第199話 『 月が綺麗ですね、少しお話しませんか? 』
「……」
……午後十時半、部屋の灯りは消され、俺とセシルさんはベッドの上を横になっていた。
(……明日、遂に決勝戦か)
そんなことを考える。俺は緊張のせいで中々寝付けないでいた。
自分でもらしくないと思うが、セシルさんの将来左右すると思うと嫌でも思案に耽てしまう。
大したアイディアなんて思い付きもしないが、刻々と減っていく睡眠時間に焦りを覚えていた。
考え込むとどんどん時間が無くなり、余裕がなくなれなればなるほどに考え込んでしまう。まさに蟻地獄であった。
(……少し気分転換に散歩でもしようかね)
俺はセシルさんを起こさないように物音をたてずに起き上がり、部屋を後にした。
部屋を出た俺は中庭に上がり、芝生の上を歩く。
月光差し込む中庭は幻想的で何だかセンチメンタルな気持ちになった。
「……」
少し歩き、ベンチに腰掛ける。
夜空に浮かぶ満月と星々を見上げる。
瞼を閉じ、風の音に耳を傾ける。
「……………………夜更かしは肌に悪いですよ」
俺は夜空から気配のする方を見つめる。
「――セシルさん」
……視線の先には悪戯っ子のような笑みを浮かべるセシルさんがいた。
「知らないんですか? 月光浴はお肌に良いんですよ♪」
「……初めて聞きましたよ、それ」
「ふふっ、今さっき、思い付きましたからねー♪」
そう笑うセシルさんは無邪気で可愛らしかった。
「セシルさんはどうしてこんな時間にこんな所に?」
「甲くんと大体同じ理由ですかねぇ」
……ということは、セシルさんも明日の試合を意識し過ぎて眠れなかったようである。
些細なことに動じないセシルさんも緊張するものなんだと、俺は少しだけ親近感を抱いた。
「でも、気分転換に散歩してみて良かったです」
「……」
「こんな綺麗な夜空を見たら不安も消し飛んじゃいました♪」
確かにこの星空に比べれば俺達の不安なんて些細なことに過ぎなかった。
「……俺もそう思います。セシルさんと同じ気持ちです」
同じ夜空の下、同じ場所で、同じ気持ちになった。
ただそれだけだった。
(……ただそれだけで)
――俺はそっとセシルさんの手を握った。
「 何だか幸せです……! 」
気の利いたことは言えなかった。
ロマンチックな台詞は思い浮かばなかった。
「この継承戦、何だかんだいって結構楽しかったです」
「……ですね」
セシルさんは頷き、俺の手を握り返す。
「今まで見れなかったセシルさんを沢山見れて良かったです、ここに来て良かったです」
子供っぽいセシルさん。
恐いセシルさん。
女の子っぽいセシルさん。
格好良いセシルさん。
「だから、最後の最後はセシルさんを思いっきり笑わせてみせます」
「はい」
俺の言葉にセシルさんは口許に手を当て可憐に笑った。
「私もとても楽しかったです、甲くんと一緒です」
なんて綺麗な笑顔なんだろう。
勝利の女神とか何度も言ったけどけっして誇張なんかじゃなかった。
「この帰省は失敗の許されない旅でしたが、そんなことを忘れてしまうぐらいに楽しかったです」
「……」
光栄であった。こんな嬉しい言葉なんて他になかった。
「それにお嬢様や愛紀さんの気持ちも少しだけわかった気がしました」
「……ペルシャと姫の気持ち?」
予想外な名前が出てきて俺は首を傾げる。
「二人の気持ちって何ですか?」
「秘密、です♡」
セシルさんは口許に人差し指を当て、可愛らしくウィンクをした。
そんな仕草をされたら二の言葉なんて出てくる筈もなく、俺は言及を諦める。
「…………私、本当は恐かったんです」
「……恐かった?」
……あのセシルさんが?
「どんなに体が大きくなって、とても強大な力を手に入れたって、この屋敷には恐い思い出も沢山ありましたから」
「……」
確かに、セシルさんは幼い頃に兄弟から命を狙われたのだ。トラウマになっていたとしてもおかしくはなかった。
「屋敷に入る前やロザリンドお姉様と話すときだって、少しだけ震えてたりしたんです」
……気づかなかった。気づいてやれなかった。
「――だけど、それは最初だけでした♪」
「――」
明日が決勝戦だっていうのに、
明日の相手は強敵だっていうのに、
――繋がれたセシルさんの手は震えていなかった。
「自信に溢れていて、どんなときもマイペースで、少しだけお馬鹿で……そんな甲くんを見ていたら些細な不安なんて吹き飛んじゃいました」
……とても綺麗な笑顔であった。今浮かんでいる大きな満月よりもずっと。
「この空と一緒ですね♪」
「……ありがとうございます」
自然とそんな言葉が溢れてしまう。何も感謝するようなことをされた訳でもないのにおかしな話であった。
否、おかしなことはない。言われて嬉しい言葉を言ってくれたのだ、ありがとうの一つや二つ間違ってはいない筈であろう。
「……私、今宵のような空が好きでした。ですが」
セシルさんは満月を見上げながら呟く。
「――この旅を経てもっと好きになっちゃいました♪」
……月光に照らされたその横顔に俺は目を奪われた。
儚くて、幻想的で、ただただ美しかった。
「……そうですね」
俺はただ頷く。あまりの美しさに他に言葉が思い浮かばなかったからだ。
「戻りましょうか、甲くん」
セシルさんは俺の手を引くように立ち上がる。
「今ならぐっすり眠れそうな気がしますから」
「……」
確かに、今なら気持ち良く眠れそうであった。
満月の空。
更ける夜。
……暗い雲なんて何処にも見当たらなかった。