令嬢は神官と出かける 2
「ねぇ、セオどこまで行くの?」
馬車に乗って結構な時間が経ったと思うのに、まだまだ馬車が止まる気配がない。私たちが乗っている馬車とは別に、二台馬車がついて来ている。一台は護衛の方々の馬車との事だが、もう一台はなんだろうか?
「国境の近くまでかな。大丈夫、一日くらいで着くところだから」
「国境の近く?それってクライオスとの国境沿いなの?」
「うーん、まぁどちらかと言うとクライオスに近いけど、それよりもう少しエルグランドに近いかな。神殿から真っ直ぐ南下したあたりだよ」
エルグランドはクライオスの隣国であり、農業が活発な国だ。クライオスとは友好関係にあるけれども、農作物が不作な年は支援を要請してくる国だ。しかし、エルグランドは支援に礼は言うものの、豊作の年に返礼をすることはない。
クライオスは大国という矜持があるので、少々の不作でもエルグランドに支援を要請することはない。確かにクライオスは領地も広く、一部の領土で不作があっても他の領土から賄えるので、不作でもそこまで困ることはない。けれど、それでもどうしても必要な時はエルグランドから購入している。彼らからお礼として無償で提供されることはない。攻めてくることこそないが、ある意味クライオスのお荷物となっている。
「そこにどんな用事があるの?」
「まぁ、行ってからのお楽しみと言いたいところだけど、そんなに楽しいところじゃないかな。ただその場所に関で君に頼みたいことがあるんだ」
「そうなの?わかった、私にできることならなんでも言って」
ようやくセオに少しでも恩返しができると思って嬉しくなって返すと、セオはまたもや深々とため息をついた。
「そんな言葉、誰にでも言っちゃダメだからね」
「?言わないわよ。前もそう言ったじゃ…」
そう言いかけてはっとした。その話をしたのはセオじゃなかった。ジェイドだ。そしてジェイドにも『そんな言葉は言わない様に』言われたなと思った。そんなに昔のことではないはずなのに、なんだか遠い昔の様だ。
なんとなく落ち着かなくなって窓の外に目を向けると黄金色の眩しい色彩が目に飛び込んできた。
「綺麗…」
「あぁ、あれが今朝食べたお米だよ。本来なら十一月初旬ごろに刈り入れなんだけど、今年は育ちが良かったみたいだね。もう間も無く刈り入れしてもいいって話だよ」
穂が実った稲がこんなに綺麗なものなんて知らなかった。前世でも見たことがなかった。目が離せなくて、ずっと見続けていた。
「ねぇ、これって五位の人たちが作っているんでしょう?」
「あぁ、そうだよ」
「今朝思ったの。五位の人は給料はもらえないって聞いたんだけど、これ全て神殿のものになるの?それとも少しは自分達のものになる?」
「さすが、シェリーちゃん。君のその察しの良いところも好きだよ。そう、君の想像通り、この米は全て神殿のもので五位の手には一粒も残らない。彼らは一度神殿に入殿するともう二度と出られないと思って良い。衣食住は神殿で保障されているけど、賃金がないから、還俗料を払えないからね。
例外として神殿騎士になれば危険手当てとして給料が貰える。けれど、本当に危険だから、還俗料が貯まる前に旅立ってしまうことがほとんどだ。神殿騎士の主な仕事は一位や二位の護衛で、一緒に危険な地域に行くことになるからね」
「神殿騎士?初めて聞いたけど、それって五位から出るの?」
「だいたいはそうかな。でも他の位階から出ることもあるよ。神殿騎士は腕っぷしの強い人間がなることが多い。
それに古傷が元で動けなくなった人間が入殿してなったりもするよ。サリンジャの民になったら無償で治癒してもらえるからね」
「それって、一度入殿して、治してもらった後に還俗料を払ったら安く治療してもらえるってこと?」
「そうだね、そう考える人間も結構いるよ。だけどそれをしたら皆が真似ることになるよね?そうしたら神殿の収入は激減することになる。治療代と還俗料を比べたら還俗料の方が格段に安い。
まぁ、誕生祭の時に神殿に来たら無償で治してもらえるんだけど、実際に治して貰える人間は少ない。誕生祭で無料になるのは一日だけだし、治癒魔法は魔力をしこたま使うからね。一日では大勢の人間を癒せない。自分の限界を超えて魔法を使うと魔力欠乏になって大変なことになる。
つまり、神殿が忖度した人間プラス先着順の何人かしか恩恵に与れないことになる。
結論を言うと神殿に治癒目的で入殿した人間の還俗料は一気に跳ね上がることになる」
「つまり、治癒してもらった人間は還俗できないってことなの?」
「イエスでもあり、ノーでもある。サリンジャの民であれば基本的に無償で治療を受けられる。元々サリンジャの民であれば、特に問題ない。例え治癒されたことがあっても通常の還俗料を支払えば還俗ができる。けれど負傷を負った状態で入殿し、治癒してもらった場合は還俗料が跳ね上がるんだ」
「なるほど。うまくできているのね。
つまり、サリンジャの民になれば、衣食住も保障されるし、病気や怪我に恐れることはないってことね?」
