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ACT06 方術士

 バザールの人混みの奥から、怒鳴り声と激しい物音が響いてきた。

「おや、いつもと様子が違うわね」

 異変を察知したシェルフィンが呟いた。

 人混みを透かし見ると、そこには三人の男が屋台の一つに向かって罵声を浴びせて、屋台の柱を蹴っ飛ばした光景がサキの視界に飛び込んできた。

 いずれも、筋骨逞しい大柄の男だった。

「おおかた、釣り銭が足りない、料理がまずい、ありとあらゆる難癖を付けて小金をせしめる。それを拒否すりゃ、ああやって店の前で暴れて商売の邪魔をする……そんなところかねぇ」

「あいつら……騎士団の従者じゃない!」

 サキには、その三人の顔に見覚えがあった。

 騎士の馬のくつわを取ったり、騎士の支援を行う雑役係のようなものだった。従者と称しているがその大半は、市民から雇われた荒くれ者が多い。

 ヴァンダール王家の兵力は、国の規模からするとかなり少ない。

 王族直系の近衛兵の軍団と、王族や貴族で構成する騎士団がいくつかあるが、外部の防衛にはヴァンダール王国の各地に所領がある有力諸侯の軍事力に頼っている。

「あいつらが何で、こんなバザールの奥で騒ぎ起こしてんの?」

「これが、この王都の真実の姿さ」

 シェルフィンが、意外なことを呟いた。

「護民官さえ入ってこないバザールの奥に遠征して……王家の権威を借りて乱暴狼藉を働く連中の、ごく一部さ」

「そんな事をしてるの?」

「悲しいかな、それが現実よ」

「冗談じゃないわ!」

 サキは、暴れている連中をにらみつけた。

 こういう連中がいるから、バザールの人々の王家に対する不信感がつのる。

「あいつら、とっちめてやるわ!」

「ちょっと、お待ちよ。ほら、風向きが変わりそうだよ」

 傍らから、シェルフィンの場違いに落ち着いた声が聞こえた。

 騒動の渦中、暴れている男達のすぐ傍らの長椅子に黒い髪の若い男がいた。

 屋台のすぐ脇に、背もたれのない長細い椅子と長細いテーブルが置かれている。その長椅子に腰を降ろしていた長衣姿の男が、ふらりと立ち上がった。遠目から見ても、まだ若そうな男だった。

