第4話 嵐の予感?
カーテンのすきまから漏れる朝日が、まだ眠るべきだと訴える脳に対して揺さぶりをかけてくる。
重力に逆らってまで身体を起き上がらせて何のメリットがあろうかと、寝起きの小百合はいつもより理屈っぽくなっていた。
両隣に目を向けるが誰もいない。どうやら母達はもう起きているらしい。
私もそろそろ起きるかと、まだ動きたくないと言っている身体に鞭を打ったが、どうも右腕が言うことを聞かない。
おそらく、というより確実に、真百合が抱きついていたからだ。起きている時の真百合といえば、おっとりながらも抜けているところがほとんど無い、エクセレントなママなのだが、一旦夢の中に入ってしまうとどうも甘えん坊な真百合お嬢さんに変身してしまうのだ。
可愛さが重量オーバーなのではとも感じるかもしれないが、真百合だからこそ、これほどまでの愛らしさはあって当然だとも思えてしまう。
右腕の痺れがなかなか取れないが、寝ぼけたままの頭のエンジンを温めるために、さっとカーテンを開ける。
起床して間もない小百合には持て余すぐらいの日射しが目に刺さる。あまりの眩しさに、まぶたが閉じよう閉じようとくっつきそうになるが、そこをグッと我慢して出来るだけ光を取り入れた。
そのおかげか、ようやく頭が冴えてきた。
千百合達の部屋から自室に戻り、まだ着慣れない制服を四苦八苦しながら身にまとうと、カバンを手にしてリビングへと向かった。
リビングへ足を踏み入れた瞬間に、甘い甘い香りが全身を包んだ。真百合が昨日から漬け込んでいたフレンチトーストの香りだ。
「おはよう♪」と、同時に母2人からの挨拶を貰い食卓につくと、まるで小百合が来るタイミングを見通していたかの様に、朝食の載ったお盆を真百合さんが運んできた。
厚切りの食パンで作ったフレンチトーストは、ことんと静かに机に置かれたにも関わらず、確かにぷるんと揺れた気がした。
「ぐっすりと眠れたようだね」
屈託のない笑顔で千百合が語りかけてきたので、こちらはとりあえず用意した笑顔で返した。昨夜の事を気にかけているのは自分だけらしい。大人としてやっていくにはチャンネルの切り替え速度が重要なのかもと、単純にもそう思った。
赤井家の朝食の時間はいつもゆったりと進む。
テレビから流れるニュースや今日の天気、学校で何があるかなど、話の着地点を考えずにしゃべる。そういうスタイル。
フレンチトーストを一切れ一切れ口に運ぶたびに、尽きる事がない話が朝食を彩っていった。
「さて2人とも、そろそろ家を出た方が良いんじゃない?」
口の中に広がる幸せな甘みを噛みしめていたら、この先の事などどうでも良くなっていた。真百合の忠告で我に帰る。
残りのブラックコーヒーをひといきで流し込む。フレンチトーストの風味が加わり程よい苦味になるのが好きなのだ。
カバンを片手にスマートフォンを取り出してみると、桃子からのメッセージが数分前に届いていたという通知が。
行ってきますを言い終わる前にリビングを飛び出すと、とても華の女子高生とは思えぬ落ち着きのなさで玄関を出る。
行ってきますのチューは無いの〜?と、背中から聞こえた気がするが気にしないことにした。
「遅いぞー小百合」
家の前には、もう待ちくたびれたよと言わんばかりに、つけてもいない腕時計をトントンと叩く桃子が立っていた。
ごめんごめんと手を合わせ、それでもまだ遅刻とは程遠い時間だったので、肩を並べゆるりと歩き始めた。
学校への道中は、もっぱら昨日の部室での爆弾発言の件で持ちきりだった。
結局家に帰ってからもそれ絡みのいじりが止まる事もなく、これからも母達の良いおもちゃになりそうなのは想像に難くない。
この責任をどう取ってくれるんだ!と、ずいずい迫る事で、とりあえずの落とし所として1週間購買でコーヒー牛乳を買ってくれる運びとなった。しめしめである。
