第145話 『 敬愛なる姉、寵愛なる妹 』
……当たらない。
「 〝雷閃〟ッ! 」
……どんなに迅く刃を振るっても、
「 〝嵐斬り〟ィッ! 」
……どんなに激しく刃を振るっても、
「 〝嵐摩〟ァッ……! 」
……届かない。
まるでその掌の上で転がされるように、拙の動きを読まれ、全ての攻撃をいなされる。
〝嵐摩〟による舞い上がる粉塵。
拙は粉塵に紛れ、背後から斬りかかる。
後 殺 刃
「――見えているぞ」
――しかし、届かない。姉上は容易く刃を刃で受け止める。
「嘗めるなァッ!」
葬 刀 九 連
拙は間髪容れずに高速九連斬を繰り出す。
「――〝凪〟」
――姉上は息を吐くように容易く迫り来る刃を捌き切る。
「拙より弱いくせに! 破門されたくせに! 落ちこぼれのくせにィッ!」
風 摩
拙は回転斬りを繰り出し、姉上は身を屈ませて回避する。
「何で優しくするの! 何で本気で殺しに来ないの!」
姉上の下段蹴りが拙の足を払い、バランスを崩す――が、拙は宙回転で転倒を回避する。
「拙は姉上の居場所を奪ったのに! 今までだって散々酷いこと言ったり、酷いことをしてきたのに!」
拙は宙回転からそのまま回転踵落としを繰り出す。
「拙が憎くないの! 拙を恨まないの! 拙は姉上の居場所を奪って、今も大切なものを奪おうとしているんだよ!」
姉上は踵落としを腕で受け止める。
「答えろッ! クリス=ロイスッ……!」
「……っ!」
姉上がは腕を振るって拙の脚を弾き、拙は後方へ跳んで距離を取る。
「……」
「……」
両者無言で睨み合う。
「……私はフェリス、お前が思っているような強い人間ではない」
姉上は刃を下ろして、拙の問い掛けに答える。
「厳しい稽古に何度も挫折しそうになったし、フェリスを妬むこともあった」
暗い過去を思い出したのか姉上の表情は物憂げであった。
「だけど、心の底からお前を憎むことは出来なかったよ……だってお前は、フェリスは私の大切な妹だったから」
「……っ」
姉上の魔力は既に底をついていて、頼みの綱である〝深心神威〟も発動限界を越えていた。
勝機はまだ残されていた。身体は思う通りに動かなくなっているものの、手足は動くし、魔力も残っていた。
「愛していたよ、フェリス=ロイス」
「……姉上」
――何故だ?
身体は動くのに、姉上に勝ちたいという思いはあるのに、拙の中にある闘志の炎が弱々しく揺れていた。
(……あんなに負けたくなかったのに……あんなに打ちのめしたいと思っていたのに……何で今更になって迷っているの?)
――拙は握っていた剣を地面に落とした。
「お前が私を心優しい姉だと過大評価するのとは反対に、お前は自分のことを過小評価している」
「……そんなこと」
姉上は剣を鞘に納め、歩み寄る。
「お前はお前が思うより性格は悪くないし、人に優しく出来る人間だよ」
「……そんなことっ」
「あるさ、実の姉である私が保証する」
姉上は既に拙の目の前にいて、真っ直ぐに拙の瞳を見つめていた。
「私にとってのフェリスは少し頑固で素直になれない可愛い妹……ただそれだけなんだ」
姉上の指が拙の瞳の下をなぞる……姉上のその行動から拙は初めて自分が泣いていたことに気がつかされた。
「やっとお互い素直に話せた……長かったよ、誰よりも長く一緒にいたのにこんなに時間が掛かってしまったな」
どうしてこんなに屈折してしまったのだろう?
昔は本当に仲の良い姉妹だったのに、いつから変わってしまったのだろう?
――痛いよぅっ、お姉ちゃんっ
……転んで膝を擦りむいて大泣きする少女。
――はははっ、フェリスはお転婆だなぁ
……そんな少女を宥めながら、傷口にハンカチを当てる姉上。
一緒に海に行った。
一緒に山に行った。
町で買い物をしたり、お祭りにも行った。
お花畑で追いかけっこをしたり、おままごとをしたりもした。
食事をするときも、お風呂に入るときも、寝るときもずっと一緒だった。
(……そうだ、拙はずっと姉上と仲良しでいたかったのだ)
しかし、ロイスの家系がそれを許さなかった。
男児が生まれなく、拙か姉上が当主にならなければならなくて、二人は闘争を義務付けられたのだ。
……気づけば、拙と姉上は心も体も離れ離れになっていた。
(拙はそんなこと、望んでいなかったのにっ)
ずっと仲良しでいたかった。
ずっと遊んでいたかった。
(……拙はずっと後悔していたんだ)
姉上を傷つけたこと。
姉上との思い出を踏みにじったこと。
――たった一つの言葉を言えなかったこと。
……それが拙の後悔であった。
「……お姉ちゃん……わたし、ずっと言いたかったことがあるの」
「……いいぞ、好きに言えばいい。私はちゃんと聞くから」
――わたしは姉上に抱きついた。
「 ごめんなさい 」
ずっと伝えたかった言葉。
ずっと伝えられなかった言葉。
「……今まで酷いこと言ってごめんっ……今まで沢山傷つけてごめんっ……ごめんなさいっ、お姉ちゃんのこと大好きだったのに、ちゃんと伝えられなくてごめんなさいっ」
「うん、知ってる。知ってるよ」
お姉ちゃんがわたしを抱き締めてくれた。それだけでわたしの胸の中の空白は埋まってしまった。
「ごめんねお姉ちゃんっ、本当にごめんねっ」
「許すよ、だって私はフェリスのお姉ちゃんだから」
大粒の涙を流しながら謝り続けるわたし。そんなわたしを優しく抱き締めるお姉ちゃん……世界はただただ温かかった。
「お姉ちゃんっ、大好きだよっ、お姉ちゃーんっ……!」
「ああ、私もだよ、フェリス」
……わたしは泣いた。子供みたいに泣いた。
涙なんて何年も流してなくて、てっきり涸れてしまっていたものと思っていたのに……。
世界はわたしが思っていたよりも優しくて、酷しく見えたのはわたしが頑固なだけのようであった。
少なくともわたしにはクリス=ロイスがいた。
優しくて、強くて、妹想いな格好いい姉がいた。
それだけで十分であった。
……それだけで、わたしはこの過酷な世界で笑うことが出来たのだ。