 その右手には、酒の入った素焼きの小さな長細い壺を持っている。

 暴れている男の一人に背後から声を掛け、振り向いたところに手にした壺から酒を顔面に浴びせかけた。

「てめぇ!」

 酒が目に入ったのか、暴れていた男がさらに激高した。

 騎士の従者をやるぐらいだから、三人とも体格の大きな荒くれ男どもだった。

 三人の男に対峙する対するこの若者は、標準的な体格だった。

 若者が何事かささやき、三人の男がさらに激高した。

 どうやら、喧嘩を売った様子だった。

 まともに喧嘩すれば、若者に勝ち目はない。

 サキの脳裏に、屋台の騒動の助けに入った若者が、逆に袋叩きにされる光景が浮かんだ。

 拳を固めた大男が、若者に近寄る。

「助けなきゃ!」

 サキが飛び出そうとした刹那、サキの右手が押さえられた。

 やんわりとした掴み方だが、サキの動きを止めるだけの力が秘められている。

 止められなければ、愛刀を抜いて喧嘩の真っ只中に飛び込んでいた。

「大丈夫だよ」

 振り向いた先には、シェルフィンの微笑みがあった。

「こんな日常茶飯事の騒ぎでやられちまうほどのヤワな奴だったら、お姫さんに紹介しやしないよ」

「えっ、あの若い人?」

「そうさ、おかげでバザール中を探し回る手間が省けたわ」

 シェルフィンが、傍らの屋台に異国の早口な言葉で声を掛ける。

 威勢のいい響きの異国の言葉が返ってきた。

 シェルフィンは、銅貨数枚と引き替えに長細い食べ物を受け取った。

 その一本をサキに手渡す。

 まだ暖かい。

 挽いた雑穀を練って焼いた、パンに似た形状の異国の菓子だった。

「食べながらここで見物しましょ。こっちの方がよく見えるわ」

 シェルフィンに促され、サキは渋々背もたれのない木の長椅子に腰を下ろし、騒ぎの中に視線を戻す。


       ◆


 二回りも大きな男が、若者に殴りかかった。

 大きな握り拳が、風を切って若者の顔面を襲う。まともに当たれば歯の二三本は砕きそうだった。

「?」

 何をどうしたのか、拳が当たらなかった。

 若者が、大男の目前で地面にしゃがんでいた。

 空を切った拳が、屋台の柱に当たる。

 衝撃で柱に渡した天幕補強用の横木が外れる。その横木を拾いながら若い男が起ち上がる。

 横木と言っても、六尺ばかりの天秤棒だ。

 若者の手の中で、天秤棒がくるりと水車のように回った。

 跳ね上がった棒の片端が、下から大男の股ぐらに当たる。

「!」

 棒にまたがった形で、悶絶した男が倒れる。それに合わせて横木の反対側を手放すと、倒れてゆく天秤棒が傍らの木の長椅子の隅に当たる。長椅子が起ち上がり、突っ込んできた別の男を遮る。

 三人目の男は、背後に回り込んでいた。

 横殴りの拳が背後から襲ってきた。

 若者の長衣が翻った。背中に目が付いているような正確さでそれをかわし、テーブルの上を背中を丸めて反対側へ転がる。

 当たりそうでぎりぎりの間合いで、拳が当たらない。

 男達の怒りの罵声と、若者の楽しそうな笑い声が響く。

 男達が襲いかかる度に、若者がそれをかわし、男達が勢い余って机に突っ込んだり、地面に倒れ込む。


       ◆


「そろそろ、お終いかしらねぇ」

 菓子を食べ終わり、両手に付いた粉をはたきながら、シェルフィンが長椅子から起ち上がった。

 人垣を割って、喧嘩の現場に近寄る。

 シェルフィンは、若者に声を掛けた。

「リュード! あんまり遊んでんじゃないよ」

「今、片付ける!」

 暴れていた男達が、地面にへたり込んでいる。襟首を掴んで引き起こし、その背中を叩いてその場から追い出す。その背中に、周囲の野次馬から歓声と嘲笑がどっと投げかけられる。

 男達が人混みの奥に消えてゆくのを見送り、サキ達の方に振り向いた。特徴的な青灰色の瞳がシェルフィンとサキを眺めている。

「なんだ、シェル姐さんか。バザールの奥まで出てくるのも珍しい」

「あんたを探しに来たんだよ」

「日暮れ頃には、老虎に戻るのに」

「急ぎの用事、なのさ」

 シェルフィンがリュードと呼ばれた若者の肩に手を当て、傍らのサキの前に押し出した。

「お姫さん、紹介するよ。

 こいつがリュード・フォリナー……うちら天狼側の、お姫さんに対する『約定』の相棒だよ」

 反射的に、サキが頭を下げた。

「初めまして、サキ・シェフィールドです……って、あーっ! 占い屋!」

「初めまして、じゃないな。昨日の夕方に会ってるなぁ」

 リュードが、苦笑を返す。

 意外と若い男だった。黒い髪と青灰色の瞳を持った、シェルフィンと同じ異国の男だった。大小様々な宝珠を連ねた首飾りと、腰に下げた護符のような奇妙な装飾品を除けば、市井のどこにでもいる若者だった。

