令嬢は町に出かける 4
『彼氏や恋人ができるのは幸せなことだよ』と幼馴染は笑っていたけれど、身を焦がすような恋愛をしたいとは思えない。もし、私がいつか攻略対象者以外の誰かと結婚するとしたら、何かあればいつでも身を引ける、お互いを尊重し合える様な、穏やかな男性と緩やかな夫婦関係を築きたい。
何よりも攻略対象者には近づいてはいけないと思っていたはずなのに……気が付くとこのザマだ。自分の軟弱な精神が嫌になってしまう。
これ以上セオを好きにならないようにしたい。その為には対策を立てなければならない。とはいえ、誰かを好きにならないための対策なんて難しい。『気がついたら落ちているのが恋』だそうだからだ。まるで落とし穴だ。いや、落とし穴よりも性質が悪い。落とし穴なら這い上がればいいだけだが、恋なんて百害あって一利なしのものに落ちた日には這い上がるどころか、命までも落としかねない。特に私の今の状況では。
サラがジェイドルートに入り、ハルトになった今、命の危機は去ったと思っていたけれど、昨日の一件を鑑みるに、これから先も油断はできなさそうだ。そういえばセオも『ハルトは死亡率が高い』と言っていた。いや、昨日の件はハルト云々は関係なさそうだけども。
思わずため息をついた時に閃いた。
件の幼馴染から新しい彼氏ができた時、色々とのろけ話を聞いた。それが参考にならないだろうか?
えーと、なんだったか。
A君の場合
『「俺がそばにいるから」って、言ってもらえたの。その時は下心なんて無かったらしいんだけど一日中付き合ってくれたの』
一日どころか何日も――それどころか、もうひと月以上になる――付き合ってもらってる。なんならこれから先も面倒をも見てくれようとしている……。
B君の場合
『傷心の私の話を、余計な口も挟まずに、ずっと真剣に聞いてくれててきゅんとしちゃった』
あの日の、中庭を思い出す。うん、セオも私の話をずっと聞いてくれていた。それどころかお願いまで聞いてもらった。
C君の場合
『彼に振られて泣いている時にそっとハンカチとお茶を差し出してくれたの!優しさが染みるっていうか……気遣いみたいなのが感じられて嬉しかったの』
セオは気遣いの塊の様な人だと思う。あの日以降、私はずっとセオの優しさに救われている。
D君の場合
『「君のことが心配だから、いつでも頼ってほしい」って言ってくれて、寂しい時とか、呼んだら来てくれたの。おかげで立ち直れたの』
うん、言われた。そして、今、絶賛頼り中だ。今の私があるのはセオのおかげだと言っても過言じゃない。
E君の場合
『美味しいものをごちそうしてくれたり、面白い話をしてくれたり、とにかく私を笑顔にしてくれたの』
セオの話は面白いし、何よりも餌付けされている自覚はある!私の好みを把握しているからか、セオの勧める物は全部美味しい。
『そもそも傷心の時に優しくされたら、もうダメ!メロメロになっちゃう!』
……もう、言うまでもないと思う。
他にも色々と言っていた様な気がするけれど、何だか思い出しても意味がない気がする。うん、何の対策にもならないわ。
それにしてもなんだろう……全部当てはまる気がする。うん、セオを好きになっても仕方が無かったのかもしれない。あんまり自己嫌悪に陥るのは止めよう。気を緩めない様に自戒はしなけばいけないとは思うけれど。
というか五人分を――いや、それ以上かもを――ひとりでこなすなんて、どれだけ有能なんだ、セオ。今までの経験だろうか?さすがはプレイボーイ、機微に敏い。しかし、女性が男性に心惹かれる心理は異世界も共通なのだろうか?
