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神官を慕う娘 5

 結局わたしは一睡もできなかった。あの女がセオドア様と一緒にいると思うと心配で一晩中まんじりともしなかった。明るくなったので起きて動き始める。朝食を作りながら、あの女が起き上がれないとかセオドア様が言い出したら、どうしようかと思った。もし、そうならあの女の食事に農薬を混ぜてやろうと思った。


 けれどわたしの心配は杞憂に終わった。女は涼しい顔で食卓に顔を出した。昨日と違い化粧をしていないのにも関わらず、やはり美しかった。わたしがこれほど美しかったらセオドア様はわたしのことを好いてくれたのだろうか?

 セオドア様を盗み見たら、なんだか寝不足の様で目の下にうっすらくまができていた。いったい何があったんだろう?やっぱり昨日不埒な行為をしたんじゃないだろうか…けれども、昨日の今日で何も聞けない。

 わたし達は静かに食事をとった。いつもと違った情景に涙が溢れそうになった。昨日の昼までは、いつもと変わらない、幸せな毎日だった。平和な日常が壊された気がした。あの女のせいだ。わたしの日常を返して欲しい。


 食事が終わるとセオドア様はあの女の手を取って院長室へと帰っていった。今日のセオドア様は「おはよう」「いただきます」「ご馳走様」の三つしか口にしなかった。子供達も昨日の気まずさからか誰も話しかけなかった。

 どうしよう?セオドア様に嫌われたら、わたし達は生きていけない。


 ともかく働かなくては、と後片付けをしていると、皿を掴み損ねた。皿は床に吸い込まれる様に落ちると、物悲しい音を立てて割れてしまった。わたしの心が壊れた音の様な気がして、割れてしまった皿を見つめた。

 わたしが茫然としていたら、一人の男の子が箒とちりとりを持ってきて紫銀の髪を揺らしながら後片付けをしてくれた。


「あ、ヴァル…」


 少年は顔を上げるとはにかんだ様に笑った。穏やかで、優しい子で顔立ちも綺麗だーー左半分は。右半分は醜く焼け爛れている。そのせいか一人を好む子だが、周りをよく見ており、何かあった時はこうして手を貸してくれる。


 多くを語らない子だけれど、その顔を焼いたのは実の母親だと言うことは漏れ聞いていた。


「今日は僕が代わるよ。オーリャは休んでてよ」


 ヴァルはわたしを気遣わしげに見ると、そう言ってわたしの代わりに働き出した。彼は表立って動くのが苦手で、専らわたしを手伝ってくれているので、手慣れた手つきだった。


「ありがとう…。ヴァル、なんだかごめんね」


 仕事を片付けたヴァルにお礼を言うと、振り向いたヴァルは困った様に微笑んで、ため息をついた。


「気にしなくていいよ。でもさ…僕たち、セオドア様に甘え過ぎてたよね。セオドア様はいつも優しいから。でも、きちんと分を弁えないといけないね」


「分を、弁えるって……なに?だって、セオドア様はわたし達の家族だって…」


「うん、だから、その言葉に甘えていたよね?本当はそんなはずないってことぐらい、オーリャだってわかってるでしょ?」


 真っ直ぐな瞳でヴァルはこちらを見た。いや、わからない。わかるはずがない。セオドア様はいつもわたしに優しくて、ずっとずっと一緒にいるはずだったのだ。


「じゃあ、ヴァルはあんな…急に出てきたあの人にセオドア様を任せるの?あんな貴族みたいな……、あんな人がセオドア様を幸せにできるの?」


「あの人がどんな人かわからないから、なんとも言えないけど…。でもあの人がどんな人かじゃなくてセオドア様が選んだかどうかを考えないといけないんじゃないかな」


 ヴァルがそう言うとイネッサがヴァルを呼びにきた。ヴァルはイネッサが来たら、さっと棚の影に隠れた。イネッサは元気で人懐っこく、素直な子だが小さな子特有の「なんで?」が多くてヴァルはイネッサを苦手にしている。というか、ヴァルはわたし以外の人間とあまり関わらない。恐らく顔の傷を気にしているからだろう。

 セオドア様が一度治療しようとしてくれたが、難しいとのことだった。ヴァルの体質が云々と言っていたが、わたしにはよくわからなかった。わかったことはヴァルはこの傷跡を一生抱えて生きていかなければならないということだけだ。


