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第3話 赤井家の大騒ぎ

赤井真百合(まゆり)は小百合のママである。


年齢は千百合と同じ35才で、おっとりさんでありながらしっかりさんの面も持っている人だ。

背は小百合よりも高いが、それでも150センチ中盤ほどで身長だけ見れば小柄だ。身長だけ見ればというのは、その他に見過ごせない小柄では無い部分があるという事で、

ダイレクトにいうと「胸」が大きいのだ。

小百合は「ぺったんこ」に寄った部類であるため、真百合のその豊満ながらもだらしなく無い胸に憧れを持っている。

千百合ぐらいの手のひらで少し収まらないぐらいのサイズ感も正直羨ましいところだが、それは本人に言うのは絶対やめとこうと小百合は心に誓っている。怒られそうだから。


赤みがかったブラウンのショートボブは、性格同様とてもふんわりとしていて、真百合にお似合いな髪型だ。


「ちーちゃんはもうちょっと遅くなるのかな?」

との真百合の問いに、先ほど2人で抱きしめ合った恥ずかしさから小百合はこくこくと控え目にうなずいて返す。


「ちーちゃん」とは千百合の事で、真百合は昔からそう呼んでいるという。ちなみに千百合は真百合を「まゆり」と、そのままで呼ぶ。

付き合いの長い2人だが、まだまだ熱々な夫婦、いや、()()(ふうふ)だ。

2人は同じ大学の同期生で、真百合のバイト先の喫茶店で出会ったそうだ。

小百合の性格上、あまり恋の話だとかはズカズカと踏み込んで聞くタイプでは無い為、2人の過去をまだ詳しくは知らない。

しかし、最低限わかっている事はある。

そんな2人が結婚して、小百合の「今」がここにある。

これは紛れもない事実だ。

「じゃあご飯はもうちょっと待ってから3人で食べようか♪」

なんて事のない言葉だが、ちょっとだけ嬉しくなる。

表情には出さなかったが、小百合の心は踊っていた。

台所に戻っていく真百合を見送ると、テンポ良くトントントンと階段を上がり2階の自室へ。

部屋に入るやいなや、まだ型崩れなんてものを知らないブレザーの上着を脱ぎ捨てた。

制服を着ている自分なんてちんちくりんで不格好だと自己評価している小百合なので、出来るだけ袖を通す時間を減らしたいのだ。

可愛い可愛いと2人の母親からの評価は高かったが、それでも(うわ)つく気持ちは微塵もなかった。

次々と女子高生のパーツを外す。本音ではあまり付けたくない赤々としたリボン、膝がちょうど隠れるくらいのスカート、ショート丈の紺の靴下、あれもこれもと脱いでいった。

4月も折り返しに近づいてきた頃だが、まだまだ日暮どきには冷え込むことも多いため、寒い寒いとぶつぶつ言いながら猛スピードでパーカーの部屋着に着替え終えた。


さて千百合が帰ってくるまでどう過ごそうかと思ったが、頭の中にまず最初に浮かんだのは宿題のプリント達。

これをやっつけなければと決め込むと、カバンから筆記用具の入ったなんの飾り気も無いプラスチックケースとクリアファイルを取り出して、小走りでリビングへと降りる。

ガチャリとリビングのドアを勢い良く開けると、ドタドタ走ると階段から落っこちちゃうよ〜、と真百合さんからほんわかと言われ、しまったしまったという具合に苦笑いで会釈した。

小百合は普段からリビングで勉強をしている。自分の部屋では誘惑が多すぎて集中できないから、というのは2つ目の理由。

「小百合ちゃん、今日はちょっと肌寒かったね〜」

真百合が手際良く食器の準備をしながら話しかけた。

何気ない会話、これが実は好きなのだ。

自分以外のもちろん気が許せる人が漂わせる存在感だとか、声だとか、生活音だとか。そういうどこにでもありふれているものに安心を感じられるから。これが一番の理由だ。


台所から聞こえる音に耳を傾けながら、さあ宿題に取り掛かろうかとシャープペンシルを手に取った時、外から聴き慣れた音が響いてきた。千百合の車の音だ。

「見た目が可愛くて税金も安いのが良いよね」の条件のもと選ばれた車が、オフロードでも平気で走る四角いフォルムのこの四駆だった。

学校の駐車場に置いてあればすぐに目にとまる、小百合の表現ではオーロラソースのような色をしている。

家の前の車庫に駐車したからなのか、エンジン音は鳴り止み、代わりにコツコツコツとハイヒールが地面をテンポ良く叩いている。

握ったペンを少し持ち直したが、もう宿題の方に意識が向かなかった。

「ただいまー」

家中によく通る声が玄関から聞こえると、「ちーちゃん帰ってきたね!」と嬉しさばかりが溢れ出た笑顔で言う真百合は、座っている小百合の腕を強引に引いてリビングから連れ出した。

