消える灰色。動き続ける白と黒。
「ここも収穫なし、か。」
黒髪の少年チーフは深くため息をつき、すとんと混凝土の瓦礫、人類の栄華の残骸に腰を落とした。チーフはおもむろにガラスの抜けた窓の外を眺め、殆ど空になった水筒をぐいっと押し上げて底に溜まった雪解け水を一気に喉に流し込んだ。
チーフは空になった水筒を逆さにしてしゃかしゃかと振り、一滴だけ水が垂れたのを見てまたため息をついた。
外では、ここら数ヶ月止むことを知らない雪に晒されながら、人が消えたビル群が灰色一色の廃れた彩りを放ちながら、ただじっと其所で自らが崩れゆくのを待っていた。
「今日も、ご飯ないの?」
「……あぁ、そうみたいだ。」
白色猫のマーシーがチーフの視線の先、窓の縁にちょこんと座って、か細い声を漏らした。というのも、チーフたちはこの衰退した町を徘徊しては食糧はないものかと建物を物色して生活しているのだが、ここ三日間はろくに食事にありつけていないのだ。
虫や動物はたまに見かけるものの、チーフに狩りをする技量や知識など無いし、第一狩りに使えそうな物がない。虫は食べても腹が満たされない上、ちょくちょく毒を持っている奴もいたから、それからはチーフたちは虫を食べなくなったのだった。つまり、この廃墟の町の残骸の中からいつか尽きるであろうが保存食などを見つけ出さなければ、チーフたちに未来はやってこないのだった。
とはいえ、チーフたちは三日間飢えた程度で未来への望みを捨てたわけではない。この町は巨大で、いくら歩いても出口は見えないため、この中を探し続ければいつかは食べ物も見つかるだろう、そうチーフたちは推し量っているのだ。そういった、運とやらにすがり付くような、しかし彼らは何処か確信を持ってその足を今日も今日とて踏み出していたのだった。
チーフはごろりと地面に敷いた絨毯の上に寝転び、リュックサックを枕に瞼をとじようとした、その時、マーシーがさほど大きくはなく、けれどしっかりとした音色で声をあげた。
「旦那さん!あれ、見て。」
「ん?」
マーシーが指差す先には、宙を浮く毛の塊があった。
はは。幻覚というやつか、とチーフは思った。なんせ極度の飢えに身を焦がされているチーフたちだ。おかしな幻覚が見えても可笑しいことはない。しかしチーフは再び眠りにつこうとして、飛び起きた。
毛の塊だと思っていた物はよく見ると巨大な尻尾であったのだ。また、浮いていたのではなく大きな猫が歩く最中、尻尾をぱたんぱたんと揺らしていたのであった。
チーフは自分の目を疑った。本当に幻覚か?あまりに現実的すぎやしないか?チーフは飢えで朦朧とする頭を必死に回転させたが、結局答えはでなかった。チーフはまだ少年で知識も大人に比べたら貧弱かもしれないが、あんな巨大な猫がいるわけない、ということくらいは分かる。
「なんだあれ!?」
マーシーはぴょんっと窓の縁から飛び降りて、建物の外へと巨大猫を追いかけていってしまった。チーフはそんなマーシーを追いかけるため、すぐさまリュックサックを背負い、丸めた絨毯を抱えて走り出した。チーフにとってマーシーは唯一の友人だった。そしてチーフの頭の中には、このままではマーシーと離ればなれになってしまう。なにかがマーシーを連れていってしまう、という突如として現れた不安が渦を巻いていた。その不安は何処から来るものか、チーフには分からなかった。ただ、何故かそんな予感がするのだった。
チーフは雪に足を埋めながら、一面雪化粧の中マーシーの姿を探した。
「どこだー!マーシーーー!!」
息も切れ切れになった頃、我にかえったチーフは、マーシーの足跡を辿ることを思いつき、吹雪に凍えながら、辿々しい足取りでざくざくと雪上を歩いた。
その途中で、あることに気づく。
先程窓から尻尾を覗かせた巨大猫の足跡が、ない。やはり幻覚だったのだろうか。チーフはそんなことを考えつつ、マーシーの足跡を追って歩き続ける。人の消えた世界で、唯一の友達であるマーシーを探して。
「マーシー!」
チーフはマーシーの姿が見えるとすぐに駆け寄った。当のマーシーは気にもせず、ただちょこんと座って一点を見つめ続けている。見つめる先は、比較的ここらでは低めのビル、その屋上だった。勿論、ボケて何もない屋上を見つめているわけではない。3階建ての混凝土建造物、その雪が降り積もった屋上の上で、白い顔に灰色のぶちが特徴的な、車ほどはあろうかという巨大な猫が埋もれることもなく雪上に立っているのだ。チーフは巨大猫と目が合い、どきり、と心臓を鷲掴みにされたような気分になり立ち尽くしてしまった。あれはこの世のものではない、とチーフは察した。
その後巨大猫は、魂が抜け落ちたかのように立ち尽くすチーフの顔をじっと眺め続けたが、暫くしてからその目をゆっくりと閉じた。それが何を意味しているのか、チーフには分からない。分からないが、兎に角チーフはその仕草は敵意がないことの証だろう、と勝手に納得することにした。
チーフは首に巻いていたマフラーを外し、マーシーに巻き付ける。
「さっきいたとこに、帰るぞ。」
チーフに抱き上げられたマーシーは言葉を返さない。ただチーフの方を向いて、にゃーと鳴くのだった。
この後も、話は続く。
爪が伸びる速度より遅く、されどたしかに世界は動く