令嬢は孤児院で過ごす 9
鳥が鳴く声で目が覚めると、あたりは明るくなっていた。パティちゃんのことも相談したいし、昨夜はセオが帰るまで待とうと思ったのについつい寝入ってしまった様だった。
ぼんやりとした頭で周囲を見回したら、セオが机に座って何か書類の整理をしていた。
「おはよう」
そう声をかけたら、セオは私の方を見て、驚いた様な顔をした後に目を逸らした。
「あぁ、おはよう……えっ、と。顔を洗う水を持ってくるから、着替えてて」
セオがそそくさと部屋を出て行ったので、私も急いで服を着替えることにした。昨日着ていた服を着ようかと思ったが、金庫の上に新しい服が用意されていた。どこまでも気配りをしてくれる人である。有り難く厚意に甘えることにする。用意されていた服は質素だが、仕立ての良いものだった。
着替えを終えた頃に、ノックの音がした。
「入って大丈夫かい?」
「ええ、大丈夫。ありがとう」
そう言うと水桶と飲み水を持ったセオが入って来た。お礼を言って受け取ると、顔を洗った。普通ならここで、軽く化粧をするところなのだが、今日色々と動く予定である。何より子供と接するのだから、化粧をするのはあまり宜しくないだろう。化粧品はきちんと用意はされていたが、化粧はしなかった。
しかし、用意されていた服は私のサイズぴったりだし化粧品も私が使っているものと同じものだった。いつの間に用意したのだろうか?なんだろう、前もこんなことがあった気がする…。
「ありがとう、今何時くらい?」
「6時くらいだね。朝食は8時からだからまだもう少しゆっくりしていて良いよ」
「ありがとう、でもセオも早いのね?昨日は私より遅かったでしょう?」
「あぁ…うん、いや眠れなくってね…と言うか…眠れるか、くそ」
ぽつりとセオが呟いた。見ると目の下にうっすらクマがあった。
「え?なに?もしかして私いびきとかかいてた?うるさかったりした?」
「いいや、静かなものだったよ…。そういうことじゃなくて…まぁ、いいや、君だからね」
そう言ってセオはまた書類に目を落とした。
「なんの書類?見ても良い?」
「ああ、構わないよ。今見てるのは子供たちの待遇だよ。ここは十八歳で卒院だからね、卒院後の働く場所を手配しているんだ。
あと希望した職に就くために勉強したいことがあれば教師を手配したりとかね」
そんなことまでセオがしているなんて驚いた。
「セオはすごいわね。昨日は自分の手が届く範囲は狭いって言っていたけど、そんなことないじゃない。ハルトの仕事をしながらそこまでするなんて誰にでもできることじゃないわ」
「そうだといいんだけどね」
書類に目を落としたら、卒院後は神殿に入殿して神殿騎士になりたいと書いている子供が多かった。そして習いたいことも剣技と書いている子供も多い。神殿騎士とは結構な危険な職だと聞いたのに、志望している子供が多いことに驚いた。
「剣技を習うのは身を守る上でも良いことだとは思うが、神殿騎士だけは辞めて欲しいんだけどね…。こればっかりはどうしようもないのかな。
俺が手を貸せるのはここにいる間だけなんだから、その間に自分のしたいことを見つけて欲しいと思うけど、それも難しいんだろうな」
ふぅっとセオはため息をついた。
「それなら、職業研修に行かせるって言うのはどうかしら?」
「職業研修…?」
「そう、例えばなんだけど、セオが懇意にしている農家さんとか、パン屋さんとか、色々なところにお願いして、期間を決めて働かせてもらうの。どんな仕事があるかわからないから、他の道を選べないのなら選択肢を増やしてあげるのも良いんじゃないかしら?」
前世では、社会見学であったり、職業体験であったり、社会にどんな仕事があり、どの様なことをしているか、知る機会を設けられていた。また、バイトなどで社会に出る前に働くこともできたのだ。
日本の子供たちは就学の権利があり、十四歳未満の子供は就労することは禁止されていた。
学校では色々なことを教えられ、将来の基盤を作れた。
こう聞くと首を傾げる人もいるかもしれないが、読み書きができるということは素晴らしいことなのだ。文字の有用性は言うに及ばないと思う。
仕事をする上で、メモをしたり、マニュアルを読んだりすることは珍しいことではない。つまり、読み書きができるということは働く上の基盤なのだ。
更に足し算や引き算は言うに及ばず、掛け算に割り算を覚えると効率的に仕事ができる。日本では小学校で九九を習い、覚えるので当然のように計算が可能だ。
けれど九九が浸透していない国ではいちいち数えなくてはならない。こういうと伝わりにくいかもしれないが、私が生前聞いた話で驚いた事がある。
