第39話 『 おっ、おっ、お兄ちゃん 』
「……」
……わたしは自室でベッドに倒れ込んでいた。
――ひゅー、ひゅるるるるーーー……。
「寒いのっ!?」
朝、伊墨甲平が窓を叩き割ったせいで、夕方の冷たい風が流れ込んできていた。
わたしは毛布にくるまって寒さを凌ぐ。
(うぅー、寒いのー)
まだ、春半ばというものの今日は風が強い。窓全壊で寝るには少しばかり厳しかった。
(……外に出たいけど、今は伊墨甲平やクロエとは顔を合わせたくないの)
とはいえ、この窓全壊の部屋で夜を過ごすのは少しばかり身体に堪えた。
――コンッ、コンッ
……扉をノックする音が聴こえた。
「……」
わたしは出る気分ではなかったので、居留守をすることにした。
「……」
しかし、すぐに扉から気配が消えた。
「……居なくなったの?」
「いや、居るぞ」
「!?」
……伊墨甲平がわたしの背後に立っていた。
「どこから入ったのっ」
「窓から」
「何でわざわざノックしたのっ」
「……」
「何か言えなの!」
……ノックをした理由は特には無かった。
「……で、何しに来たの? 今日の試験は終わりなの」
わたしは今、一人になりたかったので伊墨甲平を追い返そうとする。
「いや、クロエさんにエッチな……じゃなくて、さっき言い過ぎたから謝りに来たんだ」
「今、何を言おうとしたの!」
……やはり、この男はとんでもないちゃらんぽらんである。
「それにお前に伝えたいことがあって来たんだよ」
「……伝えたいこと?」
「まあ、その前に」
――伊墨甲平がわたしに頭を下げた。
「さっきは、その、やり過ぎた。だから――ごめん」
「……えっと」
伊墨甲平、思っていたよりも誠実な男であった。
「別に怒ってないの、だから、別に謝らなくたっていいの」
「……ありがたい。それじゃあ、さっきの件はこれで終わりな」
伊墨甲平は頭を上げ、次の話題に移行した。
「お前の両親についてだ」
「――」
……両親?
「――聞きたくないの!」
わたしは嫌な予感がしたので、両耳を塞いで、伊墨甲平の声をシャットダウンした。
「馬鹿野郎! それじゃあ、クロエさんにエッチなお願……じゃなくて、クロエさんに合わせる顔が無いだろ!」
「だから、今、何を言おうとしたの! って、無理矢理腕を剥がすななの!」
伊墨甲平は無理矢理わたしの手を耳から剥がして、大きな声で事を伝えようとする。
「させるかなの!」
「あっ、てめェ! 金○蹴るんじゃねェ!」
わたしはせめてもの抵抗で伊墨甲平の股間に蹴りを入れるが、彼は腰を退いて蹴りをかわす。
「聞け! キャンディ! お前の両親はな!」
「言うななの! 聞きたくないのッ!」
……駄目だ。伊墨甲平の方が力が強くて振りほどけない。
そうこうしている内に、伊墨甲平が本題を口にした。
「 お前を大金欲しさで売ったんだ! お前は愛されていていなかったんだ! 」
「――っ」
……血の気が退いた。
「お前の両親はお前を捨てたんだ! だから、もう両親の影を追うのはやめろ!」
「……………………嘘なの」
しかし、〝心眼〟で心を読まずともわかる。伊墨甲平の目は嘘を吐いていない目であった。
「嘘じゃない、本当はお前だってわかっていたんだろ」
「……嘘なの」
「お前、両親と離れ離れになって何年目だよ」
「……三年」
正確には三年と八ヶ月である。
「その間、一回でもお前に会いに来たか?」
「……」
「一回でもお前に手紙が送られたか?」
「……」
わたしは答えられなかった。言葉が震えてしまいそうで、何より少し泣きそうになっていたからだ。
「別に一緒にいた頃の思い出を否定するつもりはねェよ。ただ、もう過去に囚われるのはやめろよ」
伊墨甲平の説教染みた物言いにわたしはカチンときた。
「何であんた何かにそんなこと言われないといけないの!」
「……」
「そもそも昨日、顔を合わせただけのあんたに何でそんなこと言われないといけないの!」
「……それを言われると耳が痛い」
「……」
……伊墨甲平はあっさり白旗を挙げた。
