第231話 『 よく耐え切った 』
……戦闘開始から五分が経過していた。
――無数のワイヤーの隙間をわたしは潜り抜ける。
「いい加減捕まりや、キャンディちゃん」
「クロエの糸はもっと繊細だったの」
クロエの姿と〝奇跡〟を模倣したロキであるが、所詮は猿真似、本物に較べて技が大味であった。
わたしの小柄な身体は隙間を潜り抜けるのに適しており、ロキの単調なワイヤー捌きでは捕獲することが出来なかった。
――横一閃に切るッッッ……!
「――」
……頭の中に声が聴こえた。
「あかんッ! 〝シェフ〟さんッ!?」
ロキが慌ててその場にしゃがんだ。
座 標 交 換
次 の 瞬 間 。
――斬ッッッッッッッッッッッッ……! ロキとわたしの位置が入れ換わり、ロキの頭上に斬撃が走った。
「さっきも説明しましたよねっ! この子は読心と位置の入れ換えが出来るってっ!」
「黙れ、私の許しも無く生板の上に乗った貴様が悪い」
「……」
……どうやら、二人のコンビネーションはまだ不安定なようであった。
(――行けるの……!)
読心能力――〝心眼〟。
二点の座標交換能力――〝座標交換〟。
この二つの〝奇跡〟を組み合わせれば、格上二人相手の足止めも不可能ではなかった。
〝心眼〟で相手の心を読んで、回避orカウンター……シンプルかつ有効な戦闘手段であった。
「貴方達はここから先へは進めない、キャンディが絶対にさせないの」
「確かにこれはかなーり厄介やな」
ロキはクロエの姿で溜め息を吐く。
「どーしますか? 〝シェフ〟さん」
「煩わしいな、貴様ごと叩き切ってしまいたくなる程に」
「……あのー、冗談ですよね」
〝シェフ〟の冷たい返答にロキは笑みを引きつらせる。
――パンッッッ……。乾いた銃声が二人の会話を遮る。
「漫才を聞いてる暇はないの」
……撃ったのはわたしであった。
「届かぬぞ、そんな豆鉄砲などな」
カランコロンと真っ二つに両断された弾丸が〝シェフ〟の足下を転がる。
「流石なの……でも、これなら?」
わたしは掌を開いて、〝シェフ〟に見せつける。
……そこには半分に斬られた弾丸が乗っていた。
座 標 交 換
「……何をした?」
「質問なの。キャンディは一体弾丸と何を入れ換えたのでしょうなの」
そう、わたしは入れ換えたのだ。弾丸と――……。
〝何か〟が〝シェフ〟の足下を転がる。
……それは手榴弾であった。
「 BOM 」
「あかんッ! 〝シェフ〟さんッ!」
――轟ッッッッッッッッッッッッッッ……! 大爆発が〝シェフ〟を呑み込んだ。
「……まずは一人、なの」
次は?
「僕ってか?」
わたしは拳銃の銃口を瓦礫に向ける。
「正解」
そして、数発の弾丸を瓦礫へ放った。
「また同じ手をっ――……」
座 標 交 換
――瓦礫とロキの位置が入れ換わり、弾丸が彼へ襲い掛かる。
「来るとわかっている位置換えに対策せぇへん訳ないやろ」
ロキはフェリス=ロイスに姿を変え、全ての弾丸を斬り伏せる。
「 〝座標交換〟 」
―― 一発の弾丸がロキの肩を貫いた。
「一発だけ貴方の背後にある瓦礫と位置換えしていたの、気づかなかったの?」
「……意地の悪い子やっ」
ロキは撃たれた肩を押さえ、いつもの軽薄な笑みを歪ませる。
「躾が必要やな、キャンディちゃんっ」
雷 閃
次の瞬間。ロキが目にも止まらぬ速さで斬りかかる。
「 知ってたの 」
――フェリスに姿を変えたロキの顔面に跳び蹴りが炸裂した。
「どんなに速くても、何処から来て、どのタイミング仕掛けるかわかれば」
「――ぐっ」
ロキが地面を転がり、わたしは音もたてずに地面に着地する。
「こうやって貴方の攻撃に合わせてカウンターしちゃえばいいの」
「……」
ロキは立ち上がり、口元の汚れを手で拭う。
「正直侮ってた、堪忍な」
「謝ったって許さないの」
わたしは更なる追撃に為に、銃口をロキへ指向する。
「貴方達が殺した人々もわたしも絶対に貴方達を許してあげないの」
「おぉ~、恐い恐い♪」
殺気立たせるわたしに「でも♪」とロキが笑う。
――そこ、〝シェフ〟さんの生板の上やで♪
「――ッッッッッッ……!」
座 標 交 換
わたしは〝心眼〟で危険を察知し、咄嗟にロキと自分の座標を入れ換えた。
微 塵 切
――斬ッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ……!!!
