【間章】 とある影は疑問に思う 1
「おじじ様、なぜフォックスを殿下につけたのですか?あいつはそりゃあ問題のあるやつですが、実力はあります。敵に回ったら厄介ですよ。何より、あいつはおじじ様から教わって王家の闇に精通しているではないですか」
「あぁ、モンキー。だからこそじゃよ、王家の闇を知ってあの王太子がどこまで変貌するかも知りたくてのぅ。実に興味深いと思わんかね?」
祖父はひひっ、と笑った。祖父はいつも穏やかだが、どこか歪なところがある。尊敬はしているが、それでも親類でなければ正直付き合いたくないと思う。
「若君のためにならないのではないでしょうか。それともクラン家を見限るおつもりなんですか?」
「愚かなことを。五代前のクラン家の御当主には、愛子さんを教会とテンペス家から守ってもらった御恩がある。この御恩はそう簡単に返せるものではない。わしの目の黒いうちは絶対に裏切るつもりはない」
祖父の家は元々テンペス家に仕えている影だったらしい。しかも、記録編纂の情報収集をすることが主な役割だったので、予備知識として王家の記録書を閲覧できる権限を持つ立場の人間だった。けれども祖父の曽祖父ーー俺にとってなんと表現すればいいのか無学な俺は知らないーーが、どこから来たかわからない黒髪黒眼の少女を見つけたところから事態は一変したらしい。
愛子と名乗るその少女は森に落ちていた。愛子さんに祖父の曽祖父ーーいちいちこう呼ぶのは大変なので、エドガと言う名前で呼ばせてもらうことにするーーーはひと目で恋に落ちたという。愛子さんもエドガを憎からず思ってくれ、結婚することになった。けれど愛子さんは本来ならば、この世界にいてはいけない人だったらしい。
教会から引き渡す様に命令されたのだが、エドガはそれを拒否して主家であるテンペス家に保護を依頼した。けれどテンペス家は『記録する』という役割を担っているから、他の家との衝突を避ける傾向がある。その為に、側からみると日和見に見える。それでも手下の者くらい守ってくれるだろうと思っていたのだが、争いごとを避けるテンペス家は愛子さんを教会に差し出す様、命令した。
ここからが不思議なのだが、愛子さんはたいへん魅力的な人だったのだろう。エドガの一族は愛子さんを守ることを第一に考えて主家から離れたらしい。
子供だったおじじ様も曾祖母である愛子さんをものすごく慕っている。聖域と言ってもいいくらいに敬愛ーーいや崇拝していると言ってもいいのかもしれない。おじじ様は彼女のことはひい婆様でなく、親しみを込めて愛子さんと呼んでいる。
エドガの一族は追ってくる主家の手の者と闘って命を落とした者もいたそうなのだが、それでも愛子さんを差し出す人間はいなかったという。そしてとうとう、どうしようもなくなったエドガの一族に手を差し伸べてくれたのは当時のクラン家の御当主だったらしい。テンペス家の記録書の中身を知りたいという打算があったのか、それともただただ同情したのかはわからない。ただひとつ確かなのはクラン家は全力を以て一族と愛子さんをしっかり守ってくれたということだった。
だからこそ、俺たち一族はクラン家に感謝して忠誠を誓っている。俺たちの一族は主人以外に面を取ることはなくーー潜入先で変装している時は別であるーー、基本秘密主義だが、クラン家の当主には愛子さんのこと以外は秘密にすることはない。
そんな我々だからファウストがクラン家を乗っ取りに我慢できず、離反して若君を擁立しようとしてくれる殿下にお味方したのだ。あくまで若君を助けてくれる殿下に手を貸すことは問題ないが、いつか若君に害をなす相手に対してあそこまで指南してしかもフォックスをつけるなどとは行き過ぎではなかろうか?
我々は主君以外には素顔を見せない。だいたいは白い仮面に目のところに穴が空いているだけなのだが、ある一定のスキルを身につけたらそれに応じた特別な仮面を貰える。
俺は暗殺スキルと潜入スキルが磨かれているので『猿』という動物の面を、我々一族が管理している記録を覚えており、戦闘能力の高い弟は『狐』の面を与えられている。猿や狐の面の造形は俺たちには考えつかないものだった。なんとなくユニークな愛らしさを持つ、この面も愛子さんから教えてもらったことらしい。
「そこまで心配することはなかろう。フォックスは若君の『姫様を殿下に嫁がせるつもりはない』と言う意志に反対しておったじゃろう?『獅子心中の虫』と言ってな、身のうちに余計なものを飼っておくと面倒なことになるからの。下手をしたらこの手で殺さねばならなくなるじゃろう。そのくらいなら一度手を離そうかと思ぉてのぅ。
なぁに、姫様を欲しがるうちは若君に下手な手を出すことはなかろうて。そんなことをしたら姫様に嫌われることになるじゃろう?」
「はぁ…、そうですか。けれどあの殿下に王家の闇が耐えられますかね?捨てられた子犬のようではなかったじゃないですか」
「ほっほ、あれはルーク家に洗脳されておっただけじゃよ。フォックスを預けたのは獅子が目覚めたからじゃ。まず間違いなく、あの獅子はとんでもない化け物になるじゃろう。あぁ、楽しみ、楽しみ」
「おじじ様、楽しみとは…少し不謹慎ではないでしょうか。先ほど殿下も言ってましたけど、もしあちらがフォックスを得てこちらに牙を向いてきたらどうするんです?」
俺の言葉に祖父は実に実に楽しそうに笑った。俺はいつまで経ってもこの祖父を理解することはできないだろう。
「問題ない。フォックスはわしには勝てんよ。それに何より、教え子の成長は年寄りの楽しみのひとつじゃて。何十年ぶりの教え子じゃったが、今までのどの教え子よりも将来性があると見たぞ」




