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 第244話 『 忍と姫 』



 「……私をペルシャさんだと思って見送ってください」


 ……この期に及んでこの人はまだ自分以外の人のことを考えているのだ。


 アルベルトの狙いはペルシャだ。

 そして、アルベルトはまだ姫とペルシャの区別がついていない。

 ならば、せめてアルベルトにペルシャは死んだものと思わせようとしているのだ。

 姫は影武者としての最期の仕事を果たそうとしていた。


 「ああ、わかったよ――ペルシャ」


 呆れた。だけど、その馬鹿みたいにお人好しな生き方を無下には出来なかった。


 「……何で、泣いているんですか?」


 「そりゃあ泣きもするさ、好きな女が死ぬんだ、泣いたっていいだろ」


 姫が指摘するように、俺はらしくもなく涙を流していた。


 「好きな女、か……ふふっ、甲平に告白されちゃった、おかしいですね」


 「おかしいってお前、泣いてんじゃねェか」


 姫は少女みたいな屈託のない笑顔でありながら、その目尻には涙が滲んでいた。


 「だって、嬉しくてつい……甲平の口からそんな嬉しいこと言ってくれるだなんて思ってもいなかったからっ」


 「……ペルシャ」


 ……嗚呼、何て愛おしいのだろう。


 今、俺の目の前で息絶えようとしている少女は俺にとって世界で一番大切な人に違いなかった。

 俺の人生はこの人を護る為に在ったのだ。


 「……ごめんっ」


 愛ゆえに更に悔恨の念が膨れ上がる。


 「護るって言ったのにっ! 日の本一の忍になるって約束したのにっ! 俺は! 俺はっ……!」


 「……」


 護る所かこの手で姫を殺めたのだ。俺に生きる資格も、気力すらも残ってはいなかった。


 「傷つけてごめんっ! 約束破ってごめんっ! 俺は本当に駄目な忍だったよなぁっ……!」


 「……甲平」


 情けなくて、姫がいなくなることが耐えられなくて、俺は馬鹿みたいに涙を流した。


 「ごめんなっ、ペルシャッ! 本当にごめんっ……!」


 どんなに謝っても謝り足りなかった。それ程までに俺は俺自身が許せなかった。


 「……いい……ですから」


 ……姫が俺の頬に真っ白な手を添える。


 「……もう謝らなくても……私は甲平を恨んだりはしていませんから」


 「……でもっ、俺はお前に酷いことをっ」


 姫の優しい言葉に尚更胸が締め付けられた。


 「……もう許してますから……甲平の情けない所とか、騙されやすい所とか……全部まとめて私は貴方を好きになったんです」


 「……ペルシャ」


 ――姫っ!


 「……だから、笑って……ほら、笑ってください」


 「ペルシャッ……!」


 ――姫っ……!



 ……俺は姫を力一杯抱き締めた。



 「駄目だっ! 行かないでくれっ! 俺に護らせてくれよっ!」


 俺はわかってしまったのだ。


 姫が今にも何処か遠くで行こうとしていること、

 それは、もう二度会えないくらいに遠い場所であること、


 だから、俺は必死に姫を引き留めた。


 「俺を独りにしないでくれっ、お前以外の忍なんて嫌なんだよっ……!」


 「……そっかぁ、甲平は私に死んでほしくないんだぁ」


 「当たり前だろっ! ずっと一緒がいいっ! 離れ離れなんて耐えられる筈がないだろっ……!」


 駄目だ! 駄目だ! 血が止まらない! 身体もどんどん冷たくなってる! 死が近づいてきてる!


 姫が死ぬ! 死んじゃう! 嫌だ! 嫌だ!


 誰か! 誰でも姫を助けてくれよぉっ!


 「だから、死ぬなっ! 死なないでくれよっ……!」


 「そっかぁ、泣いちゃうくらい私に生きててほしいんだ」


 何で笑ってんだよ! 今から死ぬってのに何で笑えるんだよ!


 「……嬉しいな……嬉しいなぁ」


 「……ぁっ、あぁ」


 ――止……。


 ……心臓が止まってる。


 「……嬉しい……なぁ……………………」


 「……ペルシャ?」


 ……全身の力が抜けている。


 「……」


 「……何か言ってくれよ、声を聞かせてくれよっ」


 まるで時が止まっているように、姫は笑顔のまま眠りについていた。


 「……っ、頼むからもう一度目を開けてくれよ」


 「……」


 ……ああ、そうか。


 「……あっ……うぁぁっ」



 ……もう、死んでいるのか。



 「……ぁっ……ぁぁぁっ――……」


 姫が死んだ。


 姫が死んだ。


 姫が――死んだ。


 「――ああァァァァァあァァァァァァァァァァァァッ……!」


 ……俺は哭いた。


 泣き虫だった頃からずっと大人になったのに、力だって強くなって背も伸びたのに……。


 ……俺は人生で一番沢山の涙を流した。


 秋の訪れ。


 誕生日の夜。



 ……火賀愛紀姫は俺の胸の中で永遠の眠りについた。







 ――永録六年、火賀城。


 「 姓は伊墨、名は甲平……本日より姫君に使えさせていただきます 」


 ……季節は春。庭の桜も咲き乱れ、小鳥も暖かな陽気に浮かれるように飛び回る。


 「お噂は兼ね兼ね耳にしております。大層腕の立つ忍だとか」


 「はっ、噂に恥じぬ働きを御見せ出来るよう精進いたします」


 俺は庭に膝をつき頭を垂れ、愛紀姫は縁側から俺を見下ろす。


 「……」

 「……」


 「……くすっ」

 「……くはっ」


 ……沈黙の後、俺達は同時に吹き出した。


 「あれから五年……随分と立派になられたのですね」


 「姫こそ、見違える程に綺麗になられましたね」


 五年振りの再会に俺達は心を和ませる。

 落ちこぼれと呼ばれていた俺も、厳しい修行を乗り越え、里でも指折りの忍へと成長していた。

 姫も可憐な容姿に凛々しさが加わり、大人びた淑女となっていた。


 「所で甲平、あの時の約束を覚えていますか?」

 「……ヤクソク?」


 姫の質問に俺は惚けた顔で首を傾げる。


 「もうっ、忘れたのですか……私は今でも一字一句覚えているというのにっ」

 「ははっ、冗談ですよ。俺も一字一句覚えています」

 「もうっ、意地悪ですねっ」


 からかう俺に姫がモーモーと牛みたいに機嫌を損ねる。


 「……愛紀姫は綺麗で立派な姫になる」


 俺は吟うように呟く。


 「……甲平は天下一の忍者になる」


 姫もこちらに合わせて呟く。


 「そしたら、俺が姫の忍者になって命懸けで守ってやる、約束だ……でしたか?」


 「はい、合ってます」


 俺と姫は顔を見合わせて笑いだす。


 「まだ、その約束は無くなっていませんよね」


 「当前です、何度だって約束しましょう」


 「では――……」


 姫が俺に小指を差し出した。

 俺も立ち上がっては小指を差し出し、姫の小指と絡ませる。



 指切りげんまん、


 嘘吐いたら、


 針千本呑ます、


 指切った。



 ひらひらと舞い。

 ゆらゆらと落ちる。


 ……そのときに見た舞い落ちる桜の花弁の軌跡は、今もまだ鮮明に覚えていた。


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