第238話 『 クリス=ロイス 』
……血は止まらない。溢れだしては地面を赤く染めていく。
もう助からない。
クリス=ロイスはここで死ぬ。
……そんな非情な現実を目の当たりにしていて尚、私は冷静であった。
(……動けて一分って所か)
残り六十秒、それが私の寿命である。
(ならば、この一分でせめて一人は倒そう)
――それが生き残った伊墨へのせめてもの手向けであった。
私は剣を握る。まだ、右手には僅かに魔力が残っていた。
(……技を一発……いや、二発といった所か)
魔力も〝氣〟もほとんど残ってはいない。チャンスは限られていた。
慎重にと言いたい所であるが残り六十秒を切った今、作戦を練る時間もなかった。
――特攻。
……それしか選択肢は残されてはいなかった。
(……さあ、舞おうか)
クリス=ロイス、人生最期の大舞台だ……!
――私は鮮血を撒き散らしながら駆け出した。
不思議と痛みはなかった。
足取りも羽根のように軽かった。
「 ッ!」
伊墨が何か叫んでいたが聞こえないし、立ち止まるつもりもない。
(止めるなよ、今いい所なんだ!)
無数の斬撃と燃える礫が雨のように降り注ぐ。
しかし、私は舞うように全ての攻撃を回避する。
(舞え、蝶のように! 疾れ、虎のように!)
私は止まらない。ただ一直線に敵陣へ切り込む。
敵の攻撃は凌げる、身体もギリギリ持つ……しかし、剰りにも邪魔が多すぎた。
(特に〝シェフ〟とロキ、二人とは相性が悪過ぎる!)
彼等には私の剣は届かない。だが、私にはいるのだ――……。
「 イスミィーーーーーーーーッッッ……! 」
――背中を任せられる男が……。
「〝シェフ〟とロキは任せたぞッ!」
聞こえているかはわからない。私が鼓膜を潰したように聞こえていない可能性だってあった。
それでも私は伊墨甲平を信じた。
(伊墨、お前は馬鹿でだらしなくてデリカシーがない――だが)
――斬撃と燃える礫が止まった。
(ここ一番で頼りになる……!)
敵の攻撃が止み、道が拓ける。
すぐ横で伊墨がロキと〝シェフ〟と戦っていた。
(ありがとう……一緒に戦っているのが伊墨で良かったっ)
お陰でこの命を無駄にせずに済む。
(……まさか、出会った頃は背中を合わせて戦うなどとは思わなかったな)
――礼儀知らずな不審者。
……伊墨への第一印象はそんな心ないものであった。
最初は殺そうとすらしたし、正式に仲間となった後もその印象は変わらなかった。
しかし、一週間を共に過ごし、忍術の師事を受け、情けない姿も沢山見られた。そんな日々を経て、伊墨への印象は少しずつ良い方へ寄っていた。
(私の一番はペルシャちゃんだ……それでも)
……好きになっていたのだ。異性として。
それは死ぬまでに言うつもりのなかった言葉である。
だって、今のままが一番心地よかったから……。
忍と騎士。
師匠と弟子。
背中を任せられる仲間。
……そんな関係性が一番居心地が良くて、しっくりきたからだ。
(……だから、小声でだってこの気持ちは言ってやらぬよ)
耳の良い伊墨のことだ、聞き逃してはくれないであろう。
この気持ちは墓場まで持っていくつもりであった。
「――かはっ……!」
食道を逆流した血液が吐き出される。
動く度におびただしい程の血液が身体からこぼれ落ちる。
(……あと、十数秒)
痛みはない。ただ、身体の芯が冷たくなる感覚がした。
(……ペルシャちゃん、ごめんなさい)
私は心中で、世界で一番大切な人に謝る。
(ずっと守ると言ったのに、ずっと側にいると約束したのに)
終わりは突然訪れた。
昨日までの私に言ったってきっと信じてくれないだろう。
――クリス=ロイスは死ぬ。
どんなに足掻いたって助からない傷。
迫り来る揺らぎなき暗い未来。
――クリスちゃん!
(……もう二度とペルシャちゃんの笑顔が見られない)
誰よりも強い騎士になると誓ったのに、もう泣かないと誓ったのに、涙がこぼれ落ちそうになった。
(二度とその手を触れることも、声も聞くことすら出来ない)
なんて残酷なのだ。こんなに酷い話があるのだろうか。
(……嗚呼、神よ)
どうかささやかな慈悲があるのであれば一つだけ願いを叶えてください。
(ペルシャちゃんに会いたいな)
しかし、それは叶わない夢物語である。
ここにペルシャ=ペルセウスはいない。クリス=ロイスはもうすぐ死ぬ……それが現実なのだから。
――閃ッッッッッッ……! 〝ピエロ〟の口腔から放たれた光線が側頭部を耳ごと抉った。
「……要らぬよ、そんなものっ」
どうせもう助からない。
それにやっと辿り着いたのだ〝ピエロ〟とアルベルトの前まで……。
〝ピエロ〟とアルベルトが私から距離を置こうとする。
「――逃がさんよ、死んでもな」
――私の影分身が二人を羽交い締めにした。
持って数秒の時間稼ぎ。
(――充分だッッッ……!)
我流剣術――……。
地面が弾け飛ぶ。
風が吹く。
「 ッ!?」
〝ピエロ〟が何かを叫ぶが私は止まらない。
最速一刀。
最強抜刀。
神 遊 居
――トンッ……。私はアルベルトと〝ピエロ〟の背後にいた。
「……」
チンッ……。黒刀は鞘に納められる。
――斬ッッッッッッッッッッッッッッッッッッ……! 〝ピエロ〟の上半身が宙を舞い、アルベルトも腹から多量の血を噴き出した。
(……アルベルトにはあと一歩届かなかったか)
〝ピエロ〟もまだ死んではいない。
(奴は人間ではない)
〝深心神威〟が教えてくれたのだ。奴が機械人間であることを……。
「 ♪」
〝ピエロ〟が上空で私を見下ろし嘲笑う。
「 だから、死ぬまで斬り刻んだ 」
葬 摩 刀
「 ♪ !
?
ッ 」
――〝ピエロ〟がバラバラに斬り刻まれた。
「……踊り死ね、道化師めが」
私は毒づき、そのまま地面に身体を投げ出す。
……ここまでか。
地面が暖かい。
身体が冷たいせいか。
「……」
ああ、眠い。
全身が地面に沈んでいくようだ。
「……ペルシャ、ちゃん」
もう心臓の鼓動も感じられない。
何も聞こえないし、何も見えないし、何も感じない。
「……さよう……なら」
私は幻影に手を伸ばす。
――愛してました、誰よりも……。
……真夏の向日葵に似た笑顔は、「わたしもだよ」と言って幻のように霧散していった。