この条件を引き出した頃にはちょうど学校の玄関にたどり着き、靴箱には学校指定の黒のローファーが7割がた投げ込まれていた。
2、3年生は左手に、1年生は右手にと、ぞろぞろと教室に向かって行進している。
2人も集団の中に紛れてトコトコと歩いて行った。
小百合と桃子が属している1年A組は北校舎2階の一番端にある。端と言ってもB組と空き教室が他にあるだけで、それほどの距離は無い。
B組を通る際、ちらと横目で見てみると、入学して1週間と経ってないからかそれぞれ友達になったばかりの人とぎこちない会話をしていたり、まだ手探り感ばかりが所々に転がっていた。
私も何かアクションを起こすべきなのかな、とも小百合は時々考えるのだが、思うだけで終わるのがいつもの流れだ。とりあえずは様子を見ようの一点張り。受け身系女子だ。
A組に着くと、ここもまたB組同様の雰囲気が漂っていた。桃子が教室前側のドアに手をかけてガラリと特に気を遣わず開けると、数人がこちらの方に目を向けたがすぐに視線を元に戻した。よくある光景だ。
桃子の後をついていく形で席まで歩いていると、持ち前のお姉さん力やコミュ力を駆使して挨拶を交わす桃子が別次元の人間に思えてくる。
そんな桃子の影になりながら、ようやく自席の近くまで来ると、雲ひとつない空からこれでもかと照らされる太陽光を受けて、まるで自ら発光しているかの様に輝く銀髪の少女が1人。瀬野明日香がピンと背筋を伸ばして本を読んでいた。
文庫本を片手に座る様は、どこぞのお金持ちの家に飾ってある彫刻作品をも思わせる優雅さで、一度もっていかれた視線がなかなか他のものに移らない。
そのまま吸い寄せられる勢いですぐ隣を通ろうとすると、一瞬、本に注がれた視線がこちらを貫いてきた気がした。
焦って、誤魔化したつもりで誰もいない自分の席や窓の外に目をやる。本当に不格好で不器用だ。
それでもどうにかこうにか席に着く。
桃子は知らぬ間に明日香と挨拶を交わしていたらしく、既にカバンの教科書を机の中に丁寧に入れている最中だった。
登校というひと仕事を終え、心の中でひと息つくと少しばかり余裕が出てきたのでもう一度、今度は後ろから明日香の様子を窺うことにした。
椅子の背もたれにかかる銀色の髪は、明日香の動きに合わせて一糸乱れず波打っている。母方の祖母が外国の血を引いているそうで、生まれ持ったこの髪の美しさは本当に素敵だ。
爪先までよく手入れが行き届いている指でふわりとその髪をかき上げると、可愛らしい耳がぴょこっとのぞく。
本を読んでいるだけなのに、人はここまで気品を溢れさせることが出来るのかと感心していたが、んん?と、明日香の机のふちにきちっと沿って置いてあるシルバーの缶のペンケースにふと目が止まった。
小百合が持っているペンケースと同様に目立った装飾が無いのだが、ひとつだけ、本当に小さなひとつだけの違いがあった。
ペンケースの側面の隅に、小指の先の大きさほどのシールが貼ってあるのだ。
おそらくペンギンをアニメ調にデフォルメしたキャラクターがデザインされたシールのように見える。
あまりに小さいため、小百合は目を細めてその答えの軌道修正を図るが、たぶんそれで正解だろうと結論づけた。
ギャップ萌えというものだろうか。容姿端麗で隙のない人が、こうも可愛らしい一面を見せるだけでポイントがググッと急上昇するのはなんとも反則級の所業だ。
小百合は影の者である自分と明日香を比較して、持つ者と持たざる者はやはり小さな事でも違うなあと、少し卑屈になった。
さてそろそろ桃子と談笑でもするかと、ちょこんと貼られたペンギンのシールから視線を真正面に戻そうとした時だった。
ガララララ!…バン!!!
