第179話 『 潜在能力 』
「……クロ、エ?」
……姿を変えたあたしを前にキャンディはあからさまに狼狽えていた。
「……」
あたしは何も答えず静かに微笑む。
(……あたしの〝奇跡〟は姿や声を変えられても、話し方までは変えられない)
だからこその無言。下手に口を開けば相手のイメージを崩しかねなかった。
キャンディはあたしが偽物だと理解している。
それでもキャンディは人間、それもあたしの半分もいかない程に幼い少女だ。いくら頭で理解していても世界で一番戦いたくない相手といつも通り戦える筈がなかった。
(この様子だとかなり効いてるようね)
あたしはナイフを片手にキャンディに斬りかかる。
「――っ」
キャンディはバックステップで後退する。しかし、明らかに反応が悪かった。
続く二歩目でキャンディに追いついたあたしはそのままナイフを振り下ろす。
「お前はクロエじゃないっ、そんなことをしたって無駄なのっ」
キャンディはナイフを紙一重で回避し、カウンターで拳銃をスカートの中から出し、こちらへ銃口を向ける。
「 お願い殺さないでっ……! 」
――あたしはクロエという女の顔で懇願した。
「――」
……硬直。キャンディは引き金を引けなかった。
「 所詮はガキね♪ 」
――斬ッッッッッ……。キャンディの動きが鈍った隙にあたしはナイフで華奢な肩を切り裂いた。
「――っ!」
鮮血が飛び散る。
「――二撃目ェッ」
しかし、その血の玉が床に落ちるよりも早く、あたしは追撃のナイフを振り抜く。
「それは食らわないのっ!」
キャンディはあたしのナイフを拳銃の銃身で受け止める。
「だったら蹴りィ……!」
――あたしはキャンディの隙だらけな鳩尾に前蹴りを打ち込んだ。
「――ッッッッッッ!」
キャンディは堪らず吹っ飛ばされ床を転がった。
「あはっ、あんたの弱点わかっちゃったぁ♪」
キャンディの読心術には弱点があった。
(……あんたの弱点は――動揺よ。乱れた心では読心術は使えない)
だから、あの程度の前蹴りを避けられなかったのだ。
(あんたみたいなクソガキの心を乱すのなんて、プロのあたしなら簡単に出来るのよ)
確かに素の戦闘力ならキャンディの方が優れていた。
――しかし、これは決闘ではなく殺し合いである。
純粋な戦闘力だけで強さは語れない。環境・作戦・運で勝敗は簡単に覆るのだ。
(プロのあたしにあって天才のあんたに無いもの――それは経験値よ)
人生経験が浅いから簡単に動揺するし、自分や物事の本質が見えなくなる。
「案外脆いものね、天才とやらも」
あたしは留目を刺すべく、両手にナイフを握ってキャンディに襲い掛かる。
(片方はただのナイフ、もう片方は猛毒を塗ったナイフ。だけど、今のあんたには読みきれない……!)
世界で一番戦いたくない相手を前に平常心でいられる筈がなかった。
「これでお仕舞いィッ!」
二本の凶刃がキャンディに襲い掛かる。
「 もう慣れた、なの 」
――蹴ッッッッッッッッッ……! あたしは顎を蹴り上げられ、空中へ打ち上げられた。
「――ごがっ!?」
「クロエは死んだ、もういないの」
あたしは空中で体勢を立て直し、二本のナイフをキャンディに投げつけた。
(猛毒ナイフさえ当てられればあたしの勝ち
「――ふーん、ナイフに毒を塗っていたんだなの」
座 標 転 位
――二本のナイフがあたしの両肩に突き刺さった。
「――なっ!?」
……あたしとキャンディの位置が入れ替わったていたのだ。
(馬鹿なっ、有り得ないっ!?)
キャンディの〝奇跡〟は読心術だ。ならば位置の入れ換えは二つ目の〝奇跡〟ということになる。
「――っ」
猛毒が体を蝕み、あたしは堪らず床に膝をついた。
「……あたしがっ、こんなガキに遅れを取るなんてっ」
予想外なことが二回起きたのだ。
一つはキャンディの精神の急成長。
一つは〝奇跡〟を二つ持っていたこと。
(……二つの〝奇跡〟を持っているなんて、まるで〝神の子〟じゃないの)
全ての人類の0.00000002パーセントの存在。それが目の前にいたのだ。
「……キャンディは一分一秒成長しているの」
薄れ行く意識の中、キャンディの声が聞こえてくる。
「貴女の汚い手はキャンディには二度と通じないの」
身体と意識が落ちる。
赤いカーペットの敷かれた廊下が迫ってくる。
「 何故ならわたしの名はキャンディ=シロップ。二番隊隊長にして〝王下十二臣〟の一人、そして 」
真夜中の廊下。
人形のように美しい少女に見下ろさる。
「 最も潜在能力を秘めた戦士だから、なの 」
……クソッたれ。薔薇はそう呟いて無様に散った。