【間章】とある影は疑問に思う 2
「教え子って…。おじじ様は壊す専門だったじゃないですか。おじじ様の教え子で未だ社交界でなんとか生きているのは、スライナト辺境伯とダフナ家の当主と国王だけではありませんか。それ以外は自死したり、戦場に突込んで戦死したんじゃ…」
俺の言葉におじじ様はほくそ笑んた。おじじ様は若い頃、情報を得るためにあちらこちらに家庭教師として潜入していた時期があった。そうしたら、その教え子達が様々分野で突出した能力を発揮した。そのため、色々な貴族たちから家庭教師を依頼されたらしい。おじじ様の高名は留まることを知らず、高位貴族ひいては国王陛下の家庭教師まで頼まれたらしい。俺たちの様に情報収集のために潜入した人間が目立つのはご法度なのだが、おじじ様はこそこそした方が目立つと言って堂々と請われるまま、色々なに場所へ出入りしたらしい。
俺としては、いろんな人間の闇を覗いてその闇を解放するのがおじじ様の趣味なんじゃないかと思っている。確かにおじじ様の教え方は上手いが、何よりも人の弱みを握ってそれを肯定することが上手いのだと思う。本人がこれはいけないことだと思っていることを肯定してやる。その上でとんでもない方法を教える――先ほど殿下にしていたことだ――しかも本来ならそれは下衆の極みと言われる方法だ。
それなのに、なぜかおじじ様の教え子は『自分はいける』と思い込むらしい。何某かの魔法でも使ってるんじゃないかと思うほどだ。そして狂気に陥った人間は強く、何年かはものすごい実力を発揮したらしい。だからこそおじじ様は家庭教師として持て囃され、引く手数多だった。だから、おじじ様はそれを良いことに色んな家に出入りして秘密を握って帰ってきたのだ。
狂気に陥っている人間は強い。しかもおじじ様直伝の外道な方法を取るのであれば、敵なしだっただろう。
けれど、そんな人間は自信満々で、無理なことでも強行しようとして、命を落とすことも多かった。その上、おじじ様の方法は常人がいつまでも実行できるものではないらしい。ふと正気に戻ることも有り、その場合は揺り戻しが酷く、自分の行いを恥じて自死をする人間も多かった。
そして教え子のほぼ全員が死んだ頃には、おじじ様は姿を消していた。胡乱な家庭教師は今でも指名手配をされているが、もちろんおじじ様は変装していたので、誰にも見つけることはできないだろう。
「そういえば、おじじ様。国王は本当に殿下を憎んでいるのですか」
「うん?あぁ、殿下にも申し上げたが愛してもいるが憎んでもいるであろうな。
陛下が王太子であらせられる頃に何年かお教えしたものじゃが…。あの方も殿下と同じく愛情に飢えておった。自分を厭うた父親を憎み、愛してくれない母親に絶望しておった。そして自分の実母がアンジュ様だと聞いた後はもう手がつけられないほど荒んだものだった」
そう言って愉快そうに笑った。『実母がアンジュ様だと聞いた』とおじじ様は言ったが、その話は誰から聞いたのだろう。ひとの口にとは立てられない。周りがひそひそと噂をしていたことを聞いていたかもしれない。けれど、それはあくまで噂なのだ。そもそも王家の闇は触れないことが貴族の暗黙のルールである。
にも関わらず、陛下がそれを真実だと理解して納得させられる人間など目の前の人以外は考えられない。
「……王とは同じことを考えるものなのかのう。陛下も殿下と同じく『賢王という評価が欲しい』と言っておったよ。『せめて父王を超える評価が欲しい』とな。けれども、先代の時に東のエルダード王国に勝ち、併呑したからのぅ。なかなか難しい。
先代は戦争の采配をしたこともなく、実際に出陣したこともないが、国土を増やした王ということで後世の歴史では高い評価を得ることができるじゃろう。けれど現在の陛下では、ハルペー帝国を制することはできんじゃろう。そもそもエルダードとハルペーでは戦力差もある上、ルーク家が権力を握ったせいで良い側近もおらん。しかも、自分の魔力もそこまで高くないから出陣してもなんの役にも立たん。
しかし殿下は違う。今までの殿下は人を殺したこともなく、戦場に行っても敵を殺すことなどできなかったかもしれんがの。けれども一線を振り切ったならば、戦場に行って手段も選ばず、容赦もなく動けばハルペーなど簡単に制圧できるじゃろう。
そんな出来の良い息子は誇らしい反面、劣等感が刺激されるのじゃろう。先ほども言ったが陛下にとって出自は最大のコンプレックスじゃしな」
「馬鹿なことを考えるものですね。結局現在の国王は何をして名を残したいのでしょう?」
「ほっほ、わしらはそう思うが、わしらにはわしらの、王には王の理屈があるのじゃろうて。
陛下は後世に名を残す策などは何も考えておらんじゃろうよ。あの方はただ、座して待つだけじゃ。だから、良いことが起きるまで王位を離れたくない。愚かなものじゃな。王には向いておらん。
……そう言えば愛子さんが言っておった。『虎は死して皮を留め、人は死して名を残す』とな。人は自分が生きてきた何かを残したいのかもしれんなぁ」
「それはクラリスちゃんの教えですか?」
「さぁて、愛子さんの言葉じゃがどうなんじゃろうなぁ。ただクラリスちゃんの言葉は慈愛に溢れた言葉が多かったから違うかもしれんな。
……いつかクラリスちゃんの教えの全てを知りたいものじゃなぁ。今なら幼い頃と違ってしっかりと理解できるかもしれん」
そう言うと切なげにため息をついた。本当に愛子さんはどこからきた人間だったのだろうか。今まで探したが、『クラリスちゃん』の教えを信じている人間にはあったことなどない。だから、おじじ様の願いは叶わないだろう。
「けれどおじじ様、殿下は本当に王家の闇を受け止められるのでしょうか?初代国王の血を濃く引いているなどと言われても辛いだけでは…?」
「いんや、大丈夫じゃろう。今の殿下にとっては先祖が非道であれば非道であるほど救われるじゃろうて」
俺の危惧におじじ様は醜悪な笑みを顔に浮かべた。おじじ様亡き後、長の座は俺の父が、その次は俺が継ぐことになる。けれども俺はいくつ年を重ねてもおじじ様の様になれる気はしない。父もおじじ様ほど恐ろしい人間ではない。人としての格が違うのだ。
「おじじ様は本当に恐ろしい人です。俺はいつまで経ってもあなたに追いつける気がしません。おじじ様はこの世界を、どうなさりたいのですか?混沌がお望みなんですか?」
ついついぽろりと言葉が漏れてしまった。ずっとずっと思っていたことだった。
いつもなら、「さてのぅ」とはぐらかすおじじ様は少しだけ空を見ると自重気味に笑って、珍しく口を開いた。
「そうさなぁ…。わしは鬱屈された人間を見たくないのかもしれないのぅ。愛子さんはずっと故郷に帰りたがっておってな。いつか帰してやりたかったのじゃが、叶わぬまま亡くなってしもうた。
わしはただただ、愛子さんと同じ様に何かを我慢したまま亡くなる人間を少しでも減らしたいのかもしれんな」
おじじ様がぽつりと呟いたその言葉は何故か俺の心にずっと残った。