家族全員で、帰ってきた人を出迎える。

この赤井家の掟なのだ。

「おかえりなさい〜♪」

柔らかく言う真百合の背後で、控えめに出迎えた小百合。部室での事が頭にあってか、やはりぎこちない。


そんな事もお構いなしに、千百合と真百合の距離は、すすすっと近づいていく。

「ん〜…今日は唇の気分かな?」

千百合はそう言うなり、上目遣いの真百合の唇に、キスをした。

いつも目にしている事だが、やはり照れる。

「はい次はさゆりちゃ〜ん」

学校での雰囲気とはガラッと変わっている。ん〜という様に目をつむって近づく千百合をひらりとかわすと、そのままほっぺに口をつけた。ひんやりとしている。


「あぁ何で口じゃないのー」

「だから口は()()ダメなのっ!」

不満げな千百合をすぐさま制して、顔の前でバッテンをつくる。

()()ってどういう事かなー?」

やはりそこをついてきたかと、数秒前の発言を後悔したが、小百合の本心は確かにそこにあった。

初めてのキスはやはり大事にとっておかないと。

誰に言われた訳でもないが、小百合はなんとなしに心の底の方に置いている。

「それは…言葉の綾だよ!」とはぐらかそうとしたが、千百合と真百合のニヤつきが貼りついた表情を見れば、それは失敗してるだろうと強く思えた。

こうなると収拾がつかなくなるのが赤井家の日常で、とにかく小百合をおもちゃにして母親達が大騒ぎするのだ。

「あぁ〜私そういえばキスしてもらってない〜」

真百合さんまで便乗する始末。

こういう時、事態を収束するには勿体ぶってはダメだと知っている小百合。さっと頬にキスをした。


ぶーぶー言う2人の母親をリビングに押し込み、机の上の勉強道具をとりあえず片付けてから夕食の配膳に取り掛かる。

千百合は着替える事を後回しにして、リビングの机の前にちょこんと正座した。

赤井家ご自慢の真百合シェフの料理が並んでいく。

豚の生姜焼き、お味噌汁、白いご飯。いつも通り美味しそうだ。

真百合さんが最後に食卓につくのを待って、3人で合掌する。

「いただきます♪」

みんな自然と笑顔になっていた。

こうやって、当たり前の様に家族と食卓を囲む。大体の家庭では特別ではない事だが、小百合にはこれさえも愛おしく思えていた。


小百合が赤井婦婦(ふうふ)のもとに()()()()()のは、今から約9年前。

大学卒業後すぐに結婚した千百合と真百合は、かねてから子供を育てる事を強く望んでいた。

2人は特別養子縁組制度を使い、児童相談所で両親からの虐待を理由に保護されていた小百合を実の子供として引き取ったという。

赤井家に迎え入れた当初、心を完全に閉ざしていた6歳だった小百合。

しかし、その簡単に溶けないであろう氷をじんわりと温めてくれたのが2人であり、この赤井家だった。


この9年間、当たり前の事が当たり前にできる幸せをいつも感じられる。それはやはり母とママのおかげなのだ。


今日も3人で過ごせる幸福に浸りながら、小百合は夕飯を食べ始めた。

月並みだが、今日一日に起こった出来事を語り合うのが赤井家の夕食の日常だ。

「今日はなんといっても小百合だな!」

さっそく口を開いた千百合。もう何が起こっても構わないと、小百合は逆に冷静だ。

なになに〜?と興味津々な真百合に対し、嬉々(きき)として話し出した。

「なんと好きな人が出来たらしい!」

その刹那、真百合は手に持っていた箸をわざとらしく落とすと、また聞き覚えのあるフレーズを口にする。

「お赤飯だぁ〜」

「赤飯はもういいよっ!」

鋭いツッコミを入れると、ドッと笑いに包まれた。


ひとしきりイジられた後、絡まった糸を一本ずつほどいていく様に懸命に真百合に説明し誤解を解いた頃には、美味しい料理が盛られていた皿の上には綺麗さっぱり何も残っていなかった。

ご馳走さまを済ませ、食器を台所まで持っていこうとすると、お風呂を済ませちゃえばの真百合からの声があったのでお言葉に甘えて入る事にした。

着替えを用意してから1階風呂場の脱衣所の引き戸を開ける。

「おおっと…小百合も一緒に入るか?」

千百合がちょうどスカートのファスナーに手をかけたところだった。反射的に戸を閉めて後ずさると、ごめんなさいとしか声が出なかった。

「私の裸体、見たくないのかい?」

顔が見えなくても、言葉のウキウキとした弾み方からおそらくニヤついているだろうとわかる。いつもの事だ。

小百合は軽く受け流して一旦リビングに戻ろうと方向転換したがすぐさま呼び止められた。

脱衣所から顔だけ出した千百合。

「今日の下着は凄いんだけどなあ」

声を発した瞬間には再び歩き出していたので最後までは聞き取れなかったが、おそらくしょうもない事だろうと小百合は思ってリビングに入った。

よくもまあ毎日の様にお茶目に振る舞えるなあと感心だかよくわからない感情が湧いて来た。と同時に、これもまた一種の愛なのかもしれないと思うと不思議と笑みが(こぼ)れた。


