令嬢は孤児院で過ごす 4
幸いなことに私はすぐにパティちゃんを見つけることができた。パティちゃんは建物の裏手の大きな木の下にいた。あまり遠くに行ってないことにほっとする。さて、これからどうしたものだろうか…。
人は誰でも一人になりたい時がある。そっとしておいてあげたいけれど、いくら塀があるとしても子供を一人で外に置いておくのは何かと問題だ。それに、先ほどの状況下ならば、一人では帰りづらいだろう。この位置から見守って、もう少ししたら声をかけよう。
そう思っていたら、くりんとパティちゃんが私の方を振り返って、少し驚いた顔をした後に、満面の笑みを浮かべた。
「エヴァちゃん!来てくれたんだ、やっぱりエヴァちゃんはお姫様なんだね」
「あの場にいた人なら誰でも探しに来るわ。それに夢を壊して申し訳ないけれど、私はお姫様じゃないの」
そう言ったが、パティちゃんは何かに浮かされた目をして私の方へふらふらと歩いてきた。
「ううん、そんなことないよ。エヴァちゃんはお姫様なの。優しくて、綺麗」
パティちゃんはふわふわと笑いながら、私の手を取ろうとしたが、私の手に触れる前に手をさっと引っ込めた。そうして下を向いて、ぽつりと呟いた。
「…ねぇ、わたしのこと、嫌いになった?」
「いいえ、嫌いになんかなってないわ」
「嘘!だってわたしは蛮族の血が混じってるんだもん!嫌いでしょう?ハルペーの人間なんて!」
「いいえ。だって私は嫌うほど、彼らのことを知らないもの。だから正直に言うと好きでも嫌いでもないわ。けれど孤児院の人たちはセオの家族だって言ってたから、私も大事にしたいと思ってるわ」
私がそう言うとパティちゃんはやっと顔を上げた。けれど、その瞳の奥は冷え切っていた。
「嘘、だってあんな奴らの血が入ってる人間なんて好かれるはずないもん。
でも、そっか。クライオスの血が入ってない人間の方がもっともっと汚いよね?あいつらよりちょっとはましよね?ね、ね、ね?」
「パティちゃん、落ち着いて」
「ねぇ、エヴァちゃん、私を連れて行って。もうここにはいたくないの。あいつらと暮らしたくないの。でもそんなことを言ってセオドア様を困らせたくないの。だから、ねぇ、良いでしょう?」
なんだか切羽詰まった感じでぐいぐい来る。とりあえず落ち着いて欲しいものである。しかし、なんと言って落ち着かせれば良いかわからない。
「連れて行くって…」
「お願い、なんでもするから。わたしね、セオドア様には本当に感謝してる。こんな私を助けてくれたんだもん。だからこそあいつらと暮らしたくないなんて言って困らせたり、嫌われたりしたくない」
ここに来た時から感じていたことだけれど、孤児院の子供たちはセオが大好きだ。パティちゃんは先ほどからセオに助けられたと言っているから、ここの子供たちは皆そうなのかもしれない。
「セオのこと、大好きなのね」
「大好きなんて恐れ多いよ、エヴァちゃん。セオドア様はわたしにとって…ううん、わたしたちにとっては神様よりも素敵なお方だから。わたしがこうして生きていられるのはセオドア様のおかげなの。
そんな方なのに、あいつらはオーリャなんかとセオドア様がうまくいけば良いなんてばかなことを言うのよ。セオドア様の伴侶が南蛮人なんて、そんなの許されるはずないのに!」
そう言うと、パティちゃんは今度は躊躇することなく私の手を握った。私は先ほどからこんな小さな女の子に圧倒されている。情けないと思うけれど何を言ってあげれば良いのか全くわからない。だから、ただただパティちゃんの言葉を聞いていることしかできなかった。
「そんなばかなことを言う人間と一緒にいたくないし、見たくない。
ねぇ、だからエヴァちゃんがセオドア様と結婚するって聞いて嬉しかったんだ。だってセオドア様の伴侶なんだから、こんな夢みたいに綺麗な人がならないと嘘だよ。
わたし、きちんとお二人の役に立つから」
「パティちゃん、ここにいるのが辛いのね…。でも私もまだ見習いだから、貴女の人生に責任を取ることができないの。どうしても辛いって言うならセオに相談してみるわ」
「どうして?責任なんか取らなくていいよ、連れて行ってくれさえすれば!
