王太子は苦悩する 3
疲れた、休みたい。今の状況はその一言に尽きた。子爵夫妻と辺境伯、ハルト殿との会談の後、僕は部屋に向かって歩いていた。
母について父に伝えたいことがあったが「今は時間が取れない」と断られたからだ。まぁ仕方があるまい、父上は早急に母上を責める貴族たちの対応にあたらなければならないだろう。
内密に子爵夫妻と話していたのに母が騎士を部屋に呼んだせいで他の貴族たちに知られることとなった。物見高い貴族たちがそんな絶好の機会を逃すはずもなく、僕たちの愚かな発言をばっちり聞いていたのだ。
そのことを僕は部屋を出るまで気づいていなかった。気づいた時は失敗したな、と思ったが一度口に出した言葉は取り消せない。どうするべきかとため息をつく。僕がイヴに執着していることに気づかれただろうし、母の密輸についても口に出してしまっている。
最近の僕は失策ばかりしている。再度重くため息をつくが「元気を出せよ、王太子が暗い顔してんなよ」と慰めてくれる幼馴染の護衛騎士はもう隣にいない。彼が側にいたのはそんなに長い期間ではなかったのに、どうしようもなく寂しい。確かにクラン家の当主という地位を手に入れるアスランは以前の様にいつも側にいることはないだろう。だけど今回の件で、彼と僕の関係は以前のものと全く違うものになるだろう。
関係が悪化したといえば、子爵夫妻もそうだ。以前までは警戒はしていたが、それでも何処か許容してくれていた。けれど今日の子爵夫妻には仕方がないこととはわかっているが、軽蔑の眼差しを向けられていた。スライナト辺境伯は聞き分けのない子供を見る目をしていた。
愚かだ愚かだと思っていた母は王妃としてあり得ない振る舞いに暴言の嵐で、いくら父上が庇っても幽閉は免れないだろう。元より僕の計画でも母を離宮に押し込めるつもりだったが、それ以上のことまで考えてなかった。けれどよりにもよってスライナト辺境伯と、神官に喧嘩を売った状態の今、僕が竜木の密輸や、毒のことを告発してしまうと下手したら断頭台に送られることになるかもしれない。そうなったら父上と僕の間にも溝ができるだろう。
それならば、告発は控えるべきだろうか?幽閉されるのならばそれ以上はもう何も言わなくて良いのではないだろうか…。波風を立てることになっても、ルーク家を潰すつもりだったのは、母の力を削ぐためだったのだ。イヴとの婚約が解消されてしまった今、ルーク家は放置していても良い気がしてきていた。僕の代ではルーク家を重用するつもりはないから今更大きなダメージを与えなくても良いのではないだろうか。
ルーク家は二代にわたってーー実は祖母と母は叔母と姪の関係だーー王妃を輩出したからこそ、今興盛を誇っている。祖母が表舞台から去った今、母が幽閉されたら、どうせゆるゆると衰退していくだろう。これでグラムハルトをもう僕の側に置いておく必要がなくなった。
部屋に向かう途中で王族専用の庭の前を通りかかった。ここでイヴに初めてキスをしたなと思い出した。もう彼女に触れることはできなくなってしまったのだと思うと焦燥感に駆られてしまう。もうどうにもできないというのに…。
僕がついうっかり口にしてしまったあの言葉を聞いた瞬間、イヴの顔が強張った。きっと酷く傷つけた。
『彼女がそなたの兄の子を孕んだ場合、王家を乗っ取ることになるな。王家簒奪の罪を犯しかけた言い訳がそれか?』
馬鹿だ。僕は本当に馬鹿だった。そのせいでイヴもまた僕から去ってしまった。アスランは僕の側にいるだろうが、それは僕に情があるからではない。クラン家を立て直すために、貴族として生きていくために側にいるのだ。アスランの心はもう僕から離れている。以前の様な親しい仲にはもう戻れないだろう。証拠に幽閉されていた五日間、一度も訪ねてこなかった。だからと言ってアスランを責めるつもりはないし、遠ざけるつもりもない。アスランはイヴの実兄だし、実力もある。それに、彼がどう思っていようと、僕にとっては大事な人間の一人だ。
また重くため息をついて、自室に入る。共に入ろうとしてきた護衛騎士――アスランの推薦の騎士だが、名前を覚えていない――に手を一振りして外に出す。彼は気遣わしげにこちらを見てきたが知らないふりをした。どうしようもなく疲れていたので、一人になりたかった。もうこのまま寝てしまおうかとベッドに行こうとした時に、部屋の奥に影が差していたのがわかった。