と、一体全体何が起こったんだと誰もが思うだろう音に、クラス中の興味がその発生源に向いた。
勢いよく開け放たれたドアから響いた音、その中からスラッとした、さながらモデルの様な高身長の生徒が現れた。
ぱっと見で明日香よりは少し短いだろう髪、それも光そのものなのではと思える輝く金髪をなびかせ、ずいずいと教壇の上に上がるとそのまま教卓の前で立ち止まった。
両手をぶわっと広げ、開口一番に言った。
「みんなーーー!!!おっはよー!!!」
ここは売れっ子アイドルのライブ会場かと惑わせるほどの威勢の良い声で挨拶を告げると、先ほどまで各々会話だったりやり残した宿題を片付けるのにガリガリとシャーペンを走らせていた人達などでばらばらだったクラスの空気が一変。
注目を体いっぱいに集めた少女に笑いやツッコミが浴びせられる。間違いなく教室の空気がぱぁっと明るくなった。
それからも、歩くたびにすれ違うクラスメイトに同様のはじけるテンションで元気を振りまきながら窓際の列にやってくると、そのままこちらへと跳ねる様に近づいて来た。
「おっはよ〜あすにゃ、こもも、そしてさゆりん♪」
手をひらひらさせて、砕けに砕けた挨拶を3人にぶちかますと、小百合の前の席にガシャンと座った。
あすにゃ、こもも、さゆりん…
もちろん小百合達のニックネームである。安直なもので、おそらく考えた案の一つめでそのまま脳がゴーサインを出してしまったんだろう。
小百合はその金髪の少女、神倉時音の独特かつ単純な思考回路にまだついていくことが出来なかった。
小百合とは正反対、陽の当たっている方の人間である時音。
見た目はまさしくギャルそのもので、今のご時世では珍しいルーズソックスを履いているぐらい筋金入りだ。
しかしながら意外にも、といったら失礼かもしれないが、その金色の髪はパーマなどの細工が為されておらず、明日香にも引けをとらないくらい真っ直ぐでさらりとしている。
前髪を分けている大きな髪留めは、派手な飾りなどついていないシンプルな黒一色で、金髪との対比が見事だ。
「ギャル」とひとくくりにまとめてしまうのは少し違う様な、小百合は出会って1週間と経っていない時音の分析をまだまだ続けていた。
「神倉さん、そのあだ名はやめてくれますか?」
時音の軽い軽い挨拶に、明日香は本への視線を決して外すことなく静かに返した。
確かにそうだと、思わずうんうん相槌を打ちそうになるが、そんなとこを時音に見られたら間違いなくいじられてしまう。誤魔化すために意味もなくペンケースを開けた。
明日香の指摘に、可愛くて良いじゃんと脚をバタつかせる時音。他の生徒のものより10センチは詰めてあるスカートがそのたびにひらひら舞って、中身が見えてしまうのではと心配してしまう。
「私は結構イケてると思うよ♪」
すかさず助け舟を出すのはやはり桃子だ。
数日という短期間でもう既に時音の操縦方法をマスターしたのか、自然で滑らかなフォローで救う。
こももは優しいなあと、今度はエンエン泣く仕草を見せる。毎度毎度オーバーな表現、疲れないのだろうかと思った矢先、こちらに標的が移ってしまった。
「さゆりんはどう思うよ〜」
今度はこちらの机に突っ伏し顔だけ見上げる形で聞いてきたが、言葉の準備がまだ整っていなかったから、頭の中にあるとりあえずの言葉をかき集めて声を発した。
「あ、あの…えと……悪くない…と思うよ?」
言葉の端々に自信のなさが見え隠れ、するどころかもはや不安そのものが表面に現れていた。
時音のがっちりと糸で縫われて動かない様な視線の中、しどろもどろに答えとは言い難いものを返すや否や、急に頭がぐわんぐわんと揺さぶられた。
「ありがと〜!やっぱりさゆりん良い子だな〜♪」
まるで動物を愛でるかの如く、小百合の髪をわしゃわしゃと撫でる時音。わぁやめてよと声には出さないが、されるがままに揉みくちゃにされる。
小百合なりに必死に抵抗してやっと抜け出すと、桃子はすっかり観客気分で笑っていた。
他人事だと思いやがってと、乱れた髪をなんとなく元に戻していると、桃子の前、瀬野明日香がジロリはっきりと顔ごと向けてこちらを見ている。
騒がしかったからか、もしかしたらたいそうお怒りになっているかもと、その熱い視線にひゅっと身を縮める様に動きを小さくした。
ひとしきりおもちゃにされた後は、とにかく休みもなく口を開き続ける時音の独壇場だった。
よく12時間ほど会っていないだけでそれだけ新鮮なネタを提供できるなと、時音の情報収集アンテナの高精度さと、それを普通の人間が喋るよりも数割面白くできる話術に舌を巻いた。その時、担任の数学教師、明乃珠美先生がゆったりドアを開け現れた。
「は〜いおはよ〜、出席取りますよ〜」