「半分正解。半分不正解。
怪我は治してもらえるけど、病気は難しいんだ。一位でも病気を治せる人間は少ない。はっきり言うと俺にも無理だ。今のところ、病気を治せるとされている一位は三人…いや、もう二人しかいないんだ。俺の師匠がその内の一人だったんだけどね」
なんだかセオの言葉の歯切れが悪い。『だった』と過去形で話すと言うことはセオの師匠に何かあったのだろう。けれど、これ以上私がセオに踏み込んでいいか分からなかったので、言及はしなかった。そんな私に気づいたのか、セオは私の顔を見て少し笑う。
「俺はそこそこの能力しかないけど、シェリーちゃんはとんでもない力の持ち主だから、病気の治癒をできるかもしれない。けれど俺は教えてあげられないからどうかな」
ごめんね、とセオは笑った。私は首を振る。セオに謝られることなんてなにもないのだ。彼には感謝しかない。そしてふと思いついたことを聞いてみることにした。
「ううん、セオには感謝してる。貴方のおかげで私、こうして生きていけるんだもの。
でも、少し思ったんだけど、病気の治癒をできる人にそれだけ習いに行くことってできないの?」
「うーん、俺の我儘で申し訳ないんだけどそれはやめて欲しいかな」
私の行動にセオが反対するのは珍しい。彼は基本で私の意志を尊重してくれる人なので、彼が否やを言うのであれば、それに従わない理由はない。
「わかったわ、セオがそう言うならやめておく」
「ありがとう。そうしてくれると俺も助かるよ」
「でも、セオ。もし、貴方の言う通りなら、働けなくなった人たちはどうなるの?病や老いた人たちは?」
「君の察しの良さは本当に素敵だね。誤魔化されてくれないだろうからはっきり言おう。不要になる。老いたものならまだしも伝染する病気の人間なら…わかるよね?」
「その措置って全員じゃないんじゃないの?ある程度の地位の人間や、役に立つ人間なら病気が快癒する可能性をかけて隔離する場所があるんじゃないの?」
そう、もし悪魔と呼ばれる人間を神殿が独占しているので有れば、彼らを含めた替えの効かない人間を簡単に処分してしまうはずがない。
「そこまで気づかれるとは思わなかったよ。答えはイエス。でもそこには気づいて欲しくなかったな。気づいた以上誤魔化すと君はなにをするかわからないから答えておくけどね。
神殿には三人も病を治せる人間がいたのに、そこに送られるってことは、手の施しようがないってことだ。『それでも行く』と言って彼らの元に向かった馬鹿もいるけど、帰ってこないままだ。生きてるのか死んでるのかわからないけどさ」
吐き捨てる様にセオは答えた。その態度を見て『帰ってこない誰か』はセオの師匠ではないだろうかとふと思った。恐らく間違ってはないだろう。
「だから君はそこに関わって欲しくない。俺はもう大切な人をこれ以上失いたくないんだ」
その言葉はどこか寂しげに聞こえた。
馬車の中ですることもなかったので、移動中と同様に治癒魔法の練習をすることにした。恐らく、きちんと効果が出ると思うのだが、実技練習をしていないので、なんとも言えない。
私が自分の手を傷つけて治してみようとしたが、実行する前にセオに止められた。
「君がそんなことをするくらいなら俺の手をナイフで切る」
そう言ってナイフを握り締めようとするから、急いで止めた。仕方がないので、実技は諦めることにした。
ちなみに、サリンジャの民であれば、治療をしても刻印は暴れないそうである。この刻印はどういう仕組みのものかはわからない。
だから、自分や顔見知りの人間など、はっきりとサリンジャの民とわかる人間であれば治療しても問題ないそうだ。
けれど初対面の人間などはサリンジャの民であるか否かの判別はすぐに出来ない。なにせ、サリンジャ法国の人口は百万人以上はいるらしい。以前はバッジの有無で判断していたが、他国の人間がサリンジャの民のバッジを取り上げて国民に成りすました事件があったため、バッジで判断をしないようになったそうた。
国民か否かを判別するには、道具があると言ってセオからブレスレットを渡された。治癒魔法を使う時はブレスレットをつけた手を患者にかざしてから治療しなければならないそうだ。サリンジャの民であれば、ブレスレットが光る。そうしたら治療をして良いとのことである。もし光らなければ、神殿に報告の上、許可を得ないと治療してはいけないそうだ。
このブレスレットがどの様な仕組みなのか、もし刻印に反応しているなら困ったことになると思ったので、セオに隠れてこっそり自分に向かってかざしてみると、きちんと光った。私はどうやら無事サリンジャの民として登録されている様だ。少しホッとした。
自分でも現金とは思うが、ホッとしたら、これはどういう仕組みなのか、興味が芽生えた。ブレスレットは小さな石がついている可愛らしいデザインのもので、とても魔道具とは思えない。
刻印といい、ブレスレットと言い、魔法とはどこまでも不思議なものである。分解してみたい…。




