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辺境伯は意を決する

 当時の儂は脱力した。憎む相手はもういない。愛した娘ももういない。今後何をしたらいいのか、わからなかった。辺境伯の座が欲しかったのは何故だったのか…。そうか、儂はこの領を守りたかったのではない。家族に、周りの人間たちに、認めて欲しかった。そしてエティーと生きていきたかっただけだ。

 だから、もう、儂は何もしたくなかった。このまま死んでしまいたかった。そんな脱力した儂の尻を叩いたのはグレース姉さんで、慰めてくれたのは、エティーの従妹アズリアだった。

 そして、すぐに攻めて来たハルペー帝国の兵達も、儂を立ち直らせる一因となった。


 ハルペーの侵略を食い止め始めてひと月もしないうちに、父が死に、後を追う様に母も死んだ。二人の葬儀が終わったら、一番上の姉のヒルダが出て行った。どこへかは知らない。いくばくかの金だけを渡した。


 そして、ようやく落ち着いた頃にこんな日記を見せられて儂は戸惑った。急いで先生とコンタクトを取ろうとして、いつの間にか、彼の姿が社交界のどこにもないことに初めて気づいた。嘘だろう、王太子殿下ーー現在の陛下だーーの家庭教師を半年前までしていたはずなのに、と思った。けれどまるで幻の様に奴の姿は掻き消えていた。調べてみたら奴が教えた人間のほとんどはこの世にいなかった。何もかも手遅れで、奴が何をしに我が家へ来たのか、何を企んでいたのか、一切わからないままだ。



 リエーヌは儂とアズリアの間に生まれた末娘だ。何故か、アズリアよりもエティーに面立ちがよく似ている。だから、ついついあの子には他の子達より甘くなってしまう。


 殿下はあの頃の儂にとてもよく似ている。だから、肩を持ってやりたいと、少し思った。けれどもリエーヌが望まず、リエーヌの可愛がる娘もそれを望まないなら、逃してやる。殿下よりもリエーヌの気持ちが大切である。リエーヌの意志を尊重するために力を尽くしてやるつもりだった。つい先ほどまでは。


 しかし、今の殿下はまずい。このままではエヴァンジェリンはまず間違いなく、捕まる。そしてアンジュ様のように人としての尊厳も何もかも奪われた状態で死んだように生きるしか選択肢がなくなってしまう。

 儂のこの推察はまず間違っていないだろう。今の殿下の目は、狂気に身を任せた人間の目と一緒だ。継承権を奪われると儂を睨んでいた兄、そしてエティーを奪われて殺してやる、と叫んだ儂の目と同じな気がする。


 殿下の気持ちはわかる、痛いほどに。だからこそ、自信がある。何があろうと、愛しい娘を嫌いにはなれないこと。そして何があってもそばにいて欲しいと思っていることも。


 儂は今日連れて来た三人に目をやる。儂の後継である長男のグランツ、後継(グランツ)の片腕になるはずのアンディ、そしてハルペーを裏切って儂についてくれたエリヤ一族の次期当主のイゴール。この三人は儂が心から信頼でき、そして全てを教えようと思っている者たちだ。口が固く、腕も立つし、儂と違い、健常である。だからこそ儂が何を言い出そうと黙っている様に目を向ける。儂の意が伝わったのだろう、少し訝しげな表情を浮かべた後、三人はそれぞれ頷いた。


「殿下、本日私は殿下のお味方になるべく伺いました」


 儂の言葉に殿下は暗く笑った。


「どういう意味ですか?昨日のあなたと全く違う反応のようですけれど」


 なんの感情も乗せていないその瞳はどこまでも虚で、まるでガラス玉の様だ。


「えぇ、そうですね。逃げられるならば、逃がしてあげたいと思っておりました。けれど、今日お会いして、無理だと悟りました。

 それならば狭い籠の中で窮屈に生きるよりもきちんと貴方様の妃となり、愛される方が幸せでしょう」


 儂の言葉にも殿下は反応しない。うっすらと浮かべた笑顔をそのままに儂の反応を面白そうに見ている。威圧は少しは減った。けれど、儂の言葉が嘘かどうかすら考えてはないだろう。その気になれば儂などこの場で簡単に殺せるのだ。元々その力はあった。けれどそれをするまでの心の強さがなかったのだ、昨日までは。

 今は、もうなんでもすると言う雰囲気を醸し出している。間違いない、これは絶対にあの男が関わっている。


「へぇ…?」


「その上でひとつ申し上げたい。エヴァンジェリンは神殿入りをすると言って出て行きました。元々あの娘は魔力の高さゆえ貴方様の筆頭婚約候補だった娘です。神殿に入ると間違いなく二位になるでしょう」


 さて、この言葉でどう動くか、と殿下の顔色を伺う。殿下の顔色も瞳も全く変わらない。緩やかに両手を組むと肘置きに肘を置き、自らの顎を組んだ両手の上に置いた。

 自ら咄嗟の時に動きにくい体勢を取ったことに少なからず驚く。儂たちを試しているのだろうか?それともこの膨大な魔力量を持ってさえすれば気にかかることはないのだろうか。


「問題ありません。王家だけが使える手が有ります。二位ならば、連れ戻せます」


「神殿と揉めるよりも、すぐに止めに行ったほうが良いのではありませんか?」


「いえ、揉めることはありませんよ。スライナト伯、貴方ならご存知でしょう?

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()。将来王家に生まれた光属性持ちを一人差し出す代わりに、今の二位を還俗させて欲しいと言えば円満にことは済みます」


 知っていたか、と思う。そう、歴史的に王家は過去数多の光属性持ちを輩出している。中でもオーガストの娘のヤヨイは光属性の持ち主の中でも一際強く、神にも等しい力を持っていたとされている。そんな血筋の人間を神殿は喉から手が出るほど欲しがっている。ここ最近の神殿のハルトは年々弱体化していると言っても差し支えない有様だ。将来的に化物の血筋の人間が手に入るなら今目の前の二位くらいなら簡単に手を離すだろう。


「エヴァンジェリンが光属性を持っている可能性はありませんか?」


「ありませんね。エヴァンジェリン・フォン・クランは王族の一員でもありますがーーご存知でしょうが彼女の曽祖母が王妹でしたーー最近の王家には光属性を持つ人間は生まれていません。

 王族が光属性を持っていたのは昔のことでしょう。なんせ、僕ですら持ち得ていません。ですから、イヴは二位止まりでしょうし、だからこそ簡単に連れ戻せるでしょう。それなら一度神殿に在籍させて悪い噂を消すのも手かもしれないと思ってます」


 そう言って殿下は何か物言いたげに儂を見る。それで、どうするんだ?とでも言いたいのだろう。しかし、本当にとんでもない魔力だ。儂も化物と言われたが、目の前の青年はそれ以上だ。いや、これは化物とか可愛いものではない。悪魔か……神だ。


「エヴァンジェリンが還俗して、クラン家に帰るならばそれでよし、もし帰らないと言うのであればこの私が彼女の後ろ盾となり、殿下のもとへお連れしましょう」


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