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令嬢は孤児院で過ごす 5

 孤児院の中に足を踏み入れたら、何かあったのか、雰囲気が変わっていた。子供たちの表情は硬く、セオの訪来で華やいだ雰囲気はどこにもなかった。帰ってきた私とパティちゃんを見てセオはちょっと気まずそうに微笑んだ。


 気まずい雰囲気の中、一人の少女が「食事ができた」と呼びにきたので、皆口を噤んだまま、移動を始めた。パティちゃんはずっと私といたけれど、同じ年くらいの女の子が迎えに来たので、ちらりと私を見た後に、その子と一緒に行ってしまった。

 セオが近づいてきて、私に手を差し伸べる。どうやらエスコートをしてくれる様だ。


「迷惑をかけたね、ありがとう」


 その顔は保護者の顔だった。私は微笑み返して彼の手を取った。




 食卓には白米に豆腐の味噌汁、煮物、鳥の照り焼きが並んでいて、やはり和食だった。子供たちはめいめい席に座る。私はセオにエスコートされて、彼の隣に座った。目の前には席がひとつ空いている。食事が並んでいるが、子供たちは誰もその席に座らなかった。

 年嵩の子供たちはずっと落ち込んだ様子を見せており、年少の子供たちは彼らにつられて大人しくなっていた。後からやってきたオーリャさんも席に着いたが、下を向いたまま、全く顔を上げない。それを気遣いながらも、子供たちは誰も口を開かなかった。


 お通夜の様な雰囲気の中で皆大人しく食事を食べていた。そして、豆腐を口に入れて固まった。これは、()()()さんーー実家の近所のお豆腐屋さんの名前だーーのお豆腐だ。なんで、こんなところでこの味に出会うんだろう?嬉しいというよりも、不信感が芽生える。

 明らかに朝、女将さんの宿屋で食べた豆腐と味が違う。絶対に間違いない、これは、はなやさんのものだ。前世でも、はなやさん以外のお店でこの味に遇ったことはない。それなのにこの世界に、この味があるということは……。なんだか嫌な想像をしてしまう。

 

 考えながらもしっかりと食事を取っていたら、食堂の扉が開き、三十代ほどの身なりの良い男性が食堂に入ってきた。中肉中背の男性で、これと言った特徴はない様に見えたが、顔には人の良さそうな笑顔を浮かべている。


「やぁ、セオドア様。お邪魔しております」


「あぁ、久しぶりですね、ラヴゼル殿。いつもこの子たちがお世話になっている様ですね」


「いえいえ、大したことはしておりません。こちらこそセオドア様にはいつもお世話になっております。

 最近お越しになられておりませんでしたからね、お元気かどうか気にしておりましたよ。

 けれど良い時に来ました。なにやら、セオドア様が奥様を連れて帰られたとか伺いましたよ。しかもその方を庇って温厚なあなた様が、大切にしている子供たちを叱り飛ばしたとか、楽しいお話を聞きましたよ」


「ええ、確かに婚約者を連れて帰ってきましたよ。

 けれど相変わらずですね…。あまり変なことを吹聴しないでいただきたい」


「ははっ、事実でしょう。しかし、お元気そうで何よりです。

 そうそう、後ほど新しい商談についてお話をしたいのですが、よろしいでしょうか?」


「えぇ、もちろんです。後ほど伺いましょう」


「ありがとうございます」


 そう言いながら、男性は目の前の空いている席に手をかけた。そして、私の顔を見ると目を丸くした。


「これはこれは、リザム嬢ではありませんか。何故この様なところにおいでなんです?」


「失礼ですけれど、どこかでお会いしましたでしょうか?」


 いきなり名前を呼ばれて内心驚いたものの、顔には出さずに微笑む。貴族の顔と名前は一通り覚えているはずが、この男性の顔も、ラヴゼルという名前も全く心当たりがない。


「あぁ、失礼しました。私はラヴゼル・ダトスと申します。王都に住まっておりまして、貴女様のことは私が一方的に存じておりました。

 私は平民で、あまり作法に詳しくありませんでして…ご紹介もないのにお名前をお呼びしてはいけなかったんでしたな、申し訳ありません」


「いいえ、お気になさらず…私は」


「あぁ、お許しくださるのですか!ありがとうございます。さすがは未来の王妃さま、懐が広うございますなぁ」


 入殿した身ですから、と続けようとしたが、彼は私の言葉を遮って話し出した。クライオスの貴族社会では人の話を遮るのは御法度である。つまり、身形は良い割には人の話を聞かずぺらぺら喋り出すこの男は貴族ではないだろう。先程セオに商談を持ちかけていたところから鑑みるに王都の商人だろう。しかし、私の顔を見知っている以上は貴族と関わり合いがあると思われるのだが、それなら尚更こんな無作法な真似はしないはずなのだが…。


「いいえ、婚約…」


「あぁ、わかっておりますとも!まだ婚約者だと仰るんですな。殿下の仰る通り謙虚なお方だ。これほどにお美しいのに、謙虚で慈愛に満ち溢れているとは、殿下が実に羨ましい。私も後十歳若ければ…。

 いやいや、これは内密にお願いしますよ、この様なことが殿下のお耳に入ろうものなら私など簡単に消されてしまいますからな。

 あぁ、殿下と言えばどちらにおいでですかな?溺愛する貴女様がこの様なところまでお一人でお越しになるのを殿下がお許しになるはずがありますまい。ご一緒にお越しでいらっしゃるのでしょう?ご挨拶をせねばなりますまい」