千百合の風呂を待っている間は宿題を片付けるのに十分な時間で、ひととおり家事を終えた真百合とのんびり過ごすだけの余裕があった。

真百合のみ一緒にいる場合はとても穏やかな時間が流れ、波風が立たない平和的な空間へと変わる。

「さっきちーちゃんが言ってた事、実際はどうなのかな?」

隣に正座した真百合が柔らかに問うた。

嫌味もなく純粋に聞きたがっているとすぐに分かった小百合は、言葉が詰まるでもなくするすると連なって出ていく。

「瀬野さんっていうとても綺麗な人が同じクラスに居てね、とても綺麗なんだよ。真百合さんにも及ぶくらいとっても綺麗で華やかな人で、なんか憧れみたいなものが湧いてきたんだ」

そうなんだそうなんだと髪を優しく撫でながら受け入れてもらったからか、数割増しで喋ってしまう。真百合ほどの包容力があれば、それこそ世に(あふ)れる争い事が無くなるんじゃないのかと大袈裟ながらそう思えた。


「おーい、お風呂終わったよー」

ほんわか雑談タイムで気付かなかったらしい。

千百合が背後に立っていた。

さて風呂場に向かうかと、少し名残惜しさを抱えながらも立ち上がりふと真百合に目を向けると、ぎこちないのが逆に可愛いウインクを放ってきた。

さっきの話は2人だけの秘密という事だろうか。何から何まで可愛すぎる。

更なる追い打ちに足が止まりそうになったが、なんとか振り切って風呂場に向かった。

冷えを感じぬ前に脱衣、風呂場に入ると一通り全身を綺麗にしてすぐ浴槽に浸かった。お肌のケアなどまだ知らぬ存ぜぬという感じで全くやっていない。

濃密な時間から隔離された浴室は、いつにも増して静けさで征服されている。

今日、ようやくこの瞬間初めて1人の時間を過ごす。

あれやこれやと今日の出来事を振り返っていくに連れ、浴槽にためられた熱めのお湯がじんわりと身体に染み込み、それが眠気へと変換されていくのがはっきりとわかった。

もう少しと思ったが、うつらうつらと頭の振り子が大きく振れてきたので温まった身体を冷まさぬ様ちゃっちゃかと出て着替えまでも済ませた。

そのまま脱衣所の洗面台で歯磨きをし、2人におやすみの挨拶を告げようとリビングに入ると、千百合がショートパンツにスウェットのパーカー姿でテレビを見ていた。

見ている方が寒さを感じそうな素足に目が行く。

「今日も一緒に寝るかい?」

ごく自然な振る舞いで聞いてくる千百合に、特に何も考えず首を縦に振った。

2階の自室にもベッドがあるのだが、たまに母達の気まぐれで千百合達の寝室で寝ることもある。

2階に上がると、小百合の部屋の向かいに2人の部屋がある。

ドアを開けるとすぐに飛び込んでくるほのかに爽やかな香りがとても気持ちが良い。柑橘系の香りだろうか。


ベランダへと繋がる窓のすぐ近くのシンプルなダブルベッドに先に腰かけていた千百合が手招きをする。

小百合はいつも「川」の字の真ん中で寝ている。

招かれるまま横になると、すぐに千百合が体をぴとっと寄せ、先ほどの風呂でまとった温もりの分け前を貰いに来た。

「温かいなぁ」

自然と声が漏れたかの様に千百合が言う。

まだ真百合は風呂を済ませていなかったので、当分この2人で居ることになるだろう。

少しの沈黙の後、2人だからこそ、聞きづらいことも聞いてみる。

「私邪魔じゃない?結構な頻度で一緒に寝てるけど…」

「なんだい急に?もしかして小百合は嫌?」

「違うの!…ただ…あの…」

ここまで口に出して、詰まる。でもやはり言っておかねばと、決死の覚悟で続く。

「2人でいちゃいちゃしたいんじゃない?たまには…」

しない後悔よりやって後悔した方が良いとかなんとかよく言うが、これは間違いなく当てはまらないだろうと小百合は思い切り後悔した。

チラッと千百合の方に目をやると、ニヤつきとは少し違う、どこか色っぽさもある眼差しをしている。

「いちゃいちゃってどういう風な事なのかなぁ?」

耳もとでささやかれ、くすぐったかったからか瞬間的に身体が脱力した。怪しい雰囲気が加速する。

「小百合ちゃん…意外とえっちだねぇ…」

「ち…違うよ!一応気を使ってるんだから!」

「ふふっ…ありがとうね…」

大人のほほえみを浮かべ、小百合のおでこにキスをした。

「いつか3人で…っていうのも良いかもね…」

千百合のその言葉が耳に入ったかどうかというところで、もう恥ずかしさとか後悔とかがごちゃ混ぜになり、沸騰しそうでどうにもならなかった小百合は、身体を丸めて自分の世界に閉じこもった。

もう何も思わない聞こえない!と自分に言い聞かせながら目を固くつむると、溜まっていた眠気が一気に頭に流れ込み、意識が遠くなっていった。

背中には、かすかに千百合のぬくもりが残っていた。

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