令嬢は孤児院で過ごす 2
オーリャさんと話しているセオは、私の知っている彼ではない様な気がした。けれど、よくよく考えれば私がセオに会って、何ヶ月かしか経っていないし、親しくしてもらったのはここ一月ほどだ。
ゲームのセオのことは詳しく知っているけれど、目の前のセオについては知らないことの方が多いことに今更、気がついた。
優しい声音でオーリャさんに話しかけるセオの腕の中にはオーリャがずっといた。そんな二人を年長の子供たちは微笑ましげに見ているし、年少の子供たちはきゃーきゃーと黄色い悲鳴を上げて笑っている。私の足元にいた子供たちも気づいたら背の高い女の子以外いなくなっていた。子供たちは、セオとオーリャさんの周りをなぜかぐるぐると走り回っている。
「私がいない間、何もなかったかい?」
「えぇ、何も問題ありません。セオドア様に任されている場所ですもの。わたし、頑張って守ってますから!」
「あぁ、いつも助かっているよ。ありがとう、オーリャ。そういえば庭に木材があるみたいだけど、あれは何かな?」
「えぇと、収納庫を建てようかと思いまして」
「収納庫?」
「はい、セオドア様のご支援のおかげで、院は潤っておりまして。倉庫が必要になったのです」
「なるほどね、けれど今のままだと少し危ないかもね。早いところ建ててしまった方が良いと思うけれど。すぐに動ける人間を手配しようか」
「いいえ、ラウゼル様に頼んでおりますから」
「ラウゼル殿か、彼は仕事が早いから問題ないだろうけれど…」
特にすることもなかったので、二人が仲良さげに話しているのを、入り口近くでクマを抱きかかえたまま、ぼんやりと見ていた。そうしたら小さく手を引かれた。ただ一人私のそばに残っていた背の高い女の子がクマを持ったままの私の手を握って、心配そうに私を見ていた。
「エヴァちゃん、大丈夫だよ。オーリャの勝手な片思いだもん。わたしや友達は知っているもん。騒いでるのは外面しか見てない人たちだけだよ」
そんな変な顔をしていたのだろうか、女の子は私を気遣ってくれている様だ。その優しさが、彼女の温かい手が嬉しかった。
「気を遣ってくれてありがとう。お名前を教えてくれる?」
「うん、わたしはパティって言うの」
「パティちゃんね」
そう呼びかけたら、パティちゃんは嬉しそうに頷いた。黒髪だったのでこの子もハルペーの民かと思っていたけれど、日に焼けてはいたが、よくよく見ると肌は白い。瞳も黒ではなく茶色だった。クライオスでは黒髪はあまり見ない。たまに黒髪の人もいるが、本当に珍しい。黒く見えても、よくよく見ると焦茶色であることが殆どだ。
逆にハルペーの民は黒髪、黒い目、褐色の肌の人間ばかりである。それならばハーフと考える方もいるかもしれないが、ハルペーの民はクライオスの人間を『悪魔』と呼び、嫌悪している。だからハーフではないと思われる。本当に珍しい人間のひとりなのか、もしくは染めているのかもしれないーー染めるメリットがあるかわからないけれど。
「セオドア様のあの笑顔は壁を作ってる時の笑顔だもん。そんなこともわからない人間がセオドア様の横に立とうなんてばかみたい」
パティちゃんは憎々しげにオーリャさんを睨みながらこぼした。その顔からは先ほどの無邪気な雰囲気は一掃されていた。
繋がれたままの手はひんやりと冷たくなっていた。先ほどまで温かった手が急に冷たくなってしまったのが悲しくて、体温を分け与えたくて、今度は私がパティちゃんの手を優しく握った。パティちゃんは私の顔を見ると、どこか気まずそうに笑った。
「皆に変わりがない様で良かったよ。そうそう、お土産があるんだ。これは皆に、おもちゃと甘いお菓子。仲良く分け合うようにね。オーリャには…シェリーちゃん」
そう言ってセオは手を差し出したので、私はセオの元へ行き、手に持ったままのクマのぬいぐるみを渡した。パティちゃんは先ほどまで私がいたところで佇んでいる。セオはクマを受け取ると、抱きついたままのオーリャさんをゆっくり自分から離すとぬいぐるみを渡した。
「先日誕生日だったよね、おめでとう。
いつも私を助けてくれてありがとう、助かっているよ」
「ありがとうございます、セオドア様。でもぬいぐるみですか?わたしはいつまでも子供じゃありませんよ、もう立派な淑女です」
「ふふふ、そうか。もう大人の女性だって言うんだね。じゃあ、もう私に簡単に抱きついてはいけないよ。君の将来の相手に申し訳ないからね」
セオが茶化す様に言うとオーリャさんは可愛らしく頬を膨らませた。なんというか、前世の大学時代にすごくモテる女の子がいたけどその子がこんな仕草をしていたなと思った。ぶりっ子という人もいたけど、女子力が高いのだと私は思う。だって男の子たちはこんな女の子に弱かった。まぁ喪女の私には決して真似できない芸当だ。
「将来の相手なんて!わたしはずっとここで、セオドア様のお役に立てれば…」
「ありがたいことだけれど、君の幸せを邪魔することは私の本意ではない。可愛い甥っ子や姪っ子を見せて欲しいと心から思っているんだ。だから、君がここを出るつもりがあるなら、いつでも言って欲しい」
「ここを出るつもりなんて、わたしにはありません!セオドア様のお役に立つことがわたしの幸せなのです。
……ところで、セオドア様その方は…?」
オーリャさんは私の存在に初めて気づいたという顔で、私のことを値踏みする様な視線を向けた。先ほどまでセオに向けていた顔とは別人の様である。
「あぁ、紹介するよ。オーリャ、こちらはエヴァンジェリン・ハルト。俺の弟子で、将来を誓い合った女性だよ。
シェリーちゃん、この子はオーリャ。この孤児院で働いてもらってる子だ」
そう言うとセオは私を引き寄せて腰を抱いた。確かに今朝、婚約者のフリをすると約束したけれど、こんな内うちの場でもそれを貫くのかとびっくりした。だってセオは、ここの人たちは家族だと思っていると先ほど言ったばかりなのだ。
彼の言葉に驚いて反射的にセオを見上げると優しい目で私を見ていた。私と視線があったら、セオは優しく笑った。その笑顔は私のよく知っている笑顔だった。ようやく息がつけた気がした。
先ほどまでのなんと言って良いかわからない感覚は疎外感だったということに、セオの腕の中で、ようやく気がついた。セオの右手は私の右手を支えてくれて左手は腰に添えられている。彼の手もとっても温かくて、私の中の何かが癒された気がした。パティちゃんの気遣いも本当に嬉しかった。けれど『仮初の婚約者』とは言え、婚約者にあたる男性に大切にされて、ずっとあった心のしこりが溶けるように消えた気がした。
大切にされることも、蚊帳の外にされないのも、こうして誰かに『婚約者』だと紹介されたのも初めてだった。最初の二人はとても婚約者という感じではなかったし、ジェイドは二人きりの時は色々ちょっかいをかけてきていたけれど、第三者がいるところでは放置だったのだから。




