令嬢は孤児院で過ごす 10
食事の後、少し経ってから応接室に案内された。そこには十代前半くらいの男の子が居心地悪そうにソファーに座っていた。私とセオが部屋に入ってもその子は顔を下に向けたままで、こちらを見ようともしない。
紫銀の髪に白い肌、見たところ彼はハルペーの民ではなく、クライオスの国民の様だ。
「ヴァル、待たせたね」
セオが優しく声をかけると、ヴァルと呼ばれた少年は小さく頷いた。セオはヴァル君の頭を撫でると私に声を掛けた。
「さて、シェリーちゃん。最初はこの子の傷を治してあげて欲しい」
その言葉にヴァル君はびくりとした。そして初めて顔を上げてセオを不安そうに見た。顔を上げたヴァル君は綺麗な顔をしていた。けれど、その秀麗な顔の右半分は焼け爛れ潰れていた。
「…セオドア様…?」
「ああ、私は彼女なら可能性があると思っている」
不安そうにセオの顔を見上げるヴァル君にセオが優しく語りかける。それでもヴァルは不安でたまらない様子で、セオに縋る様な瞳を向ける。
「私では嫌かしら?」
私がしゃがんで彼の顔を覗き込んだ。彼は私の顔を見ると、びくりとして、恐る恐る口を開いた。
「い、嫌じゃない…けど…、僕の傷は治せないって皆言うし…何より尊い身分の方が僕みたいなのに触るの嫌なんじゃ…」
「そんなことないわ、あのね、ヴァル君。私つい先日ハルトになったばかりなの。私はまだまだ未熟なハルトだから、あなたは心配かもしれないけれど、あなたさえよければ私に治させてもらえないかしら?」
そうお願いしたら、ヴァル君は少し逡巡したけれど恐る恐る頷いた。
その様子にセオはほっとした様に息を吐いて何事か呟いた。その言葉にヴァル君も頷いていたので、何か安心する様なことを言ってくれたのだろう。
私はヴァル君の顔が見える様に、座っている彼の前に膝立ちになって、彼の顔をそっと触った。ヴァル君はびくりと身体を震わせた。
彼の顔を近くで見ると切なくなった。どんな状況でついた傷かはわからないけれど、辛かっただろう。これほどひどくなかった私でも傷があったら辛かった。人から見える位置の傷ではなかったけれど、それでもコンプレックスだった。隠せない傷はどれほど彼の心を傷つけただろう。
彼の傷が綺麗に治りますように、そう願った。昨日と同じでふわりと温かいものが触れているヴァル君に移った気がした。
そうしたら次の瞬間には、ヴァル君の顔の傷は消えていた。ほうっと安堵のため息が我知らず出ていた。セオが私の隣に来てくれて彼の顔を覗き込んで、驚いた様な顔をした。「まさか」と呟いたが、すぐに思い出した様にヴァル君に鏡を差し出した。ヴァル君は恐る恐る鏡を覗き込んで動かなくなった。
「ヴァル君…?」
声をかけたら、急にヴァル君の目から真珠の様な涙がポロポロ溢れてきた。ヴァル君は泣きながらも角度を変えつつ鏡を一生懸命覗き込み続けた。何分か覗き込んだ後にヴァル君は私の方を振り向いて弾けるように笑った。
「ありがとう、ありがとうございます、エヴァンジェリン様。あの傷が消えるなんて…」
その後の言葉は嗚咽に混じって聞こえなかった。うん、傷口があることは辛いことだよね。私レベルでもきつかった。だから、彼の傷を癒せたことが嬉しくて仕方がなくて、私の目にも涙が滲んだ。よかった、私でも役に立てたんだ。今まで生きてきた意味がちゃんとあったんだ。
そのまま、ヴァル君の頭を抱える様に抱きしめた。そのまま、彼の嗚咽が止まるまで私は彼を抱きしめ続けた。途中、彼の頭に私の涙が何度か落ちただろうにヴァル君は何も言わなかった。
「ヴァル君、私もありがとう。あなたのおかげで、私が生きている意味が、やっとわかったわ」
そう言ったら、ヴァル君の泣き声が少し大きくなった。なんだか、私も感極まってしまって涙が止まらなくなって、ヴァル君を抱きしめたまま泣き続けた。
しばらくしたら、彼は落ち着いてきた様で、なにやらもにょもにょと言っている。なんだろうか、と顔を覗き込むと泣きすぎたせいだろうか、顔が真っ赤になっていた。
「シェリー、そろそろ離してあげなさいね」
そう言って後ろからセオが私を抱える様にして私をヴァル君から引き離した。セオにしては手荒い引き剥がし方だったので、嬉しさのあまり、力いっぱい抱きしめてしまっただろうかと首を傾げたくなったが、先に謝らなくてはいけないだろう。
「不快なことしてしまったかしら?ごめんなさいね、ヴァル君」
「ううん、そんなこと、ありませんし、不快なんてことは…!でも、あの、セオドア様に申し訳ないですし…」
一生懸命フォローしてくれるヴァル君はすごく可愛かった。ものすごく気を遣ってくれていてこちらの方こそ申し訳なくなる。ヴァル君の顔はまだほんのり赤かったけれど、それでも涙は乾いてきた様だった。
