住んでいる。そのため、彼に会うには『そそっかしい侍女』が『うっかり部屋の鍵をかけ忘れる』のを待たねばならない。その確率はものすごーく低く、貫徹してもギャレットの住む部屋に入れなかったとレビューが上がっていた。
『そそっかしい侍女が鍵をかけ忘れる』のを待てない人はショップで『侍女長への袖の下』(三千円なり)をぽちり、で確実にギャレットに会えるそうだ。しかし、ゲーム上のサラは純真で素直な性格のはずだが、いきなり侍女長を買収しても良いものなのだろうか……。
なんとなく、袖の下はサラのイメージではないと思った私は、伝説のポケ〇ンの獲得率よりも低い機会を必死で待っていたので、結局ギャレットに会えず仕舞いだった。
公式サイトで見たギャレットと姿絵のギャレットは変わらないくらいの年齢――十六歳くらい――に見えるのだが、セオの二才年上ということは二十六才ということか?とんでもない美貌の持ち主は年齢すら超越するのだろうか……?最年長の座はセオからギャレットに譲られることになったのだろうが、外見だけ見たら、ギャレットが五人の中では一番若く見える。十歳もさばを読めるとはとんでもないポテンシャルである。
ギャレットの攻略は中々難しいらしく、侍女長を買収したにも拘らず、中々シナリオが進まないとのレビューがちらほらと上がっていた。攻略サイトでは、ギャレットの攻略にはジェイドからの一定以上の好感度が必要なのではないかと推測されていたが、その後、攻略サイトを覗いていないので、その説が正しいかどうかは分からない
けれども、どうやら、ギャレットのエンディングはリグゼット国王になることで、即位にはジェイドの協力が必要不可欠らしいので、まあ、筋は通っていると思う。
彼にまだ会えてすらいなかった私にはこれ以上の詳細が分からないが、ギャレットは光属性持ちだったということか?それとも、現状はゲームと乖離しているということか……。
それに、気になることはもう一点。ギャレットの謳い文句は『心優しく、穏やかな隣国の第一王子』だったのだがセオの説明とはかけ離れている気がするのだ。しかし、これだけ似ている上、同名である以上別人という可能性は低い気もする。
何が正しいかは不明だが、下手なことを言わない様に気を付ける必要があるし、彼に接触するのは避けた方が無難だろう。
しかし、なぜ、彼がここで登場するのだろうか?逃げられたと思っていたけれども私はまだ、舞台に立っているのだろうか?
思わずごくりとつばを飲み込んだ時、私の頬に温かいものが触れた。何事かと思って顔を上げたらそこにはセオの顔のアップがあった。要するに、頬に、キスされた、セオに!
混乱しているせいか、言葉が変だ。え?でも、けれど、なんで?
セオは私の頬から口を離すと、意味ありげに笑った。色気が凄まじすぎてセオから目が離せない。しっかりと抗議すべきだと思うのに、私の口からは「え?なんで?」の言葉しか出てこない。
「お仕置きするって言っておいただろう?大目に見るのは前回まで、とも」
「お仕置きって……?え?なにが?」
「次その悪癖が出たら容赦しないって言ったの、忘れてないよね?それともギャレットに見惚れた?」
そう言いながらセオは私の顎をすくう。仄暗く光るセオの目が私の目を射抜くように見ていて、なんだか落ち着かない。顔に熱が集まってきているのが自分でもわかる。
「これでも手加減したの、わかっている?」
そう言いながら、セオは私の唇を指でなぞった後に私の耳元に口を寄せ、そっと囁く。
「本当なら頬じゃなくて……」
セオの息が耳元にかかって、何だかぞくぞくする。いや、ちょっと待って欲しい。セオは手馴れているかもしれないけれど、私はダメだ。こんなことをされたら、セオのことを諦められなくなってしまう。そう思うのに、逃げられない……ううん、逃げたくない。
「逃げないの?シェリーちゃん」
甘い……まるで毒の様なセオの声が、耳から私を侵食してくる様で、ふるり、と身体が震える。そんな私を見てセオがクスリと色っぽく笑う。
「逃げないなら……良いね?
そうだね、始めてがお仕置きなんていけないよね。合意の上じゃないと……ね?」
よくない、決してよくなんかない。そもそも、私、昨日、他でもない貴方に『俺の気持ちを知っているだろう?(意訳:サラが好きだ)』って言われた気がするんだけど。昨日の今日でどんな心境の変化があったんだろう。ちょっと、本当にちょっと待って欲しい。いくらプレイボーイとはいえ、ちょっと節操が無さすぎるのではないだろうか。そもそも私はカムフラージュなわけで……下手に誘惑するとセオも困るんじゃないかと思うのだけど。
頭の中には次々と言葉が浮かんでくるのに、声にならない。まるで金縛りにあったかのように身体が動かない。このままでは取り返しがつかなくなるとわかっているのに……。
セオの整った顔が近づいてきて……思わず目をつぶった時に「ゴホン、ゴホン」と咳払いされて、金縛りが解けた。両手を突き出して近づいてきたセオの顔を止める。セオの口から「むぎゅ」と息が漏れた様な気がするが、構ってなんかいられない。
咳払いがした方を見たら、店員さんが気まずそうに顔を背けていた。そういえば、店員さんは退室していなかったことを今更になって思い出した。
全部見られていたのかと思うと今更ながら恥ずかしくなってきた。顔を真っ赤にしている私と違い、セオはいつも通りの顔で――いや、少し不機嫌そうかもしれない――口を開いた。
「少し、無粋じゃないかな?」
「……はい、申し訳ありません。しかし、先ほどからノックの音が何度かしておりまして……ハルト様に火急の要件があるのではないかと……」
ノックの音なんかまったく気づいていなかったが何かあったのだろうか?セオがため息をついて頷くと、一人の男性が転がる様に室内に入って来た。室内に入って来た男性は軽く頭を下げると慌てた様に話し出した。
「クライオス王家の紋章が入った馬車が、この町に入って来たようなのです。わざわざクライオス王家の馬車がこの町に来る理由はハルト様に御用があるからではないでしょうか?」