「あ、いたいた、ヴァル。セオドア様が呼んでるよ。応接室に来て、だって」


「わかった」


 ヴァルが返事をしたら、イネッサは頷いて台所から出て行った。イネッサの姿が消えたことに安堵したヴァルは、棚の影から出てくると「じゃあ、行ってくるね」と出て行った。



「オーリャ!」


 数十分ほどしてヴァルは戻ってきた。傷ひとつない、美しい顔とそれに反比例した真っ赤に泣き腫らした目で。


「どうしたの?ヴァル!セオドア様が?」


「ううん、エヴァンジェリン様が!エヴァンジェリン様が治してくださったんだ」


「あの女が…」


「ものすごく温かかった。治癒してもらう時ってあんなに心地いいものなんだね」


 茫然としているわたしをよそに、ヴァルは生き生きと話し出した。いつもあまり表情が変わらなかったヴァルは頬を染め、夢見る様な顔で語り出した。こんなヴァルは初めて見た。こんなヴァルは知らない。じゃあ、目の前の少年は誰だろう?可愛がっていた子犬が自分の手から離れてどこかへ行ってしまった様な気がした。


「それにオーリャ、安心して良いよ。あの方はとても良い方だった。僕を治してくれた後に、抱きしめてくれて…一緒に…僕の気持ちを受け止めてくれたんだ」


「そんな…」


 そんなわけがない。あんな人形めいた女が良い人のはずがない。絶対にわたし達の気持ちを理解しない、嫌な女に違いないのだ。


「大丈夫だよ、オーリャ。あんなに優しい治療ができる方だから。絶対に悪い人じゃないよ」


「でも、あの人は家族じゃないわ…、セオドア様の家族はわたし達だけだし、その…」


「うん、まだ家族じゃないかもしれないけど、大丈夫だよ。きっと家族になれるよ。僕たちだって最初は他人だったじゃないか。時間をかけて家族になっただろう?」


「そうだけど…、でもあの人はここに住まないし、わたし達の家族にはなれないわ」


「大丈夫だよ。僕たちの家族になれなくても、セオドア様の本当の家族になれれば。きっと、それが一番大切なんじゃないかな。

 できれば……いや、なんでもないや」


「セオドア様の本当の家族ってなに?わたし達は本当の家族じゃないって言うの?」

 

 違う、わたし達の家族じゃない。本当は…本当はわたしの家族だと、いつも叫びたかった。

 最初は他の子供が院に来るのは許せなかった。でも、どんなに人が増えても、わたしよりも可愛い子が来ても、魔力が高い子が来ても、いつもセオドア様の一番はわたしだった。だから、セオドア様の家族はわたしだけで、他の子達はただの通りすがりに過ぎないはずだったのだ。


「セオドア様は優しいよ?僕たちがこうして生きていけるのはあの方のおかげだ。でも、セオドア様は僕たちとは一線引いていたでしょう?僕たちだけじゃなくて、オーリャにもさ」


 びっくりした。つい、口に出してしまったかと思った。瞬きすら忘れてヴァルを見詰めた。


「そりゃ、わかるよ。ああ、でも誤解しないでね、オーリャがちゃんと僕たちの面倒を見てくれていたことは知っているし、感謝もしてる。僕はオーリャのこと好きだよ。でもさ、やっぱり言動の端々に現れるものだと思うよ?

 だから、これはオーリャの為に言うんだけど、これ以上嫌われたくないなら、きちんと分を弁えて現実を見るべきだと思うんだ」


 なんと答えれば良いのか分からなかった。そのセリフは昨日も聞いた様な気がする。憎い男と可愛がっている子犬が同じことを言うなんて…。


「僕はオーリャ以外とはあまり話をしないから、他の皆がどう思っているか知らないけど、殆どの子供たちはオーリャが好きだと思うよ」


 黙っているわたしを慮ってか、ヴァルは言葉を付け足した。昨日から、わたしの世界は壊れてばかりだ。眩暈がした。自分がどこに立っているか、わからなかった。わたしの日常が壊される。あの女が壊してくる。あの女は破壊の具現だ。

 排除しないといけない。どんなことをしても…!


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