兄は妹に会いたい 2
エヴァに関してはジェイドがフォローするだろうし、守るだろうとあの時までたかを括っていたのだ。ジェイドとの婚約を許すつもりはないと思いながらも、まだ婚約者であるエヴァを守るのはあいつの役目だと、今思うと矛盾している気持ちを抱いていたのだ。本当に俺は愚かだ。
「仰るとおりです。貴方がたがお思いの様に、私は不出来な兄です。けれど今のまま、私が全てを受け継ごうなどとは思っておりません。できればエヴァの籍を公爵家に戻してあの子にも然るべきものを渡したいと思っています」
「ふむ、公爵の言い分は理解しましたぞ。しかし公爵、伺いたいのですが、妹御を公爵家に連れ戻された後如何なさるおつもりですかな?」
「守りたいと思ってます」
「いやいや、そうではなく。呼び戻すならば守るのは当然でしょう。問題は如何にして守るか、ではないですかな?
はっきり言いますぞ。公爵家に呼び戻そうとこのまま王都にいる限り醜聞からは逃れられんでしょう。そしてまともな縁談は望めんでしょうな」
「ならばこそ守る力は大きければ大きいほど良いでしょう。前回のデビュタントや今回の裁判であの子は人目に晒されすぎました。身内贔屓と言われるでしょうが、あの子は美しい。その美しさに狂う人間が何人もいるほどに。
王太子殿下と婚約解消をし、更に醜聞を背負ったあの子は簡単に手に入れられると色々な人間から狙われることは想像に難くありません。いらぬ小蝿が山ほど湧いて出ているでしょう。
失礼ですが、低い爵位にいるよりも公爵家の令嬢でいた方が少しでも小蝿を払えるのではないかと思っています」
俺の言葉に辺境伯は、わははははは、と大きな声で笑って続けた。
「仰る通りですな、公爵。けれどそこまでわかっていて何故ご自身の元に戻そうとなさるのか。失礼ですが今のクラン家は名ばかりでほとんど権威を持っていないことは、もうご自身が嫌になる程ご存じでしょう。
確かに商家や伯爵位くらいまでの求婚者は断れても、下手をしたらどこぞの侯爵家からの申し出は断れない可能性もありますぞ。さて、どこに嫁がせるおつもりかな?」
「婚姻はあの子が望むところに嫁げば良いと思っております。他の貴族からの圧力に負けぬ様にできるだけ早く家を立て直します。その為ならば手段を選ぶつもりもありません。
……私はあの子が望まないならばどこにも嫁がず、ずっと公爵家で過ごせば良いとも思っています」
俺は考えうる限りの言葉を懸命に答えたつもりだが、辺境伯は困った子供を見る様な目になった。元子爵夫妻も戸惑った様に俺の顔を見つめている。ハルト様だけが先ほどと変わらずにやにやしていた。辺境伯は小さなため息をひとつつくと、俺の目をひたと見つめて切り出した。
「これからクラン公爵家は立て直すために、公爵は色々な貴族に頭を下げ、縁故を作る必要があるでしょう。なにより、貴殿は今から殿下に擦り寄り体制を整えるおつもりでしょう?そんな状況で本当に妹御を守り通すことがおできになりますかな?
なにより王家はうちの孫娘にまだ何か利用価値を見出しているご様子。殿下に至ってはなぜか孫娘に執着している様にも見受けられます。果たして、公爵はその殿下から本当に守りきれるのですかな?」
俺としてはエヴァとジェイドを結婚させる気はこれぽっちもない。どんなことをしても阻止するつもりでいた。しかし、辺境伯の言葉を聞いて俺はサラの言葉を思い出した。
『アスランが許可したからここにいるんじゃなくて、エヴァちゃんを手に入れるためにアスランがここにいるのよ?』
この言葉は本当だろう。ならば俺がどんなに反対しても、ジェイドは止まらないだろう。
今の俺では守りきれない可能性が高い、そう考えてぞっとした。また俺は俺のためにエヴァを動かそうとしたのだ。このままエヴァが色々な貴族に馬鹿にされ、全てを失ったまま去ってしまうことに耐えられないのは俺だ。エヴァの気持ちを一度も聞いていない。どうするのかを相談するのでなく、籍を戻す様に説得したいとしか考えてなかった。辺境伯の仰る通り、俺はまず自分の周りを固めた後に、エヴァと相談の上にどうするかを決めるべきだったのだ。頭に血が上っていた。焦りすぎていた。それで今回の作戦も失敗したのに、なにも学んでなかった。俺は自分で自分を殴りつけたい衝動に駆られた。
ひとつ深呼吸をして俺は口を開いた。
「申し訳ありません。頭に血が上っており、馬鹿なことを申し上げました。辺境伯の仰る通り今の私ではあの子を守れないでしょう。私は殿下がエヴァを手に入れるための手駒とてお側に置かれていたのですから」
俺の言葉に辺境伯は眉を顰めた。そして立派な白い顎髭を触りながら何かを考える様にしていたが、考えが纏まったのか口を開く。