「いいえ、あの…」


「あぁ、殿下はお疲れでいらっしゃるのですかな?遠い異国の地で、ほんのひと時と言えど貴女様から目を離されるなど、本来なら殿下がお許しになりますまいからな」


 どうしよう、彼が何を言っているかわからない。ジェイドが私を溺愛しているなんてどこから拾ってきたデマなんだろう?しかも、もう婚約解消していると返事をしようとしているのに、遮ってぺらぺらと喋り出すので、口を挟めない。この人どこで息継ぎしてるんだろう。


 しかし、彼は何かを勘違いしている。ジェイドが愛しているのは私ではなく、サラだ。どうしてそんな勘違いをしているのかと疑問に思ったが、ふと思いついた。

 王太子が婚約者と不仲など外聞が悪い。真実はどうであれ、仲は良好としておく方が何かと都合が良いのであろう。私が考えごとをしている間にも彼の口は止まらない。とうとう私の外見を褒め出した。


「いや、しかしお美しい。殿下からは色々と惚気を聞いておりましたし、遠目からも拝見しておりましたが、こうしてお近くでお目にかかったらまた格別ですなぁ」


「ありがとうございます。けれど過去のことでございますわ。私、入殿いたしましたの」


「入殿なさった、ですか?まさか!殿下はご存知なんですか?殿下が貴女様を手放されるはずが…!」


「殿下との婚約は解消いたしました。もうひと月以上前のことです」


「婚約解消なんて!まさか!」


 ようやく口を挟む隙があったので、ようやく婚約解消したことを伝えることができた。それを聞いたラヴゼルは一目でわかるほど、顔色を変えた。しかし、この男は何を言っているのだろうか。先ほど自分でも平民とは言っていたが、彼の立居振る舞いはおかしい。彼の口ぶりから貴族と関わり合いがある様だが、貴族の屋敷に出入りする人間の作法はもっと洗練されている。

 今見た通りの立居振る舞いをいつもしているのであれば、貴族の屋敷や王宮に出入りはできないだろう。それなのに彼がこんなに親しげにジェイドのことを語るのは不自然すぎる。しかもジェイドのことをよく知っている感を出すのに、私との関係をものすごく誤解している。更に私と彼の婚約解消を知らないあたり、おかしすぎる。いったいどんな人間なんだろう?子爵令嬢の時であれば関わり合いになってはいけないと避ける類の人間だ。


 そもそも私はあまり外出をしない。街に降りることはほとんどなかった。王妃教育で王宮へ行くことはあったが、それ以外あまり外出していない。彼がいつどこで私を目にしたのだろうか?


 ものすごく不自然な男、ラヴゼルに笑みを作った。もうこれ以上は話したくないという思いを込めてゆっくりと話した。


「事実です。陛下もお認めになりました。今の私は貴族ではありませんし、入殿もいたしました。殿下との未来はもうございません。

 お互いに納得した上でのことです」


 私がそう言うと、ラウゼルは信じられないという表情のまま、首を左右に振った。もうこれで分かってもらえたかと思ったが、ラウゼルは更に口を開く。


「いや、やはり有り得ません。貴女様はきちんと殿下と話をすべきです」


 何を言っても分かってくれないラウゼルに辟易する。貴族の時で有れば「失礼」とかなんとか言ってさっさと逃げられるが、彼はセオとなんらかの関わりがある様なのだ。あまり無碍に扱うわけにも行くまい。さて、どうすべきかと困っている私に手を差し伸べてくれるのは、いつもセオだ。今回もそうだった。彼は私の手の上に彼の手を重ねて優しく握った。ほっとする。


「そこまでにしていただけますか、ラウゼル殿。私の婚約者をこれ以上困らせないで貰えますかね」


「婚約者ですか?ご紹介いただきたいとは思っていました。

 けれども先ほどからリザム嬢以外の女性はいらっしゃいませんし……まさかまさかと思っておりましたが…、いや、聞きたくありません」


「ご紹介しますよ、ラウゼル殿。私の婚約者のエヴァンジェリン…」


「ひぃぃぃ!聞きたくありません、知らなかったことにさせてください!

 というか、セオドア殿、今からでも遅くありません。婚約解消してください。悪いことは申し上げません。おやめください。……生命に関わります」


「生命に関わる、ですか。彼女がなにか?」


 ラウゼルの意味不明な言葉にセオが眉を顰めるが、それに気づいているのかいないのか、ラウゼルは言葉を続ける。


「リザム嬢が問題ではないのです!問題は殿下です。リザム嬢が他の男に嫁ぐだなんて世界が滅びます!」


 あぁ、恐ろしい!そう言いながら彼はその身体をがたがたと震わせた。いったい何が彼をそんなに駆り立てるのだろうか?


「あの、先ほどからなんのお話をなさっているのか…。私と殿下は政略みたいなものでしたし、特に何も問題ないかとは…」


「いやいや、あの溺愛ぶりに気づかれてなかったんですか?ご自身が愛されてなかったとお思いですか?ほんの一瞬でもあの方の真心に触れたことはございませんか?」


 いやー、ないなと思いながらも、あまりにも必死なラウゼルになんと言おうか考える。しかし、何を言っても信じてもらえそうになくて頭を抱えたくなる。あまり詳しいことを誰にでも彼にでも吹聴したくない。


「なんと仰られようと私と殿下の婚約は解消されました。それが全てでしょう?」


「それに彼女はもうリザム子爵令嬢ではありませんよ。ねぇ、シェリーちゃん?」


「えぇ、そうです。はじめまして、ダトス様。私は今はエヴァンジェリン・ハルトと名乗っております」


 私の言葉にラウゼルは真っ青になった。そうしてポツリとつぶやいた。

 

「まさか、ハルトだなんて…。この世界は終わりだ…」

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