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第8話 決戦、その行方。

今日一日そこらじゅうの人々や動植物をこれでもかと照らし続けた太陽は、すっかり役目を終えご帰宅モードへ移行する時間となっていた。

夕暮れ時というのは何故こうも無条件に物悲しくなるのか、そういつもは思っている小百合なのだが、今日は少し違った。

いや、だいぶ違う。

まだまだこれからが重要な時間なのだと気を引き締めた。


「そろそろ担任の先生いらっしゃるかなあ〜?」

フリルがふんだんにあしらわれた純白のエプロンをひらつかせ、せわしなくそわそわとした様子の真百合さんは言う。


とてもこれから家庭訪問が行われるとは誰も思わないであろうその格好。まさか…と、何通りもの真百合行動パターンを頭に巡らせていると、インターホンが通常通りの音色でリビングを満たした。


その音が身体に染み入ると共に、緊張の糸がピンと張った。

まるで大物がかかった釣り糸さながらに今にもちぎれそうだ。

ふぅっとひとつ息を吐き、真百合と一緒に玄関に向かう。


「今年もやってきたね〜楽しい家庭訪問タイムが♪」

何もかもぎこちない小百合とは対照的に、言葉からも溢れてくるぐらいに楽しげな真百合。強者だ。


玄関へと着き改めて気合を入れ直した所で、こちらからドアを開けるのも待たずに玄関に外の少し冷えた空気が流れ込んできた。

「ただいまー」

開け放たれたドアから飛び込んできたのはいつもの声。

千百合(ちゆり)だった。

はぁー、と小百合の口からため息が漏れたのを千百合は見逃すはずもない。

「小百合ちゃん、せっかくのお母さんの帰宅にそれはないじゃないかー」

その言葉とはあべこべに、口元には笑みをたたえていた。


すると、千百合の背後からぴょこっとこちらも見慣れた顔が覗いた。

「あの〜こんにちわ〜」

両手に何故かスーパーのビニール袋を持って、ゆらゆらと揺れているのは担任の明乃(あけの)先生。

買い物を挟んで家庭訪問とはなんともほんわかしすぎじゃないかと思ったのも束の間。


「あぁ明乃先生はうちでご飯食べて行くって事で」

千百合はさらりと言う。


?????????????????????????????


もはや最近怒涛の日々で使いすぎていた在庫不足気味のクエスチョンマークだったが、それでも惜しげもなく頭に浮かぶほど訳がわからない。

この状況を適切に処理しようととりあえず自分の世界に入り込もうとするが、間髪入れずに2人は畳み掛ける。


「明乃先生と家庭訪問の事を話してたら、うちが最後だって言うもんだから、それじゃあそのまま…って感じで、ねえ?」

「千百合先生ってばお話が上手なんですもの〜、すっかり乗せられて、じゃあお言葉に甘えてって…ねえ?」


何が「ねえ?」なのか。

2人ははたから見れば女子高生のノリの様な、そんな風に経緯を説明した。

よくよく考えなくても家庭訪問の流れでお食事会なんて、とも思ったが、明乃先生のぽわぽわ具合と千百合の包容力をもってすれば当たり前の範疇なのかもしれない。そう謎の納得をしてしまう。


「はいはい♪とりあえずあがってください♪」

しかしながらこの状況下でも動じない真百合はやはり強者だ。

そのたわわに実った二つの膨らみに、身に降りかかる全ての喜怒哀楽を包み込んでいってるんじゃないかと、小百合は冗談半分に考察していると、明乃先生の後ろにまた他の何かが視界に入っては消えて入っては消えてを繰り返しているのが見えてしまった。

今日は見慣れたものしか見てはいけない縛りプレイなのかもしれない。もはや新手のドッキリ企画。

小百合は驚く事をやめることにした。


「ヤッホーさゆりーん!」

ぶんぶんと、両手に(たず)さえたスーパー袋をちぎれんばかりに振り回す少女、「元気」を具現化した少女、神倉時音(かみくらときね)が踊っていた。


脳の処理能力をわざと落とした所だったので、もう何も怖くない。いやそんな訳はない。怖い。


このカオスな状況を誰か説明してくれと、藁にもすがる思いで願ったその時だった。


「本当にすみません!騒がしくしてしまって…」

たいそうかしこまった姿で頭を深々と下げる少女がひとり、時音の背後からささっと流れる様に現れた。

陽の光が弱まってきた時間帯にも関わらず、その長い銀髪がなびくたびにきらついている。そう、もちろん瀬野明日香(せのあすか)だ。

「ほら!神倉さんも頭を下げてください!」


そう言って時音に肘をコツコツと当てて謝るよう促すが、当の本人はお構いなしに家へと入ろうとしている。


かの有名なロシアの民芸品マトリョーシカの如く次々と飛び出してきた3人に対し、何がどうとかこうとかとてもおもえる様な余裕など小百合にはとっくに無かった。


そのたじろいだ心情を察してか、頭をようやくあげた明日香はそれでもまだ控え目に丁寧に言葉を繋ぎ始めた。


「実は先ほどおっしゃっていた明乃先生と赤井先生の会話を神倉さんが聞いていたらしく、そうしたら手がつけられないほど興奮しちゃって、あれよあれよで今に至ってしまったという具合なのです…」