ねぇ、聞いて、エヴァちゃん。わたしのお母さんはね、南蛮人だったの。お母さんは若い頃にクライオスの兵隊さんに襲われたんだって。戦争中で、お母さんのいた村は急に襲われたんだって。
中には襲った女を殺す人もいたけど、わたしのお父さんに当たる人はお母さんを殺さなかった」
パティちゃんは淡々と語る。その話は前世でも何かで読んだことがあった気がする。古代から中世では、軍隊が通った街や村は略奪の被害に遭っていたと言う。略奪は貴重な補給源であり収入源だったらしい。軍隊が通りすぎた後は殺された人間も大勢いたし、また父親がわからない子供もたくさん生まれたともいう。目の前の女の子はそのうちの一人なのだ。前世でも今世でも対岸の火事だったと思っていた事柄の被害者が、今、目の前にいた。
「気がついたらわたしはハルペーの小さな集落で暮らしてた。お母さんは悪魔の子供を産んだ女って村八分にされてた。わたしもいっぱいいじめられたよ。戦争が始まってからはもっとひどかった。
お母さんは村の人に殺された。わたしも殺されるところだったけど、その時ちょうどクライオスが攻めてきたの。その混乱の中にわたしは逃げたの。途中でクライオスの兵隊さんに見つかったけど、見逃してくれた。それどころかご飯までくれたよ。
クライオスの兵士のせいでわたしもお母さんもひどい目にあった。けれど、最終的にクライオスの人間の方がわたしを助けてくれた。セオドア様だってクライオスの人だもん。反対にハルペーは、お母さんを殺してわたしも殺そうとした。
本当を言うなら、どっちも嫌い。でも、わたし一人じゃ生きていけないし…、何より、こうしてわたしが生きているのはクライオスのおかげ」
そこまで一気に話すと、ふぅっとパティちゃんは息を吐いて、俯いた。彼女の頑なな態度の理由がわかった気がする。けれど、今のままでは彼女も、そして周りもきついだろう。なんとかしてあげたいが、今の私がしてあげられることなんてない。私はまだ自分の身の処し方すらわからないのだ。
「だから、セオドア様には汚い南蛮の人間なんかと一緒になって欲しくない。
わたし、汚い現実なんていらない。夢みたいな綺麗な世界で生きていたいの。
エヴァちゃんはお姫様だから、綺麗な世界で生きてるよね?わたしもそこで暮らしたいの」
「パティちゃん、辛い思いをしたのに、一生懸命、生きてきたのね。偉かったわね。
だけど、ごめんなさい。その話を聞いたら、なおさら貴女を連れていけないわ」
私は握られたままのパティちゃんの手を握り返した。私の言葉にパティちゃんは弾かれた様に顔を上げて私の顔を見つめた。
「どうして?やっぱり、南蛮の血が入っているからダメなの?」
「いいえ、違うわ。私の生きている世界は貴女が夢に見ている世界と違うからよ。
パティちゃんは殺されかけたけれど、誰かを殺そうとしたことはないでしょう?貴女が私の世界に来たら今度は殺す側になるわ」
「エヴァちゃん…?」
こんな小さな女の子に何を、と思われるかもしれないけど、小さな子でも誤魔化してはいけないと思った。「ただここにいたくない」という理由だけで、私やセオに付いてきても、この子の将来が危ぶまれるだけだ。
「ごめんね、パティちゃん、私はお姫様じゃないの。綺麗な世界にも生きていないわ。だって私は殺す側の人間で、実際に私は父親と異母兄妹を殺したもの」
私がそう言うとパティちゃんの顔色は一気に悪くなった。え、とか、でも、とかもごもご言っている。
「自分の身を守るために、殺したわ。でも、私はちっとも後悔してないの。もし、時間を戻すことができても、きっとまた殺すわ。
パティちゃん、貴女はまだ綺麗なままだけど、私と共に来たら汚れてしまうわ。貴女が一番嫌う人殺しになるの。
…私は夢の中のお姫様じゃなくて、歪で汚れた人間なの」
パティちゃんは、助けを求める様に私の顔をじっと見た。けれど、もう「連れて行って」とは言わなかった。
「パティちゃんがどうしても辛いなら、セオと相談するわ」
パティちゃんは何か言いたげだったけど、何も言わなかった。
「ね、帰ろう?」
パティちゃんは小さく、けれども確かに頷いた。




