令嬢と神官 3
すぐに帰ってくるだろうと思っていたのに、セオはなかなか帰って来なかった。しばらく待っていたのだけれど、疲れていたのか、そのうちにソファーでうとうとし始めていた。それから暫くしてセオは帰って来た様で、護衛さん――そう言えば未だ彼らの名前を聞いていない――とセオが話をしている声で目が覚めた。それから程なくして扉をノックをされた。
はい、と返事をして扉を開けたら、両手に荷物を抱えたセオが入ってきた。
「おかえりなさい」
眠い目をこすりながらそう言うと、セオは「ただいま、良い子にしていた様だね」と言って、私の頬にキスをした。急なことに驚いて目が覚めた。びっくりして固まる私にセオは「食事にしようか」と笑った。
私には食事を与えておけばいいと思っているのではないだろうか。いや、もちろんいただくけれど。
セオは手に持っていた包みをテーブルの上に広げた。通りで買ってきたのだろう、ホカホカと湯気が立ち上る食事が並んだ。お肉や野菜を挟んだパンや、スパイシーな香辛料がかかった肉串、ホットワインにポテトなど、たいへん美味しそうだ。
「この宿の食事も美味しいけれど、偶にはこんな食事もいいかと思ってね。何よりすぐに食べられるだろう?」
相変わらず、セオのチョイスは確かでどれもこれも美味しかった。先ほどサンドイッチを食べたばかりなので、そんなに食べられないかと思っていたのに、気が付くとほとんど食べ終えていた。最近の自分の食欲が少し怖い…。
「ごちそうさまでした」そう言ったら、セオがクスクスと笑って私の頬を撫でた。どうかしたのかと思ってセオの指を見たら、肉串のソースが付いていた。どうやら食べるときに頬につけてしまったらしい。「ありがとう」そう言った私に向かってセオは妖しく笑うと、ソースがついた指をペロリと舐めた。
……爆発するかと思った。もう、もう、尊いとしか言いようがない。しかし、喪女には刺激が強すぎるので、画面越しでお願いしたい。
顔から火が出そうな私を尻目にセオは何事もなかったかのように微笑むと私に袋を渡した。
「はい、きょうの寝衣と明日の服。お風呂に入りたいなら部屋風呂の用意をさせるけど?」
「いつもありがとう。お風呂もありがたいわ、是非お願いしたい!」
お風呂、その言葉に私は目を輝かせた。しかも部屋風呂なんて最高だ。もし、大浴場なら刻印がないことがバレない様に身体を拭くだけで我慢しなければならなかっただろう。
「わかった。じゃあ手配しよう。
お風呂が終わったらもう寝てしまって良いけれど、今日は一人で眠れるかい?」
なぜかすごく良い笑顔で、私を見つめるセオに首を傾げる。
「寂しいなら、俺の部屋に来るかい?ここのベッドは大きいから二人でもゆっくり寝られると思うけれど?」
急に一緒に寝ようと言い出したセオに一瞬驚いたけれど、どうしてセオがそんなことを言ったのか、すぐに私はピンときた。セオの傍に行って、背伸びをするとセオの耳元でこっそり囁いた。
「やっぱり、ここってお高いの?確かに立派な宿だもの……。ねぇ、気を悪くしないで聞いて欲しいんだけど。
ずっとセオに私の旅費や身の回りの物の代金を支払ってもらっていて心苦しく思っているの。あなたさえよければここの宿代は私に任せてくれる?」
セオは信じられないものを見るような目で私をまじまじと見た。そのまま、しばらくセオは絶句していたけれど、深々とため息をつくと口を開いた。
「サリンジャ国内では、ハルトに金銭を要求するものは少ないよ。何より金には困ってないからそこは心配しないでいいよ」
そうなの?と問いかけて、じゃあどうしてセオが一緒に寝たいと言い出したのか、考えて、ハッとした。今日、セオは私のせいで家族を失いかけた。しかも現状家族を疑わざるを得ない状況だ。確かゲーム内でもセオは家族に恵まれていなかった。今目の前のセオがどうかはわからないけれど、セオの口から父母の話が出たことはない。だから、やっぱり家族との縁は薄いのかもしれない。
気丈に振舞っているけれど、もしかしたら今のセオはとても辛いのかもしれない。同じベッドで眠るのはちょっとハードルが高いけれど――彼の麗しい顔が目の前にあったら眠れる気なんかしない――彼が眠るまで手を握ることくらいならできる。
「同じベッドで眠るのはちょっと難しいけれど…セオが眠るまで一緒にいることくらいはできるわ。お風呂から上がったらセオの部屋に行くわね」