「そうだな。確かに俺がお前に生き方を強要する道理はない。それは悪かった……ただ、人生の先輩として一つだけ忠告したかったんだ」
「……」
伊墨甲平は頭を掻き、すぐに真剣な顔に戻った。
「お前の両親はたぶんお前を迎えに来ない。だから、もっと楽しいこと考えて生きた方が有意義だと思うぜ」
「……」
……そんなことはわかっていた。
わたしが両親に愛されていないことも薄々気がついていた。
両親を待つことが無駄であることも薄々気がついていた。
このままじゃ駄目だってことも薄々気がついていた。
「……でも、こんなの堪えられないのっ」
わたしにとっての家族はあの二人しかいなかった。
わたしを引き取ったロッドお義父さんは、わたしのことをコレクターぐらいにしか見ていなかった。
クロエがわたしを大切に思っているのはわかるけど、わたしは心の何処かで壁を作っていた。
「家族が居ないなんてこんなの悲しすぎるのっ」
「……」
――孤独。
……部下や主人が居ても、結局のところは他人。家族ではないのだ。
「キャンディは家族が欲しいのっ、それしか要らないのっ……!」
「 だったら、俺がお前の兄貴になってやる……! 」
「――」
――伊墨甲平がわたしの頭に手を乗せた。
「血の繋がりがねェとかケチなこと言うんじゃねェよ。俺はお前を笑顔にしたい、お前の兄貴になりたいからなるんだ」
「……そんなの口だけなの」
昨日、言葉を交わしただけの男を兄とだなんて思えなかった。
「充分だ。口だけありゃ、何度だってお前に言ってやる。俺はお前の兄貴でお前は俺の妹だ」
「……そんなの暴論」
「 それを決めるのはお前だ 」
伊墨甲平の言葉には冗談や恥じらいなど何もなかった。本気の本気で兄なるなどとのたまわっていたのだ。
「いつまでも他人に人生委ねてんじゃねェぞ。お前が家族が欲しいと言うのなら俺を求めればいいさ。だけど、心に壁作って、ウジウジといじけて、勝手に悲劇のヒロインぶってんじゃねェぞっ」
「――っ」
……図星だった。
過去に固執し、
他人と壁を作り、
不幸面をする。
……今のわたしそのものだった。
「正直に言えっ、お前は何がしたい、何が欲しいんだっ……!」
「……」
……わたしは、
……わたしは、ずっと欲しかったんだ。
――お兄ちゃんがいたら、一緒に遊んでくれるかな?
「……」
お父さん
お母さん
「……おっ……おっ」
……今までありがとう。
「 お兄ちゃん 」
……そして、さようなら。
「……キャンディ……結構、我儘なの」
「ああ、知ってる」
「……甘いの大好きでお菓子ばっか食べちゃうの」
「ご飯もちゃんと食えば文句は言わねェよ」
「ねえ、お兄ちゃん」
「どうした?」
「……抱っこしてほしいの」
「いいぞ」
……お兄ちゃんがわたしを抱き締めてくれた。
それは、とてもとても温かくて、春の日溜まりに似ていて、心が甘く溶かされていくような、そんな抱擁であった。
(……温かいの)
……ずっと、求めていた温もりとの対面に、わたしは不意に涙が溢れ落ちた。
……十二歳と三ヶ月、わたしに初めての兄ができた。
「――くしゅんっ」
……俺の胸の中にいたキャンディがくしゃみをした。
「……大丈夫か、キャンディ」
「風が少し寒いの」
「あー」
俺は粉々に叩き割られた窓を横目に見る。
……全部、俺が割った窓である。
(……八つ当たりとはいえ、やり過ぎたな)
まあ、過去の俺のしたことだ水に流そうと思う。
「……………………ねぇ、お兄ちゃん」
キャンディが蚊の鳴くような小さな声で話し掛けてくる。
「どうかしたか?」
俺は穏やかな笑みで、続く言葉を促す。
「この部屋で寝てたらキャンディ、風邪引いちゃうと思うの」
「……かもな」
……何だ、この流れ?
「……だからね、おっ、お兄ちゃんにお願いがあるの」
「……」
……何だ、この流れ?
「 きょっ、今日はお兄ちゃんのベッドで一緒に寝たいの 」
……キャンディが顔を紅潮させ、そう告げた。
「……」
……マジでか。




