令嬢は街に出かける 2
「とはいえ、せっかくここまで来たんだし、楽しもうか。
シェリーちゃん、見たいところや欲しいものはないかい?」
セオは強張っていた顔を崩して笑うと、並んでいる露店を指さした。
「あそこの蒸し菓子はここの名物なんだ。『マンジウ』と言うんだ。『アンコ』という優しい甘さの豆のジャムが入っているんだ。多分君は好きな味だと思うよ」
マンジウ……饅頭にあんこ!?まさか今生であんこに巡り合えるとは思わなかった。
「たっ、食べたい!」
即座に返事をしたが、興奮のあまり、ついどもってしまった。そんな私を見てセオは吹き出した。まるで少年の様な無邪気な笑顔だった。こんな笑顔、今までどころか、ゲームでも見たことが無い。眼福……。そして饅頭食べたい!
セオを急かす様にして露店に向かった。露店に近づくと懐かしい匂いがする。セオは饅頭を二つ買うとひとつを私に渡してくれた。薄い茶色の、やや小ぶりな温泉街などでよく見かける様な饅頭。けれど今生では初めて見た。蒸し立てホカホカで湯気が出ている饅頭はいかにも美味しそうだ。
「ありがとう。ねぇ食べて良い?」
私がそう尋ねるとセオは「どうぞ」と微笑んでくれたので「いただきます」と言って饅頭を口に運ぶ。あんこの優しい甘味が懐かしくて美味しくて仕方がない。和食好きの私には堪らない味だ。涙が出そう。
「美味しい、美味しい。すっごく美味しい!」
もう語彙力が死んでいる。ともかく美味しい。それだけしか言えない。
よく噛んで食べているつもりだったのにあっという間に食べ終えてしまった。もう一つ食べたい気もするけれど、他にも何か珍しいものがあったら食べたい……。ここは我慢すべきだろう。
そう思っていたら目の前に半分に割られた饅頭が差し出された。思わず瞬きをしたら、笑いを堪えたセオが「どうぞ」と笑った。
「それはセオの分じゃない。貰うわけには……むぐ」
遠慮しようと開いた口にセオが饅頭を入れた。まるでバカップルの様だ。いや、セオにとっては給餌に過ぎないのかもしれないが……。喪女にはちょっとレベルが高すぎる行為だ。
少し恥ずかしいと思いながらも、饅頭を咀嚼する。こんな時でも饅頭は美味しい。美味しいものは正義だとつくづく思う。
「ありがとう、美味しかったです」
きちんと口を空にしてからお礼を言ったら、分けてくれたのはセオなのに何故か満ち足りた様な顔をして「どういたしまして」と微笑んだ。
「向こうも見に行こうか。確かチョコレート好きだったよね?向こうにチョコレートドリンクを売っているんだ」
チョコレートドリンク……ココアですか!?この世界のチョコレートはじゃりじゃりして甘ったるくて苦手だけど、一度セオが差し入れてくれたチョコレートは前世で食べていたチョコレートの様な滑らかな味で、美味しかった。つくづく日本は美味しいものばかりだった!
もし、あのクオリティのチョコレートで作ったココアであれば期待ができる!!飲みたい!
「行く!行きたい!」
勢い込んでそう言うと、セオは微笑んで手を差し出した。今までの様にエスコートするのではなく、手を繋ぐような差し出し方だ。一瞬戸惑ったが、こんな町中でエスコートも何も無いし、何より私はもう貴族ではない。思い切ってセオの手を握ると、セオは実に嬉しそうに顔をほころばせた。なんだか私も嬉しくなってしまう。
セオは私のことを女性として見ていなくても、弟子として大切にしてくれていることがよく分かる。これで満足すべきだろう。これからは師匠として以外、考えない様にしなければなるまい。
チョコレートドリンクは実に美味しかった。前世で飲んだ様な柔らかい甘さのチョコレートドリンクは満足のいくものだった。サリンジャ、色々ときな臭いところはあるけれど、美味しいものがたくさんだ。危険なので長居をするつもりは無いが、未練が残りそうだ。
「次のおすすめは『みたらしだんご』らしいよ。あんことはまた違った甘さで美味しいらしい」
ほう、と思わずため息をついた私に、セオは次の提案をしてくれる。いつ下調べをしたのだろう。しかも私が好きな甘いものをチェックしているあたり、さすがはプレイボーイと名高いセオだ。いや、もしかしたら他の女性をエスコートした際に調べたものかもしれないけれど……。まあ、その辺りを気にしても無意味だ。誰のために調べたとしても、今は私の為に動いてくれているのだから。
そんなことより気になることが一つあったので、提案すべく口を開く。
「ねぇ、セオ。私のことを考えてくれるのは嬉しいけれど、セオは甘いものはあんまり好きじゃないって言ってなかったかしら?次はセオの好きなものにしない?」
そう、以前一緒にお茶をしたときに『甘いものを好んで食べない』と聞いたことがあるのだ。私は甘いものは大好きだから、セオの提案は有難いけれど、私ばかりが楽しいのは申し訳ない。何よりも一緒に楽しみたい。セオはフフッと楽しそうに笑うと、私の手を優しく、けれど確かに力を込めて握る。
「覚えてくれていたんだね、嬉しいよ。確かに甘いものを好んでは食べないけれど、嫌いではないし……、君の喜んでる顔を見たいから気にしなくても良いよ」
「ありがとう。でも、私だってセオの好きなものを知りたいの」
通りには色々な露店が並んでいる。これだけのお店が並んでいれば、セオの好物の一つや二つはあるだろう。そう思ったが、セオは難しそうな顔をして黙り込んだ。
「好きなもの……好きなものねぇ……。うーん、特には……。
あぁ、君がご馳走してくれるゴーフレットは好きだな」
そうしてうんうん考えながらセオが口にしたのは、我が家特製のお菓子だった。材料費も安く、ゴフリエがあれば簡単にできる――実際にセオに出したのはお義母様と一緒に作った――ものだ。ここで売っている様な美味しい代物と比べられる様なものではないと思うのだが……。
「ゴーフレットくらいならいつでも作るから……もっと」
違うものを、と言おうとしたが、話の途中でセオが繋いでいた私の手を引いて、手の甲に口づけをした。びっくりしすぎて何も言えない私に向かってセオはキラキラと笑った。
「言質は取ったからね、シェリーちゃん。いつでも、俺の好きな時に……ね?」
頭が真っ白になっている私の背後から、キャーッと黄色い悲鳴が上がった。
後ろを振り向かずともわかる。きっと私と同様、顔を真っ赤に染めたご婦人やご令嬢達がいるに違いない。そう、セオの案内で町を見て回っていた時から、ものすごく視線は感じていた。
分かっていたことだけれども、セオは目立つ。銀色に輝く髪に甘いマスク。均整の取れた身体、すらりと高い背、前世から知っていたけれども、セオは格好良い。セオと一緒に町を歩くと周りの人間が振り向いていく。通りの女性たちはセオを見て頬を染めるし、男性ですら見惚れている。さすがはセオ。
セオは私の手から口を離すとにっこりと微笑むと黄色い悲鳴を上げ続ける女性達に優しく手を振った。また一層甲高い声が上がったかと思うと、刺激が強すぎたのか、そのうちの何人かの女性がへたり込んだ。そんな女性たちに連れの男性や従業員たちが手を貸している。そんな従業員たちにセオが手を挙げて謝意を示すと彼らは『しょうがないなぁ』と言わんばかりに苦笑している。なんだか慣れている様な感じだ。もしかしたら、いつものことなのかもしれない……。