「いや、待って、待って。本気で言っているのかい?君は自分が周りの人間にとって…いや、俺にとってどんな存在なのか、わかっているかい?」
「きちんとわかっているわ。心配しないで。だって私が力になりたいと思うのはお義父様とお義母様、そしてセオだけだもの。大丈夫、こんなこと、セオにしか言わないわ」
そう言って私がうんうんと頷いたら、セオは額を押さえてため息をついた。なぜセオが頭を抱えているか全くわからない。もしかしてお義父様とお義母様に不義理だとでも言いたいのだろうか?けれど、お義父様とお義母様はお互いがいるから私の出る幕はないから心配はいらないと思うのだ。
心が弱っている時、信頼している誰かが傍にいてくれると、安心できる。これは私の実体験だ。幼いころ、不安に怯える私の手をお義母様がずっと握ってくれていた。そうしたらよく眠れた。だから、セオが不安で眠れないというのであれば、お義母様が私にしてくれていた様に、眠れるまで傍にいてあげたい。そう思ったから提案したのだけど、セオは難しい顔をしたままだ。
セオは私にとって大切な存在だ。だって私に優しくしてくれるのは家族以外では、セオだけだった。セオ以外の婚約者達なんて、皆、私が何をしたと言いたくなるほど、冷たかった。皆、私を傷つけるだけ傷つけて、ルアードは冷たく当たっていたし、グラムハルトは無視していたし、ジェイドに至っては利用するだけだった。
まあ、仕方がないことだろう。だってヒロインのサラは『性格悪いなぁ』とは思ったけれど、実に可愛らしかった。だから、攻略対象者達がサラを好きになるのは当然のことだろう。
私に優しくしてくれているセオだって、本当はサラのことを想っていること――口では興味がないと言う癖に、ジェイドとサラが一緒にいるところを、切なげな瞳で二人を見つめていたこと――を私は知っている
恐らくサラはジェイドルートにいると思う。それでも、多分セオの心の中には未だサラがいる。それでもセオは私に優しい。恐らく同情か、失恋仲間だと思われているからだろうけれど、セオの存在にはいつも助けられている。もし、彼の真意が他にあったとしても、彼に対する親愛の情は無くならないと思う。
それに、セオの心は私にない。そもそも、私とセオは神殿から送られてくる刺客に対抗する同盟相手なだけだから、変に意識するのは却って申し訳ないと思うのだ。
つまり、攻略対象者達は皆サラに魅かれているから、私に興味がない――彼らは私にとっては、貞操の危機なんかを感じる必要がない相手――要するに、安全牌なのだ。
何より、はっきり言って私はモテない。エヴァンジェリンの容姿は美しいと言ってもよいのではないかと自分では思うのだけど、中身が喪女の私のせいか、全く男性が近寄って来ない。あまり外出をすることはなかったが、それでも最低限の社交はしていた。けれど、その時でも私に声をかける男性はおらず、それどころか、モーゼの十戒のごとく、波が割れる様に人が割れてしまい、近寄ってすら来なかったのだ。
うん、なんだか考えれば考えるほど悲しくなってきてしまった。できれば、ゲームの登場人物ではなく、誠実で優しい誰かと結婚したいと思っていたけれど、無理だろうな――魅力的にも、立場的にも。 まあ、そうは言っても私は一位だし、何らかの利用価値はあるだろうから、油断はしてはいけないだろうけれど。
でも、攻略対象者は基本で高い地位にある人間ばかりだから、一位になったことで余計に私は安全になっただろう。まあ、セオ以外の攻略対象者達には近づこうとすら思わないけれど。
そこまで考えて、ふと思いついた。思いついてしまうとそれを口にするのが恐ろしくなってしまった。それでも聞かないわけにはいかないだろう。
「今、なんて言ったのかい、シェリー?まさか本気で言っている?」
意を決してその質問を口にすると、セオの顔色がさあっと青くなり、私をきつく睨みつけた。
セオの剣幕に驚きながらも、私は首を縦に振った。そんな私をセオはますます厳しい目で睨むと「どうして」と冷たい声を出した。彼のそんな冷たい声を初めて聞いた私は思わず後退ってしまう。
「どうして、って聞いているんだよ、シェリー。やっぱり、俺が信用できない?」
「まさか!セオが信用できないのなら、他の誰を信用できるっていうの?」
「へぇ、じゃあ、どうして急に『私たちの婚約はなかったことにしない?』なんて言い出したの?」