実際に某国で行われた人数把握の方法だ。日本では六人の列が八つ有れば、四十八人とすぐに計算ができる。けれどとある国には、九九という概念がない。ではどうするかと言うと一人ずつ数えていくのだそうだ。あまりにも効率が悪いとしか言いようがない。
また、英語の授業についても実は役に立っていると私は思うのだ。日本で教える英語は非実用的だと批判されていることが多々ある。確かに『これは机ですか?それとも犬ですか?』なんて例文があるあたりその指摘はご尤もというところはある。けれど、英語に対する、ある程度の下地ができるということは否定できない。
日本人の殆どが『英語を喋れるか?』と質問されたら、否と答えるだろう。けれど外国人に『日本語を喋れるか?』と聞かれるとイエスと答えるそうだ。実際に喋る様に依頼したら、『寿司、芸者、天麩羅、すき焼き』と答えるそうだ。間違ってはいない、間違ってはいないのだが、微笑ましいというかなんというか…。けれども彼らはきちんと日本語が喋れると思っているのだ。
私たちは『英語が喋れるか』と聞かれたら間違えても『ハンバーガー、カウボーイ、ステーキ、ケーキ』などと答えないだろう。大抵の人はきちんと『I can’t speak English』ときちんと返せるだろう。これは学校教育の賜物であることは言うに及ばないだろう。彼らの喋れる日本語よりも、私たちが習った英語の方がよほど実用的であることは明白だ。要するに日本人の要求するものが高すぎるのだ。
批判もあるが、それでも私たちはたいへん恵まれた環境で育っているのだ。前世では恵まれた環境が当たり前すぎて気づかなかったことは結構あるんだなとつくづく思うことがある。
この世界には平民の子供たちが通う学校はない。何より子供たちは貴重な労働力である。幼い頃から働くのは当然のことで、もちろん職業選択の自由などない。その点を考えてもこの孤児院に来れた子供たちは幸せである。
だいたいの子供たちは家業を手伝うことが殆どだ。子沢山の家などは徒弟制度で家を出される。徒弟制度は厳しい環境下に置かれるが、技術を身につけることができる。幼い頃から技術を叩き込まれた彼らは職を変えることはない。
「面白い発想だね。だけどうちの子たちはハルペーの民が多いからな、断られることがあるかもしれないな」
「それじゃあ、私たちが出資して、職人さんを雇ってお店を出すっていうのも良いんじゃないかしら?幸い使いきれないほどの収入があるんだもの」
「また面白い発想だね、自分で店を開くんじゃなくて誰かを雇って店を回させるのか」
「そう、事情があってお店をたたんだ人とか、独り立ちをするつもりの人とかに声をかけて私たちが出資するから、代わりに子供たちの受け入れを頼むの」
セオは少し考える仕草をすると、頷いた。
「面白いね、良い案だ。うまくいけば卒院後の子供たちの新しい受け入れ先も作れるってことだね」
「ええ、そう。けれど施し過ぎはお互いのために良くないからきちんと売上の何割かは納めてもらう様にするといいと思うわ」
「そうだね、けれどこの国に建てると許可を取ったりなんだりと面倒だから、クライオスに建てるか。移動が少し面倒だけど、神殿に関わる機会が減る方がずっと良い」
「でも焦りすぎは禁物よ。きちんとノウハウを身につけた人で、信用できる人に切り盛りしてもらわないといけないわ。その人が下手なことをしようものなら、私たちにまで咎が及ぶことが あるもの。時間をかけて吟味していかなきゃいけないわ。
まず人材を確保、それから仕入れ先、原価率の確認、どこに何を建てるか、その地の人が何を求めているのか、どの階級をターゲットにするのか、素人の私が思いつくだけでもこれだけの問題があるわ」
「なるほど」
「けれど私は本当に素人だから、もっともっとリサーチしないといけないことはあると思うの。すぐに動くのではなくて、五年とか十年計画で動く方がいいと思うわ。
それまでに子供たちには読み書きと計算を習わせておくとどんな仕事にでも対応がしやすいと思うの」
「読み書きは教えてるけれど、計算かい?」
「ええ、そうよ。パン屋とか小間物屋とかで働きたいなら、計算をさっとできた方がいいじゃない?そうでなくても、買い物する時にお釣りを誤魔化されたりしない様に、計算も必要と思うの」
本来なら九九を教えてあげられたら良いのだろうが、もし万が一私が異世界転生者だと神殿に知られたらどんな迷惑が及ぶかわからない。この世界で、一般的な教育を受けてもらう方が安心だろう。
「わかった。それにしても、よく思いつくね。それも王妃教育の賜物かな?」
セオの質問に答える言葉を持たない私はただ微笑んだ。そんな私を見てセオは少し首をすくめた。