「……シェリーちゃん?ねぇ、シェリーちゃん」
声を掛けられて顔を上げたら、苦笑いをしたセオと目が合った。セオは私の顔を覗き込みながら頬を掌で優しく撫でている。しかも、仕方が無いものを見る様な、優しい目を私に向けていた。
「また何か考え込んで……。全く……いつも気をつけろって言っているだろう?」
そう言ってセオは甘やかに微笑んだ。とんでもない破壊力に目の前がくらくらした……。いつからこんな体勢だったのだろう?全く気づいていなかった。
それにしても、セオは距離感がバグっているところがあると思うのだ。プレイボーイとはこんなものなのだろうか?今までこの手の類の人間との親交が無かったからよく分からない。けれど、この体勢は結構な問題だと思う。逃げるべきだと思うけれどもどうやって逃げれば……。どうして良いか分からず、硬直していた私を見て、セオはため息をつくと頬から手を離してくれた。
「今回だけは大目に見るけど、次は容赦しないからね」
ため息交じりにそう言ってセオは私の手を握った。うぅ、さっきまで、同じ様に手を繋いでいたのに、急に恥ずかしくなってきた。やっぱり意識したのがいけないのだろうか。今更手を離すのはなんだかおかしいけれど、落ち着かない。なんだか顔も熱い気がする。
いけない、これはいけない兆候だと思うのだが、どう対策をすべきなのだろう?他に好きな人を作る?いや、隣にセオが居てこれだけ優しくしてくれているのに他に目移りできるはずなんかない。なによりも今、呑気に恋愛なんてしている場合でもなければ、心の余裕もない。そう、恋愛なんてしている場合ではないのだ!よしよし、これを心に刻もう。
うんうんと、頷いていたらなんだか不穏な空気に気づく。先ほどまでセオに見惚れていたご令嬢やご婦人たちがこちらを見て何かひそひそしている。この雰囲気には覚えがある。王宮で何度も経験した、例のアレだ。善意は伝わりにくいというのに、悪意だけは不思議なことにすぐに伝わる。
絶対にセオに近づく身の程知らずだといわれているに違いない。
ジェイドの時といい、今回といい、本物ならまだしも、カムフラージュでしかない私が陰口を叩かれるのは理不尽としか思えない。
冷たい目を向ける女性たちの様子を伺っていたら、セオが不思議そうに尋ねてきた。
「姿絵にそんなに興味があるの?」
一人で行くことを却下されたから姿絵は諦めていたのだが、何だか譲歩してくれそうな雰囲気だ。もしかしたら、護衛さんと一緒なら行っても良いと言ってくれるかもしれない。この際セオさえ一緒じゃないなら、護衛さんたちが一緒でも我慢しよう!
とりあえず話を続けてみることにする。
「えぇ、ちょっとだけ。
ねぇねぇ、姿絵ってハルトのものは全員でしょう?二位以上の人は『特定の人』って言っていたけれど、なにか基準があるの?」
「あぁ。基本で神官位のものは全員。後は二位以上で見た目の良い人間のものだね。三位以下の人間は神官じゃなければ、どれだけ見た目が良くても描かれない。
三位に…えーと、アイ……アイヴィーちゃんとかいう可愛い子がいるらしくてね。ファンもいるし、発売されれば売れること間違いないらしいんだけど、彼女のものは作られていない。恐らく還俗できる人間のものは作らないんだろうね」
「つまり『姿絵が売られている人は、神殿の人間』だと喧伝しているのね。それで、逃げられたら困る人間の容姿を周知しているということか」
なかなか上手い手である。万一神殿から逃亡しても姿絵のせいで捕まってしまう可能性が高い、ということか。しかも、周りに自分のことを知られていたら、下手な行動を取れなくなる。周囲の目が監視の目になるのだ。おかしな行動をとったら、神殿に筒抜けになるだろう。
オタ活ができそう!とか言って喜んでいる場合ではない。
セオは私の言葉に肩をすくめつつ、笑う。その姿はどこまでも様になっていて格好いい。まず間違いなくセオの物もすごく売れているだろう。
……喜んでいる場合ではないとわかってはいるし、自分でも未練がましいとは思うが、それはそれとしてセオの姿絵は欲しい。どうにかして手に入れられないものか……。