端的だがそれでもわかりやすい。

というのも、その光景が手にとる様に分かってしまうからだ。それほどに時音の爆発力は凄まじい。


家庭訪問自体はなる様になれという精神で立ち向かおうと決心していた小百合だが、こうなるとまた話は別だ。


いったいこれからどういう展開を見せるのだろうか。

目の前にいる愉快な人達を見渡しよくよく考えると、これまでの人生がいかに静かなものだったかと思い知らされる。


高校生活がスタートしてから1ヶ月と経っていないのにこのわちゃわちゃ感。確かに疲れを感じないと言ったら嘘になる。しかし、小百合の中にはそれ以上に満たされる幸福感があった。


「それではお邪魔します♪」

明乃先生のほんわかな挨拶で現実に舞い戻った。


リビングへとぞろぞろと向かう光景は未だかつて赤井家には無かったものだ。

千百合と真百合に案内され、明乃先生がリビングでちょこんと正座する。


「じゃあ私達はこっち!」

その声と一緒にして、時音はなかば強引に明日香の手を引いてソファにどーんと腰掛けた。

あまりの勢いに互いの金と銀の髪が乱れ舞い、綺麗に混じり合っている。リビングの暖色系の灯りに照らされたそれは、いつにもなく不規則な輝きを放っていたが、同時にいつにもなく美しい様だった。

もちろん明日香は時音を少し語気強めに、それでも上品さは存分に留めて叱っていたが、そんな事もどうでも良くなるほどに、2人の光まばゆい可憐さに目を奪われた。

2人を収めた小百合の視界は間違いなく周囲よりも明るく、

オーラというものはこの事だと今はっきりと理解した。


「ほら小百合、早くこっちに座りなさい」

リビングの入り口ですっかり立ちすくんでいた小百合に手をひらつかせうながす千百合。

最近ぼーっとする事が増えたと自覚はしている。


リビングのガラステーブルを挟んで対面する形で明乃先生。そして赤井家3人は小百合を真ん中に、ぴったりくっついて並んだ。

そんなにぴたりとせずとも良いじゃないかと内心思った反面、不思議とそのおかげで家庭訪問の緊張が少しばかりほぐれていく気がした。


赤井家3人が座ったその背後のソファには、輝きを放つ2人の少女が、今のところ落ち着いて座っている。

どうやら明日香がねじ伏せたらしい。


なんとも意味が理解し難い構図ではあるが、一応家庭訪問の準備は整った、らしい。

明乃先生の顔をさっと一瞬覗いた所で、ちょうどその口が開かれた。


「さて、とりあえずよろしくお願いします♪」

ぺこりと頭を下げた先生に、小百合はぺこぺこと数回お辞儀をした。どうにも会話や対談は慣れないのでぎこちない。


「そんなにかしこまらないで良いですよ♪聞きたい事はちょっとしか無いので♪」

この全てを包み込んでくれるかの様な安心感は真百合にも負けずとも劣らないかもしれない。

鼓動を打つ速さが次第に落ち着いてくる。


両隣に座る千百合と真百合をすっと見上げてみると、真っ直ぐに明乃先生を見据えていた。

普段の優しく明るい2人の表情そのままなのだが、その中には母親としての真剣な眼差しが隠れている様に見えた。


母2人のその顔を見ると、自然と拳にぎゅっと力が入り、決意が固まった。よし!


「まだ入学してから1ヶ月近くしか経っていませんが、その中でも一番初めの1週間、小百合さんはかなりかな〜り固かったですね〜♪」

ほんわかした性格の明乃先生は意外にも初手から容赦が無い。しかし確実に的は射ていた。

幼馴染の桃子頼りに狭い世界でいつも通り暮らしていこうと、決心するまでもなく流れに身を任せて過ごそうとしていた。

それが赤井小百合の生き方マニュアルなのだから。

誰に気を使う事もなく、誰を傷つけるでも誰からも傷つけられる事もなく、ただ平坦になだらかに桃子と過ごせればいいと思っていた。


改めて振り返ってみると、母達に過剰な心配をさせるのも(はなは)だ無理もないほどの消極的な生き方じゃないか。小百合の脳内に後悔の念や情けなさ、不甲斐なさがまぜこぜとなった濁流が流れ込んでくる。

