最終話 『 たった一つのやりたいこと 』
……海。俺は独り、波打ち際で黄昏ていた。
「……これから何をしよう」
姫が死んで世界に失望した俺は死のうとした。しかし、不本意ながら生き残ってしまった。
呆れる程のしぶとさに溜め息が出る。
「……〝やりたいこと〟、か」
……〝理由〟や〝意思〟がほしくて、俺は〝やりたいこと〟を探した。
(……………………見つからねェよ)
それはそうだ、そんなに簡単に見つかるのなら最初から死のうとすらしなかったであろう。
姫がいなくなった世界でやりたいことなんてある筈がなかった。
「……」
思いつかない。
雲の裂け目から射し込む光を眺めても、水平線を眺めても、絶え間なく揺れ続ける水面を眺めても――思いつかなかった。
「……」
時間ばかりが過ぎていく。空は徐々に明るみ、海も青に近づいていった。
こんなときでも腹は減るのか、胃が空腹を訴えていた。
「……姫……俺はどうすりゃあいいんだよ」
そんなことを訊いたって、姫は海に還ってしまったので答えてはくれない。
そう、俺は独りなのだ。誰かに答えを求めても返ってくる筈がなかった。
(……俺、独りになっちまったんだよな)
昨日まで友や仲間に囲まれていたのに、
昨日まで一番大切な人が隣にいたのに、
全ては過去の話であった。
(……昨日まであんなに楽しかったのに)
もう、あの時間は無い。
全てアルベルト=リ=ルシファーに踏み潰されてしまったのだから……。
「……アルベルト……お前さえいなければずっと楽しいままだったのによぉ」
そう、奪われたのだ。
大切なもの全てを……。
「……ちくしょう……ふざけんなよ」
冷えきった心に小さな火が灯る。
「……………………アイツさえいなければ」
その炎はどす黒く、徐々に燃え移っては激しさを増す。
「……………………」
そうだった。大事なことを忘れていた。
「…………」
まだ、生きていたんだ。
「……」
俺から全てを奪った男はまだ生きているんだ。
「 見つけた、やりたいこと 」
……俺から全てを奪った男――アルベルト=リ=ルシファーはまだ生きている。
「……許せないよな、そんなこと」
ああ、腹立たしいな。
納得できない、まったくもって遺憾極まりない。
「俺から大切なもの全部奪ったんだ、奪い返されたって仕方ねェよな」
やったらやり返される……子供でもわかる理屈だ。
「 殺してやるよ――アルベルト=リ=ルシファー……! 」
……それがたった一つのやりたいことであった。
「お前のやりたいこと全てを挫いて、お前の大切なもの全部を奪ってやる」
醜いか?
正しくないか?
――問題ない。
美しさや正しさが俺を救うか? いや、何一つ俺を救ってはくれない。
ならば、好きに生きて、好きに悪いことをしてやろう。
思いっきり間違えてしまえばいい……どうせ、俺を叱る人はもういないのだから。
「俺の残りの人生全てを使って、お前を地獄の底へと叩きのめしてやる……!」
皮肉なものだった。
俺から生きる理由を奪った男が、逆に生きる理由をくれたのだから……。
「 楽しそうな話をしているね、僕も交ぜてくれないかい? 」
――決意を固める俺に一人の男が声を掛けた。
「お前は――ファルスッ!?」
「やあ、昨晩振りだね」
……まさかのファルスが海まで来ていた。
「独り言を聞かせてもらったよ、復讐するんだろ――あの、アルベルト=リ=ルシファーにね」
〝絶対生存許可証〟の効果で復活したのであろう、傷一つも見当たらなかった。
「そうだが、お前には関係ないだろ」
「――関係ならあるよ」
「何だって?」
ファルスはいつも通りの爽やかな微笑を浮かべていた。
「 伊墨甲平の敵、関わる理由ならそれだけで十分さ 」
……相変わらずイカれた奴であった。
「まさか、仲間になってくれるのか?」
「違うよ。君に服従したいんだ」
「……服従?」
全ての発言が斜め上を行っていた。
「鴉の心臓の名に賭けて、伊墨甲平に忠誠を誓おう」
そう言ってファルスは砂浜に膝をつき、頭を垂れた。
「伊墨くんの心臓となり、君の野望にこの人生を捧げるよ」
「……ファルス」
……俺は独りではなかった。
心強い仲間が、信じられる仲間がここにいたのだ。
ファルスはいつも俺の危機に駆けつけてくれていた。そして、それは今日もであった。
「俺はアルベルト=リ=ルシファーを殺す」
「……」
「世界最大国家を敵に回す」
「……」
「それでも付いてきてくれるか」
「無論、地獄の果てまで」
……嗚呼、ファルスーーお前はやっぱり最高だよ。
「いい返事だ、付いてこい」
「御意」
俺は立ち上がり、海とは反対方向へと歩き出す。ファルスも立ち上がり、俺の背中を追い掛ける。
(……アルベルト、お前は大きな過ちを犯した)
――それは俺を確実に殺さなかったこと。
そのたった一つの過ちがこの復讐への始まりとなった。
(……姫、悪いけど少し間待っていてくれ)
俺は赤い髪紐で後ろ髪を結ぶ。不思議と気が引き締まる。
(陰湿だし、誉められたことじゃないけどさ、俺にも出来たんだよ)
その瞳には静かに闘志の炎が揺らめいていた。
たった一つの、
やりたいことが……。
「……………………くくっ」
愉快だ。
「ははははははははっ……!」
生きるということはなんて愉快なのであろう。
「 さあ、どうせなら楽しんでいこうか 」
護るべき主君を失った。
一度生きる理由を失った。
……それでも、伊墨甲平の異世界での戦いの日々はまだ続くようであった。