真百合にも負けずとも劣らないまったり具合で言う。
どうやら時音劇場が開催されている間にホームルームまで時が進んでいたらしい。
先生の登場でようやく解放されると、ここでもまた一息つく。まだ授業さえ始まっていないのにこの疲労感。ヤバすぎる。小百合は心がヘトヘトだった。
ホームルームでは今日一日の大まかな流れが先生から説明された。入学からまだそんなに経っていないので、まだまだ各教科のオリエンテーションや体力測定などで時間割が埋まっている。
何をするにも緊張感が付きまとう新生活は、些細な情報でも吸収しておかねば後々苦労を強いられる。だからこそ先生の説明は真面目に聞いていた。
あの騒がしかった時音さえも大人しく座っている。
静かにしていれば、明日香の様なクールビューティーの風格が漂っている気がした。
午前中の授業はやはり説明ばかり聞く作業で、いくら最初が大切であろうと退屈なものは退屈に変わり無い。
それでも周りの生徒達はみな同様にお利口さんに過ごしていた。
体力測定に関しては少しばかり開放感を味わえるため、3限目までの教室という狭苦しい箱に詰められていた生徒達が、ため込んでいたストレスや鬱憤を解き放つ様に弾けていた。
中でもひときわ目立っていたのはやはりハンドボール部所属の明日香で、言わずもがな、その身体能力は頭ひとつ抜けていた。
銀の髪をなびかせ跳んだり駆けたりする姿は、いとも簡単に人々を魅了し続けた。
対照的だったのは桃子と時音だ。桃子の運動能力の低さは古くからの友達の小百合にとっては周知の事実だが、時音のモデル顔負けのスタイルでえっちらおっちら走る姿は意外性があり不自然だったが、見方によっては明日香のペンギンシールと同様、ギャップ萌えを感じさせる強力な要素になっていた。
そんな3人を眺める小百合はというと、可もなく不可もなくと言った感じで特に面白みがある運動神経ではなかった。
「はぁ〜♪、よく動いたな〜♪」
教室に戻り、体操服から制服へと大胆に着替える時音は、結果としては良くなかった測定など関係なく体を動かした事での満足感や達成感を味わっている様だった。
その嬉しげな姿を盾にして隠れる様にさっさと着替えた小百合はとにかくお腹が空いていた。
頭はもう昼食のことばかりが占めている。
中学までは給食だったのに対し、高校では持参しなければならないという事で用意されたのが真百合のお手製弁当だった。
イベントの時でしか味わえない美味しい美味しい弁当がこれから毎日食べられる。そりゃあお昼どきが楽しみにならないはずがない。小百合は心が跳ねていた。
あともう一つ、朝の登校中に協議で決まった1週間コーヒー牛乳のおごりの件も楽しみのひとつだ。
桃子は着替え終わるとすぐに、たらたら文句を言いながらも笑って購買に駆けて行った。おそらく10分はかかるだろう。
先に食べ始めておいて良いよと桃子から言葉を貰っていたが、2人で食べた方が楽しいに決まっている。というか1人で食べる選択肢は端からなかった。ひとりでは時音の餌食になってしまうだろうから。
そういう訳で、自席で何をするでもなく窓の外を眺めたりして耐えようと存在感をなるだけ消した。
だが幸運にも、時音はどうやら購買にパンを買いに行ったらしく、心配していた絡みが回避できたためほっと胸を撫で下ろした。
それでも時間は変わらず余っている。どうしようと考えてはみるが、1人で黙々と食べている明日香に話しかけてみる選択肢は頭に全くなかった。
そうだ、手でも洗いに行くかと、ついさっき4限目の後に洗ったばかりの手を再び洗うことに決めた。要するに暇つぶしだ。
教室から誰の注目も集めぬ様ひそひそと出て行く。向かう先は階段前の手洗い場、ではなく、あえての東校舎だった。
大それた理由はない。ただ昼食を終えた人が歯を磨いたり、談笑したりで格好のたまり場になっているその手洗い場に、わざわざ1人突っ込んでいく強メンタルは持ち合わせていないから。
小百合の見解通り、と言ってもたかだか数人が手洗い場を占拠していた。その横をすり抜けてそのまま渡り廊下から東校舎2階へ足を運ぶ。
ここは視聴覚室などの特別教室が集まっている場所で、そうそう人が来ない場所だ。
一応人の気配は無い。手洗い場を前にして、安堵した。万が一にも誰かが来たら、逃げる様に立ち去れば良いと決めているのでもう大丈夫だ。そう小百合は思っていた。
だが、その想定は幻に終わる。
ガタッ!…ざざー…パタン
呑気に手を洗っていた小百合の耳に確かに飛び込んできたその音。
突然の事に必要以上に慌てふためき、そして音の方に視線を投げた。
瀬野明日香がしゃがみ込んでいる。
????????????!!!????????????