「あの、本当にありがとうございました!五歳の頃に負ってずっとずっと辛くて…!それなのに、僕の傷はなかなか誰も治せなくって…もう一生治らないかと思ってました。こんな綺麗になるなんて…!」
「お役に立ててよかったわ。私にもできることがあるって教えてくれて、私の方こそありがとう」
私がそう言うと、ヴァル君はふわりと笑った。初めて会った時から思っていたけれど本当に可愛い。
「エヴァンジェリン様、この御恩は絶対に返します。迷っていましたけど、僕はここを出たら神殿に所属しようと思います。その時はお側に置いていただけますか?」
「神殿に?迷っていたなら、無理に所属しなくても良いんじゃないかしら」
「いいえ、僕は稀少な闇属性持ちなんです。だからいつかきっとお役に立てます。だから、だから…!」
「まぁまぁ、落ち着きなさい。まだもう少し時間があるだろう?考える時間はもう少しある。シェリーもいきなりそんなこと言われても困るからね」
セオドアの言葉にちっと小さく舌打ちの様な音が聞こえた様な気がしたけれど、目の前の可愛い男の子がそんなことをするはずがない。まだもう少ししゃくり上げているのかもしれない。
その後、ヴァル君は追い立てられる様にしてセオから部屋の外に出されていた。ヴァル君を部屋の外に出したセオは私の元へやって来て、私の手を握った。
「何か身体に違和感があったりしないかい?眩暈がするとか、指先が痺れるとか…」
「いいえ、特に不調は感じないけれど…どうして?」
「参ったね、ヴァルを治しても異常なしか…。良かったけれど、それにしても、やっぱりとんでもないね、君は」
そう言うなり、セオは私を抱きしめた。なんだか昨夜からセオに抱きしめられることが増えた気がするけれど、決して不快ではない。むしろあったかくて嬉しい気がする。
「ヴァルの傷を癒してしまうとは思ってなかったよ…、彼は僕たちですら治せない人間がいるって言う症例にしようかと思っていたんだけど」
「どういうこと?」
「さっきヴァルが言ってただろう?あの子は闇属性の持ち主なんだ。闇と光は反発する。だから、彼は光属性である治癒魔法が効きづらいんだ。だから、俺でも治せなかった」
「そうなの?それってまずいかしら?神殿にばれたら何か問題が…」
「いや、報告しなければ良いから気にしなくて良いよ。それよりももっと気にしないといけないことがある」
そう言うと、セオは私の顎の下に手を入れると上を向かせる。驚いて目をぱちくりさせる。だって目の前にはセオの顔がアップであるのだ。もう言い飽きたことだけれど、心臓に悪い。
セオは真剣な表情で、顔を私の顔に近づけてくる。本当に居た堪れなくなって思わずぎゅっと目を閉じる。しばらくセオは何も言わなくて、私も何も言えなくて沈黙が流れた。
「こら、こんな時に目を閉じない。君は本当に、危機感が薄いんだから……、勘弁してくれ、本当にもう…」
沈黙を破ったのはセオだった。なんだか最近はこんな風に怒られることが増えた気がして申し訳ない気がする。けれど急に顔を近づけてくるんだから、思わず目を瞑ることだってあると思うのだ。
「うぅ、だってなんだか、こう、恥ずかしくって…」
「恥ずかしく思うことはいいとは思うけど…でも、次同じことをしたら今度は遠慮しないからね」
「?なんだかよくわからないけど気をつけます」
「よくわからないなら気をつけようがないだろう…生返事はしないこと」
「うぅ、でもセオ以外がこんなふうに近づいてきたら殴ってでも逃げるわよ?」
「さっき、ヴァルとはもっと近づいていただろう?…そう言えば蕁麻疹は大丈夫なのかい?」
「だってヴァル君は子供じゃないの。だからかしら、蕁麻疹出てないみたい」
セオに言われて初めて蕁麻疹が出ていないことに気がついた。特訓と聞いたので魔力を残しておこうと思って防御魔法を使っていなかったにもかかわらず、どこにも違和感がない。
「君が子供と思っていても、相手が本当に子供かどうかはわからないだろう?何よりここの子たちは苦労してきたんだから大人びているからね、そしてそんな子たちは珍しくない。だからいくら君が子供だと思っても、気軽に抱きついたりしないこと」
「はい、ごめんなさい」
「全く…本当にもう次は遠慮しないからね」
「はい、…でもセオは悪いことなんてするはずないし、遠慮?なんかしなくてもいいんじゃないかと思うんだけど…私にまで気を遣わなくて欲しいわ」
昨日はそれで誰がどこで寝るか揉めていた。恐らくセオはいつも色んな人に気を遣っているんだろう。だから、私くらいには気を遣わなくてもいいと思うのだ。私がそう言うとセオは私から手を離すと頭を抱えて蹲ると何やら呟いた。
「くっそ、我慢するんじゃなかった…」
何か失敗したのだろうか?




