第230話 『 目覚ましビンタ 』
「……捕まえた♪」
……レイヴンハート卿は腹を貫かれながらも、伊墨の手首を掴み、身動きを封じていた。
「離せよッ! クソホモ野郎がッ!」
「恥ずかしがるなよ、男同士じゃないか♪」
伊墨も振りほどこうとするも、レイヴンハート卿の力も強く、簡単には逃れられなかった。
「――かはっ……とはいえ、こちらも長く持ちそうにないね」
レイヴンハート卿は吐血する。その顔色は悪く、今にも倒れてしまいそうであった。
「レイヴンハート卿っ……!」
私が駆け寄ろうとするも、レイヴンハート卿が空いた手を突きだして制止する。
「……御静粛に、淑女があまり大きな声を出すものではないよ」
軽口を叩くも、彼は既に立っていることさえ儘ならない程に衰弱していた。
「しかしッ!」
「気づかないのかい、僕達脇役の出る幕ではないと言っているんだ」
「……脇役? 幕?」
レイヴンハート卿が何を言っているのか訳がわからなかった。
私が彼の言葉の真意を解き明かそうとしていた……そのときだ。
――パンッッッ……! 甲高い音が地下通路に鳴り響いた。
「……なさい」
音の鳴った先に一同の視線が集まる。
まるで嵐の前の静けさに似た静寂が地下通路に訪れる。
「いい加減に目を覚ましなさいっ……!」
……愛紀さんだ。愛紀さんが伊墨の頬を叩いたのだ。
「――姫っ」
「貴方、自分が何をしたのか自覚ないのッ! ペルシャさんの家族を殺したのよッ……!」
愛紀さんは泣いていた。泣きながら怒っていた。
「……違うんだ、姫。俺は
「 言い訳を言うなッッッ……! 」
愛紀さんに一喝され、伊墨は返す言葉を失う。
「貴方はペルシャさんの家族を殺して、ペルシャさんも殺そうとして、クリスさんとファルスさんを傷つけて、私も殺そうとした……それは全部事実なのよっ!」
「……俺が……殺した?」
伊墨は信じられないと言わんばかり動揺を露にする。
「……俺が……殺そうとしたのか、姫を?」
そう呟き、伊墨は自分の頭を抱え込む。
「何だよ、それ……それじゃあ、俺は姫の忍者失格じゃないか」
レイヴンハート卿を貫く刃から手を離し、その場で崩れ落ちる。
「……俺は最低だ……最低だっ」
「……」
恐らく伊墨は今、深い絶望の底にいた。
私も同じ境遇なら自ら腹を切って自害したくなるであろう。
――主君に刃を向ける。
……それは伊墨にとっても、私にとっても、存在自体を否定する程の大罪であった。
今の私に彼に手を差し伸べることは出来ない、彼を許す立場に私はいない。
それが許されるのは――……。
「――顔を上げなさい」
……伊墨甲平の主君――火賀愛紀姫だけであった。
「……私の顔をちゃんと見なさい」
「……姫」
姫の声は凛として張り詰めていた。それなのに少しだけ優しかった。
「貴方が何でこんなことをしたのか私にはわかりません、何か事情があったのかもしれません……それでも貴方は私の大切な友達を傷つけました」
俺にもわからなかった。自分が何故そんなことをしたのか、寧ろ俺自身が知りたかった。
「どんなに訊いても貴方が答えないのならばこれ以上問い質しはしません――ですが、犯した罪は償ってもらいます」
「…………罪を償う?」
姫の提案に俺の理解は追いつかなかった。
「謝るのです、ペルシャさんに」
……ペルシャに謝る?
「……そんなこと今更したってどうにもならないだろ、もう何もかも遅いんだよっ」
冷静に考えればわかる筈だ。両親と兄を殺された人間を許せる筈がなかった。
「それでもッ……!」
姫が大きな声で俺の弱音を掻き消す。
「悪いことをしたら謝るんですっ、たとえ相手が許してくれなくてもっ、自己満足と嗤われようともっ、ケジメはちゃんとつけなければならないでしょっ……!」
「――っ」
姫の言葉に俺はハッとさせられる。
(……俺はこの期に及んでまだペルシャに許されようとしていたのか)
許してもらう為に下げる頭に何の意味があるんだろうか?
(……醜いな、俺の魂は)
甘ったれで、心の何処かで人並みの幸せを享受しようとしていた。
「一緒にペルシャさんに謝りに行きましょう」
「どうして、姫が?」
悪いのは全部俺で、姫は寧ろ被害者なのに……。
「 私は伊墨甲平が仕える姫だからです 」
――姫が俺を抱き締める。
「――」
温かくて、
優しくて、
情けないけど泣きそうになった。
「貴方が罪を犯したのなら私も共に背負います」
……なんて優しいのであろう。
「貴方がどんなに道を踏み外しても、私が手を引いて導きます」
……なんて強かなのであろう。
「それが火賀の姫、火賀愛紀姫の覚悟ですっ……!」
嗚呼、
この人だ。
この人しかいない。
俺が仕える姫はこの人しかいないんだ。
「……もう二度とペルシャに許してもらえないかもしれない」
「そのときは一緒に旅に出ましょう」
「……温かいベッドも、美味いご飯も食えなくなるのかもしれない」
「甲平がいれば十分です、他に何も要りません」
「……俺なんかでいいのか?」
「甲平がいいんです。私の忍は甲平でないと嫌なんです」
俺は罪を犯した。
心を許した友の大切な人を殺め、そして傷つけた。
「……俺はやり直せるのかな」
時を戻せるのなら俺はやり直したかった。
「それは私にはどうしようも出来ません。誰も過去をやり直すことなんて出来ないのですから」
俺の甘ったれた言葉を姫はバッサリと否定する。しかし、「それでも」と言葉を続ける。
「未来へ進むことは出来ますし、甲平が迷っているのであれば私が手を引いてあげます」
「――っ」
……もう何も返す言葉が無かった。
これ以上、姫と言葉を交わすと泣いてしまいそうであった。
だから、俺は姫に背を向け、ペルシャが逃げた方向へ歩を進める。
「……ペルシャに謝ってくるよ」
俺の足下に滴が落ち、小さな染みが拡がる。
「許してくれなくても、俺の有りのままの気持ちをペルシャに伝えるよ」
「はい、それがいいと思います」
俺は振り向かない。今、姫に顔を見られたくなかったからだ。
「姫には出来れば見守っていてほしい」
「仕方ありませんね……まったく、手の焼ける忍です」
姫が溜め息を吐き、俺の背を追い掛ける。
「……」
……俺は罪を犯した。
それは大きくて、ちょっとやそっとで償い切れない重い罪であった。
……だけど、姫が荷物を半分背負ってくれた。
お陰で俺は前へ進めたし、上を向くことも出来た。
(……俺は一生、姫に仕えるよ)
雨の日も、風の日も、
病める日も、健やかなる日も、
そして――……。
――死が二人を別つまで……。
……今はただ歩く、光の差す方向を目指して。