第226話 『 眠れ 』
――ペルセウス暦481年。
「起きているか、オルフェウス」
……午後十時、本日の仕事も片付き、私は自室で読書を嗜んでいた。
そんな部屋の扉をノックする者がいた。
「はい、起きていますよ――サーベル様」
扉越しから聞こえた声はペルセウス王国第一王子――サーベル=ペルセウスのものであった。
「入るぞ」
そう言って、サーベル様は私の部屋に入室する。
「こんな夜更けに如何なされましたか、母君に叱られますよ」
「子供扱いをするなっ」
……子供扱いをするな、か。齢十歳の男の子に言われると思わず笑いが溢れそうになる。
「それで、大人なサーベル様はどのような用で私の下へ?」
「……やっぱり馬鹿にしているだろ」
「いえいえ、そんな我が国の第一王子に対して滅相も御座いません」
「……」
軽口を叩く私に、サーベル様は不機嫌そうに眉根を寄せた。
「……オルフェウスに訊きたいことがあったんだ」
サーベル様は溜め息を吐き、本題に入る。
「オルフェウスはいつから王宮で働いていたんだ?」
……サーベル様は真剣な眼差しで問い質す。
「私ですか……そうですね、サーベル様が生まれてくる20年くらい前でしょうか」
「……20年前って、オルフェウスがまだ俺と同じくらいの頃に来たってこと?」
「そうなりますね」
一族から代々王家に仕えており、私が王宮で働くことになったのは自然な話であった。
「なら、オルフェウスは自分の意志で30年も王宮にいたの?」
「最初は一族のしきたりでしたね」
父も、祖父も、曾祖父も……オルフェウス家はペルセウス家に仕えていて、私が執事として王宮で働いていたことに高い志などはなかった。
「しかし、ここで働いている内に、サーベル様の父君――国王陛下の人柄に惚れ込み、その力になりたいと思うようになりました。そして、今は」
「今は?」
「サーベル様、貴方様の成長を見届ける為にここにおります」
「……俺の成長?」
それは嘘偽りのない、本音そのものであった。
「いつか貴方様は父君をも越える王になる……私の勘がそう言っております」
「……オルフェウス」
私の言葉にサーベル様が息を呑む。
「その為なら、私、センドリック=オルフェウスは王国の守護神として、降りかかる災い全てを斬り伏せさせていただく所存で御座います」
これは誓いである。
何者にも汚すことの許されない、何時も揺らぐことのない、鉄の誓いであった。
「わかった、約束だぞっ」
「――御意」
サーベル様は人の上に立つ者らしく気丈に振る舞う。その姿に、一人の少年の成長を感じ、年甲斐もなく胸を躍らせてしまった。
「……そっ、それと約束ついでにこれを受け取ってほしいんだが」
「……?」
サーベル様は少しモジモジしたかと思えば、背中に隠していた小さな包を突き出した。
「たっ、誕生日おめでとうっ……その、これからもよろしく」
「……誕生日……私のですか?」
……たしかに、私の誕生日は今日であったが、まさかサーベル様が把握していたとは思ってもいなかった。
「誠にありがとう御座います。僭越ですが慎んでお受けさせていただきます」
私は一礼し、サーベル様から小さな包を受け取る。
「銀時計……最近壊れてただろ」
「……サーベル様」
まさか、そこまで見てくださっていたとは……本当に父君を越える器を持っているのかもしれなかった。
「たっ、大切にしろよ」
「御意っ」
――この方を守りたい、この方を守り抜こう。
30年前の夜更け。
33歳の誕生日。
……私は改めて決意を固めた。
――鮮血が飛び散った。
それはまるで真っ赤な花弁が散る様に似ていた。
〝何か〟が地面を転がる。
「……眠れ、王国の守護神よ」
「――」
――左腕。
……それは深く皺の刻まれた人の左腕であった。
「冷たき土の上で、永遠にな」
ああ、
刃で斬られるの久し振りだ。
……場違いにも、私はそんな間抜けな感想を抱いたのであった。