小百合の脳の処理速度では追いつけない。
なんでこんな所に!?明日香が!?
クエスチョンマークが湧き出したら止まらない。
しかしながら、早く何かしらしなければという事は体が先にわかっていた。
右に左に首を回し、自分がやらなければと何度も何度も言い聞かせながら、到底いつもの小百合からは考えられない速さで駆け寄った。
壁伝いにぺたんと座り込んでいる明日香に、小百合が今考えうる限りの言葉をかける。
「せ、瀬野…さん?どうしたの?ぐ、具合…悪いの?」
これでも精一杯なのだ。
「ありがとう赤井さん…ちょっと立ちくらみがしただけだから…」
壁に手をついてなんとか立ち上がるが、ふらつく足がやけに痛々しい。
近寄ってはみたものの、あらかじめ準備していた会話や行動でさえもろくにこなせない小百合には、100%アドリブのこの状況で満点を出せという方が無茶だ。
なかなか口から出てこない言葉、手をどう動かしたら良いかもわからない。とにかく頭をフル回転させているのだが、その回転数の割に導き出される答えの質量はどれもこれも泡の様に軽かった。
何もかも停滞している小百合に、明日香は続けて言う。
「悪いのだけれど、保健室まで連れて行ってもらえるかな?…」
うつむき加減のせいで、長い銀色の髪がその表情を捉えるのを妨げてしまっている。しかし、その願いは必ず聞き入れてあげなきゃと思えるほどのか弱い声で、小百合の心も身体も吸い寄せられて行く。
明日香の肩に手をまわす。
触れた指から自分の今の心情が筒抜けになってしまうのでは無いか。それほどに手が震えていた。
明日香の肩を抱くと、少し、ほんの少しだけ、重力をいつも以上に感じた。
小百合に体を預けるかたちで、先ほどよりはしゃんとした立ち姿になってきている。それでも普段の明日香からは程遠い。
「えと…あの…ほ、保健室は…どこだろう…」
もはや独り言なのか語りかけているのか、どちらともつかない消え入りそうな声で明日香に問うと、少し状態が良くなったのか、緊張状態の小百合でも十分に理解できるように説明をしてくれた。
肩を抱いていてほぼゼロに近い距離からの言葉だったので、もし明日香の髪が短かったら、小百合の緊張も焦りもなにもかもが限界に達したこの顔が目に入っていたのだろう。
ロング丈の髪にこれ以上ないほど感謝した小百合だった。
明日香の説明によれば、保健室まではまさに目と鼻の先らしい。玄関からすぐ近くだと言う。
混乱状態から少しづつ落ち着きが戻ってきた小百合はほぼ分かっていた。というか知っていた。
身体測定で行っているのだから。
冷静に近づくほどさっきまでの取り乱した様が情けなく思える。
「…じゃあ、ゆ、ゆっくり行こうか…」
そのまま明日香を支えながら歩き始める。
もうイレギュラーな事は要らない!
そう心の中で切に願いながら、2人は階段をゆっくりとゆっくりと降りていった。




