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辺境伯は頭を抱える 2

 そんな不満を抱えている時に、あの男がやってきた。儂を教え、導き、評価してくれた男はあいつだけだった。ひょろりと背が高い男は辺境のどの男よりも細く、吹けば飛ぶのではないかとすら思った。けれどその男は屈強な辺境の男たちより全てにおいて上だった。講義はわかりやすく面白かった。剣技の腕もどの騎士たちよりも強かった。そんな男は多岐にわたることを儂に教えてくれた。

 魔法がうまく使えず、うんうん唸っている時には「実技は教えられませんが、理論をお教えしましょう」そう言って懇切丁寧に教えてくれた。

 剣をうまく扱えず「それでも辺境伯の子か!」と親父に怒鳴られる儂に剣の手解きをしてくれたのも、あの男だった。男は剣技の腕も尋常ではない程の凄まじい実力の持ち主だった。

 

 儂があの男に心酔するのに、そう時間は要らなかった。講義から剣技まで、なんでもこなす男は当時の儂にとっては憧れの人だった。あの人みたいになりたいと思った。

 あの男に認めて欲しくて仕方がなかった。あの男に誉めて貰うためだけに、魔法も剣技も勉強も頑張った。ともかくそれだけしか頭になかったせいで、馬鹿な儂は気づかなかったのだ。高い壁でしかなかった兄はただの人間でしかなかったということを。

 急に実力をつけてきた儂はいつしか、出来が良いと言われた兄を追い抜いていたらしい。儂にはあの男の見立て通り、才能があった様だった。そして、追い抜かれた兄は儂に継承権を取られるかもしれないと焦っていたというのに。


 少しずつ歯車は狂っていっていたのに、儂だけは気づいていなかった。儂以外の家族も、エティーですら、気づいていたのに、愚かな儂だけは周囲の変化に気づかなかった。


 この後起こったことは珍しいことではない。貴族の中ではよくあることだ。兄弟で後継と一人の女を巡って争った、それだけのことである。あの地獄の様な日々を儂は決して忘れられない。

 儂を後継にすると口にした、色のない父の瞳も、驚愕した母の顔も、凍てつく様な姉の目も、憎悪に歪む兄の表情も、全て覚えている。儂が下手を打ったことも、全て全てだ。


 だから、実は殿下には少し同情している。殿下は儂と同じ過ちを犯している。エティーと違い、殿下の相手はまだ生きている。取り返しがつくのだ。お互い思い合っているのであれば、リエーヌの娘でなければ、殿下に肩入れをしてやったかもしれないと思うくらいには…。

 

 もう、随分昔のことなのに、それでも忘れられない。グレース姉さんは今も変わらずにそばにいてくれるが、エティーは側にいない。あの人は、自分の言葉の通りに、儂を守って逝った。

 力尽くでエティーを奪った兄を殺してやるつもりだった。儂がそう思うことをエティーは知っていたのだろう。油断していた兄を刺し殺して、彼女も塔の天辺から身を投げた。馬鹿だ、と今でも思う。エティーを守れなかった自分はどうしようもない馬鹿だ。


 けれど、エティーも死ぬことはなかっただろう。生きていて、欲しかった。あんなことで嫌いになったりしない。隣で笑っていて欲しかった。時が忘れさせてくれることもあっただろう。

 いや、違う。やはり儂だけが悪いのだ。もし、エティーを取り戻しても兄が生きていたら、儂はこの手で兄を殺しただろう。兄も全力で向かってきただろう。スライナト辺境伯は二つに割れることになっただろうし、何より、あの男の望み通りの展開になっただろう。

 儂と兄が殺し合うことで、あの男が何を得ようとしたのかはわからない。跡目争いが起きた時はあの男が影で糸を引いていたとはエティー以外、気づいていなかった。


 この混乱の時に、父は病に倒れた。父は自分が長くないと知っていたから、溺愛していた兄よりも、強い儂に跡目を継がせた。もしまだ頑健であれば、掟を破り兄に後を継がせただろう。母は父の後を追うように死んだ。憤死、と言っても良かっただろう。一番上の姉のヒルダは儂を憎みながら辺境伯家を離れた。何故父母や姉が儂をあそこまで疎んだか今でも知らない。グレース姉さんなら知っているかもしれないが、聞くつもりはない。姉さんも何も言わない。ならば儂が聞かなくても良いことなのだろう。


 跡目争いなんてどこにでもあるものだ。そしてそのせいで家が離散することも、下手したら誰も残らないことだって珍しくもない。だから、愚かにも裏なんて考えなかった。今考えるとあり得ないのひと言だ。きちんと周りを確認して、手を打っていかなければならないものを。


 ただ、言い訳をさせてもらえるなら、あの男は争いを起こしたものの、その後は何もしなかった。それに儂が爵位を継いでからも色々と力になってくれていたから、あの争いの陰であの男が動いていたことなんて想像もしていなかった。

 何より、スライナト辺境伯家は儂とグレース姉さんしか残らなかった。だから家を建て直すのに必死で、他に気を回せなかった。

 あの争いの裏であの男が糸を引いていたと分かったのは、儂が跡目を継いで、十年以上経ってからだった。ハルペーを押し戻し、信頼できる人間で周りを固めた後、ようやくひと息をついた時に、妻がエティーの日記を出してきた。


 妻はエティーの五つ下の従妹で、彼女亡き後、子爵家の養女になって、儂に嫁いできた。容姿はあまり、エティーに似ていない。ただ、明るい笑い声と優しい性格は彼女にとてもよく似ていた。

 日記を開く。懐かしいエティーの文字が目に飛び込んできた。涙が溢れそうになった。いや、実際泣いていたと思う。

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