「 あっ 」
血飛沫が舞う。
壁に亀裂が走る。
「ちなみに、生板の上に乗っとったのは、僕もなんやけどなぁ♪」
……そう笑うロキの姿はゼロ=ベルゼブブの姿へと変わっていた。
「――かはっ」
わたしの身体を刻んだ刃は深く、失血に力が抜け、堪らず膝をつく。
(……まさか、自分を巻き込む程の超射程の斬撃を使ってくるなんて)
これではわたしの〝座標交換〟も意味を為さなかった。
(それにロキが姿を変えた男はあのゼロ=ベルゼブブ)
〝七凶の血族〟が一角であるベルゼブブ家最強の男。
……そして、クロエを殺した男。
(……噂には聞いていたけど、あれがゼロの絶対防御)
――無傷。あの鋭い斬撃に巻き込まれてなお、ロキは傷一つ負っていなかった。
「堪忍なぁ、キャンディちゃん」
ロキが軽薄な笑みを浮かべながらわたしを見下ろす。
「君、結構頑張っとったけど相手が悪かったなぁ」
……足音が近づき、わたしはそれを視線で追う。
「〝七凶の血族〟と〝四騎士〟を相手に勝てる筈があらへんやろ、なあ♪」
「……クソったれ、なの」
……そこには無傷の〝シェフ〟がこちらへ歩み寄っていた。
「ロキ、少し黙れ。貴様の軽薄な声は不快だぞ」
「あーい」
「……」
……敗けた。
確かにロキと〝シェフ〟の連携は不安定であった。
しかし、それを帳消しにする程の個の戦闘力があったのだ。
(……もう十分なの)
わたしは時間を稼いだのだ……この化け物二人相手にだ。
(もう悔いはない――……)
十分に仕事は果たした。
もう明日なんて望まない。
「……」
――なぁ~~~んて、言う筈がなかった。
「キャンディはまだ死ぬわけにはいかないの」
わたしは立ち上がる。
「たったの十年ちょっと、死ぬには早すぎるの」
「ほんまに可愛げあらへんなぁ、自分」
足下が覚束ない。
もう立っているのもやっとだ。
「でも、どんなに強がってもキャンディちゃんの身体は限界、もうまともに立つことすら出来とらへん。そんなんで僕と〝シェフ〟さんに勝てる筈があらへんやろ」
「勝手に決めるな、なのっ」
ロキの言った通りだ。きっとわたしは二人には敵わない。
勝率すれば1パーセントにも満たない淡い希望。
(……それでも)
――キャンディ……!
(お兄ちゃんだったら絶対に諦めたりしないのっ……!)
だから、立ち上がれッ!
立って、最期まで抗えッ……!
「――時間の無駄だな」
……〝シェフ〟が静かに殺気立たせ、こちらに手を向ける。
「鶏の丸焼きのように骨の芯まで焼き尽くしてやろう」
「……っ」
来るッ!
膨大な熱エネルギーが〝シェフ〟の右手に集まるッ!?
(……これ程の熱エネルギー、また広範囲攻撃なのっ)
ロキも未だにゼロに姿を変えたままである。
ゼロには無敵化の能力がある……この場で窮地に陥っていたのはわたしだけであった。
(――だったら、わたしと〝シェフ〟の座標を入れ換えればいいの!)
これなら奴の攻撃は自身へ跳ね返る。
「……直火」
……撃て。
「……」
……撃て!
「……」
……撃って、こない?
「――これを撃てば貴様は私と位置を入れ換える、そういったところか」
「……っ」
――読まれている!?
「貴様のような小娘の浅い考えなどお見通しだ」
「だったらどうするの?」
撃たなければ先へは進めない。
撃てば跳ね返えされる。
「貴方に攻め手は無いの」
「やはり浅いな」
〝シェフ〟は鼻で嗤い、右手を下ろす。
「斬撃も炎熱も私の能力の本質ではない。私の〝奇跡〟は――……」
「――」
……あれ?
――わたしは地面に膝を付いていた。
(……足に……力が入らないの?)
足だけではない、手も、体幹も力が抜け落ちたような脱力感に襲われた。
「 〝至高の厨房〟 」
体力だけではない、魔力も吸い寄せられていた――〝シェフ〟の下へと……。
「……それが貴方の〝奇跡〟」
「そうだ。私の〝至高の厨房〟に掛かれば、四方一里に存在するエネルギーは全て私に集まり、魔力に変換される」
……エネルギーの吸収と魔力変換。
「斬撃も炎熱も、変換された魔力によって放出された副産物に過ぎないのだよ」
「…………なるほどなの」
〝シェフ〟の説明で、先程の手榴弾で無傷であった理由を理解することが出来た。
――エネルギーの吸収。
……それこそが〝シェフ〟の〝奇跡〟最大の脅威であった。
「貴方のエネルギー吸収に掛かれば衝撃も熱エネルギーも全て貴方の魔力になってしまう……そんなところなの」
「少しは敏いようだな、小娘」
……まさしく、絶対防御と言っても過言ではなかった。
「あの~、〝シェフ〟さん。僕もエネルギー吸われて辛いんですがー」
ロキも脱力感に堪えきれず地面に膝を付いていた。
どうやら、〝至高の厨房〟のエネルギー吸収は無差別なようである。
「脆弱者が……いいだろう、直ぐに小娘を片付けてやる」
〝シェフ〟の膨大な魔力が右手に集まる。
「もう貴様には能力を使う体力も無いだろう」
「……」
正解。〝奇跡〟どころか逃げる体力も残ってはいなかった。
「安らかに逝け――〝直火〟」
「……っ」
……最早、ここまでだ。
もう戦えない。
もう逃げられない。
(……キャンディは死ぬ)
――後、五秒後には。
(……こんなに早く会いに行ったら、クロエは怒るかな)
業火が迫る。
空気は焼け、皮膚や唇の水分が乾く。
「……ごめんなさいなの」
……涙が蒸発した。
――キャンディはまだ死にたくないの……。
「 死なせねェよ 」
――風が吹いた。
誰かがわたしを抱えて跳躍する。
羽のような浮遊感がわたしを包み込む。
「……よく耐え切った」
その人は黒いスーツに真っ黒なサングラスを掛けていた。
その人はいつも恐い顔をしていて、今も恐い顔をしていた。
だけど、声だけはぶっきらぼうながらもほんの少しだけ優しかった。
「 後は全部俺に任せろ 」
――その人の名前はラビ=グラスホッパー。
……〝王下十二臣〟の一人にして、三番隊隊長を務める男であった。