「公爵、先ほど陛下が口にされかけたのですが、殿下は孫娘のことを『運命』と思っておいでなのかな?」
「えぇ、仰る通りです。私は殿下の駒の一つにすぎません。もちろん父からクラン家を取り上げた後でエヴァの後ろ盾になる為と、色々手を尽くしていただきましたが…」
俺の言葉に辺境伯は大きくため息をついた。何かを吐き出す様な諦めを含んだものの様にも感じた。
「それはまた、面倒なことになったのぅ………。
しかし、殿下はクラフト伯爵令嬢を寵愛されているのではないのでしょうかな?夜会ではエヴァを放ってずっと踊っておられたと思うのですが」
「それについては私の口からは申し上げられません。私のことであれば出来得る限りお話ししたいのですが、主君のことについては申し上げかねます」
俺の言葉に辺境伯は何度かうんうんと頷きながらぽつりと呟いた。
「今日の殿下の様子であればなんとかなるかもしれんな……。手遅れになる前に手を打たねばならぬだろう」
なんとなく不穏な感じがしたがあまり俺が口を出すことでもなかろうとその点については触れないことにする。その上で今の俺がエヴァにとってできることを考えて口にした。
「辺境伯、子爵、夫人、本来なら私があの子を守らなければならないのですが、情けないことに今の私には力が足りません。私の気持ちばかりを押し付ける様な真似をいたしました。謝罪いたします。
辺境伯の仰る通り今の私ではあの子を守りきることができないでしょう。もし、あなた方ができるのであれば引き続きあの子をお願いできますか?」
そう言って俺は深く頭を下げた。
「うむ、よくわかりましたぞ、公爵。頭をお上げくだされ」
「ありがとうございます。
こちらから無理なお願いをしておきながら、この様なことを言うのは失礼でしょうが、それでも申し上げたい。ご不快であればお断りくださって結構です。
あの子にせめて母の形見の品を何点か贈らせていただけないでしょうか?またあの子の養育費もご不快でなければお受け取りいただきたい」
「公爵様、お気持ちはわかりました。養育費は必要ありません。あの子は私たちの子です。他の方からいただくつもりはありません」
俺の懇願に答えたのは元子爵だった。心なしか声が柔らいだ様に感じた。そしてその後に言葉を続けたのは子爵夫人だった。やはり怒りの滲む声だったが、それでも俺と話をしてくれるつもりの様でありがたかった。
「けれど実のお母様の形見に関しては、私たちが決めることはできかねます。エヴァに確認をして返事をしたいと思います。それでもよろしいですか?」
「もちろんです、私の不躾な提案にお応えくださり感謝いたします。
最後に本当に身勝手ですが、エヴァの近況をたまにで良いので、手紙で教えてくれないでしょうか?『元気です』の一言でも構いません。何か困ったことが有ればなんでも仰ってください。私の持てる力の全てでお応えすることをお約束します」
俺はもう一度子爵たちに向かって頭を下げた。子爵たちも渋々とだが頷いてくれて本当にほっとした。
「さて、ヨアキム、リエーヌ。二人は先にスライナト領に戻っていなさい。わしはすることができてしまった。
さて公爵、あなたが本当に妹御を殿下に嫁がせる気がないなら、わしに協力していただけますかな?」
俺は間髪を容れずに「もちろんです」と答えた。
「それならば、殿下にお会いしたい。できるだけ早く」
「わかりました、エヴァのことと言えば殿下は必ず時間を空けてくれるでしょう。すぐに確認をとります。遅くとも明日には時間をとっていただける様にお願いします。宜しければ私の邸でお待ちいただけますか?
私が家に戻ってから日が経っておりませんので、ご満足いただける様なおもてなしはできないかとは思われますが…」
俺の言葉に辺境伯は重々しく頷いた。辺境伯の言葉に元子爵が心配そうに口を開く。
「お義父さん、僕たちも同行させていただけないでしょうか?どの様な話をなさるおつもりですか?」
その言葉に辺境伯は首を振る。
「悪い様にはしないから任せておきなさい。ルーク家がどう出てくるか分からんし、王都はあちらのテリトリーだ。お前たちは安全を第一に考えて先に領地へ帰っていなさい。お前たちに何かあったら、エヴァンジェリンが悲しむだろう」
元子爵夫妻は同意しかねる様である。恐らくジェイドとどの様な形でもこれ以上関わりを持ちたくないのだろう。その二人に辺境伯は噛んで含める様に続けた。
「良いか、クライオス王家は本来獅子なのだ。まだ眠っているうちに手を打たねば手遅れになる。今ならまだ間に合うだろう」
その言葉に二人は渋々と頷いたが、俺はなんとなく辺境伯の言葉に背中が冷たくなった…。