その濁りが満たされていくにつれ、握った拳にじめりとした嫌な汗がにじんでくる。


明乃先生の言葉が次第に耳に入ってこなくなってきた。

家庭訪問というのは案外自分を見つめ直すのに良いものなのだなと、痩せ我慢にしては少し頼りない言い訳で耐えていたが、ふと手もとに視線を落としてみると、力強く固まった岩の様な両拳を優しく包み込む手があった。

千百合と真百合、それぞれが手を握ってくれていたのだ。


自分の世界に沈み込んでいたせいか気付かなかった。

その温かな2人の手は、それだけで小百合をなだめる事ができる万能なものなのだ。


「でもね小百合さん♪」

しっかりと気を持ち直した所で明乃先生の言葉の質が変わる。家庭訪問を通していつもの朗らか柔らかな先生だったのは間違いないが、それまで以上に温かい。


するとすっかり体の力が抜けた小百合の両肩に、またも温かな感触が二つ、そっと置かれた。


声は無いが、明日香と時音の温もりだけで心にさらに平穏が訪れる。


明乃先生はそのまま、とびきりの笑顔で続けた。

「今はね、こうやってお友達も出来たし、なんてったって2人の心強いお母さんがいるのだから、先生は安心ですよ♪」


その言葉が響いたリビングに、突然に光が差し込んだ気がした。もちろん既にだいぶ陽が傾いているため実際はそうでは無いのだが、小百合の目にはそう映ったのだ。


「はい♪それでは面談は終了です♪」

ぽんっとひとつ手を打って、目に見えない空気をガラッと先生は変えてしまった。


「え!?もう終わりなんですか?」

あまりのあっけなさにようやく言葉を発した小百合だったが、急な発声でなんとも情けなく弱々しい声が漏れた。


「だって小百合さんが幸せそうに生活できている、それだけで十分先生は満足ですよ〜♪」


確かにその答えを表す様に、先生の顔には純度の高い笑顔があふれている。

明乃先生に対しての信頼度がうなぎ登りをみせ、尊敬の念がじわじわと感じられてきた時、ついにあれが爆発した。


「よっし!じゃあパーティしよ〜!!!」

今の今まで静かにしていたのは、やはりこの為だったのか。時音は高々と右手を突き上げて宣言した。

よくぞ大人しくしていたなとも思いたかったが、せいぜい5分程度しか経っておらず、高校生ともあれば当たり前の事だろう。


「でも…まあいっか…」

そんな時音を見ていたらようやく完全に力が抜けた小百合。

今日の難関ミッションをクリアした身には些細な事であり、いささかどうでも良かった。

普段から慣れていたこじんまりとした正座の姿勢だったが、カチコチと固まった身体には少し窮屈で、行儀は悪いが足をピンと伸ばしているとポケットにしまっていたスマートフォンがブルブルと震えだした。

「あ、桃子からだ」

通知画面には、この場に最も居そうな、というか居て欲しかった人物の名前が映し出され、各自食事の準備を始めているのを横目に廊下へと抜け出した。


スマートフォンを握る手は汗もすっかり乾き、操作するのもスムーズだ。

「お疲れ様小百合♪、どうだった家庭訪問は?」

桃子の声色(こわいろ)からすると、その顔にはうっすらとにやつきが浮かんでいそうだった。面と向かっていたらおちょくるのはやめろと襟元をつかんでぶんぶん揺さぶっていただろう。

「どうもこうもないよ〜…なんで瀬野さん達と来てくれなかったの〜?」

結果的には乗り切ったのだが、桃子が居てくれていたらまた違っただろう。頼れるお姉さん(同級生)だから。

なよなよとした声で心の声をぶつけてみると、ここは一枚も二枚も上手の桃子、いつもの通りすっきりと言い放つ。


「そういう事だから同席しなかったんだよ♪」

「小百合は絶対私に頼ろうとするから」


もはや第三の母親の域に達しつつある発言。

図星を突かれ、小さく苦笑が漏れた。


「ははは…はぁ〜…あ、今から食事会するそうなんだけど」

心の中まですっかり見通されていた気恥ずかしさを紛らわすために、コロリと話の方向を変えてみるが、どうもこの事も知っていたそうで、今からこちらに向かうとの事だった。

おそらくは母や時音達から聞いていたのだろう。

明日香や時音が居るこのイレギュラーな状況以上に不可思議なものではない。


通話を切り真っ暗になったスマートフォンの画面を見つめると、疲れとは裏腹に少し口元が緩み笑みが浮かんでいた。


「さて、食事の準備手伝わないとね」

ぽつりと自分にだけ聞こえる声で言うと、軽い足取りでリビングへと歩き出す。


小百合はすっかり忘れている。


第二ラウンドの幕開けだ。

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