「おやおや、もう遭遇してるのね……だったら、話は早いわ」

 シェルフィンが微笑んだ。


       ◆


 それは、奇妙な午餐だった。

 サキは、シェルフィンとリュードに状況を小声で手短に話した。

 バザール最奥で交わすような話題ではない。

 屋台の折りたたみ式の机上には、屋台で買った異国の料理が並び、サキの知らない香辛料の香りが漂っている。

 鶏肉を串に刺して焼いたもの、挽いた雑穀に切り刻んだ野菜やら何かを練り込んで蒸したものなどが並んでいる。

 サキは、自分の知らない文化の存在に圧倒されていた。

 サキは、レグノリアの都で生まれ育った。まだ見ぬ異国に対するあこがれはあったが、王都から外へ出たことはない。バザールの奥は王都の真っ只中にある異国だった。

「なるほどねぇ」

 サキの話を、果実酒を飲みながら聞いていたリュードが、酒杯をテーブルに置いた。

「とりあえず、俺は何をすりゃいいんだ?」

「ここ数ヶ月王都を騒がせている、魔除札の盗賊の正体を突き止めること。それともう一つ、十年前に同じように魔除札を残したギースって盗賊との関わりも知りたいわ」

「ふむ、おかげで夢見が悪かったわけだ」

 リュードは、予想していたような口調だった。右手を、肩まで伸びた黒髪に突っ込み、乱暴に引っかき回す。

「夢見?」

 即座に、シェルフィンが聞きとがめた。

「俺の夢の中に、時々出てくるバクチの師匠がいてなぁ」

 リュードが、遠い目をした。

「バクチ?」

「十四、五のかわいい娘さんなんだけど……まぁ、バクチが強いの何の」

 サキは、あっけにとられていた。夢の中でまでバクチしてるというのが、サキの理解を超越している。

「何回勝負しても、夢の中で毎回ぼろ負け……だけど、翌日に賭場に行くと不思議と同じ状況になるんだよ。

 で、その娘さんがやった通りにすると、百戦百勝……だから、師匠なのさ」

 サキの夢に出てくる刀を持った影法師と、どこか似ている。似ているが、バクチの師匠というのはふざけた話だった。

「その師匠が何ヶ月前かの夢に出て、『レグノリアに行け!』って言うのさ」

 そんな理由だかで、王都レグノリアに来たとうそぶくリュードに、サキは呆れていた。だが、リュードはサキの困惑など素知らぬ顔だった。

「どこまで調べたのか、何に困っているのか、おいおい話してもらうとして……まずは、運河沿いの商家から探ってみるとするか。

 シェル姐さん、この姫さんが『約定』を受け継いだことは、天狼側にきちんと回しておいてくれよ」

「明日の朝には、王都の中には全部伝わるよ」

「なら話が早い。じゃあ明日から取りかかろうか。

 こっちから用があれば、あの手この手で姫さんにわかるようにする。

 姫さんから俺につなぐには、辻占いやってるあたりか、そこに居なけりゃ老虎につないでくれ」

 そう言って、リュードが立ち上がった。

 占い道具を入れた、大きな革袋を担ぐ。

「それじゃ、明日」

 返事も待たずに、バザールの雑踏の中に足を踏み入れる。

「あんな感じで、ちょっと変わり者だけどね」

 雑踏の中に消えてゆくリュードの後ろ姿を見送りながら、シェルフィンが苦笑混じりの呟きをもらした。

「けど、腕は天狼の中でも別格だよ。

 万事において面倒臭がりなのが、唯一の欠点さね。

 なのに、その札付きの面倒臭がりが『約定』に抵抗しないで、あっさり承知したのが、あたしにとっては一番の驚きだよ」

「?」

 きょとんとしたサキを見て、シェルフィンが微笑んだ。

「自分の興味のないことだと、テコでも動かない。そのくせ興味を抱くと、不眠不休でのめり込む。

 うちらの中でも、相当な異端児だよ」

 性格は真逆だが、まるでシェフィールド一族の中でサキが置かれている立場みたいな話だった。

「だだをこねたら、叱り飛ばしてでも否応なく従わせようと考えてたのに……ちょっと拍子抜けしたわね。

 剣を扱わせりゃ天下一品……それが、何を血迷ったか剣を捨てちまって方術士に身をやつした変わり者さね」

「リュードが剣術使い?」

「ああ、あたしなんかじゃ及びもつかない腕の持ち主さ」

 サキには、シェルフィンの言葉が素直に信じられなかった。

 確かに先ほどのバザールの立ち回りは見たが、ほとんどふざけているとしか思えない敵のあしらい方だった。とても剣術を身に付けた人間の戦い方には見えない。

 相手の攻撃をかわしているうちに、相手が自滅しただけだった。

「それがねぇ、あちこちフラフラと旅しているうちに、何があったのか何を考えたのか知らないけど、魔物以外に剣は不要ってうそぶいちゃって、どんな危機にあっても平然と丸腰さね」

「何かあったのかしら」

「さぁねぇ。何があったのか何を思ったのかは、胸の内にしまってるみたいなのでね。

 こっちも、何も聞きやしないけどね」


       ◆


 シェルフィンにもらった首飾りの御利益は、翌日からすぐに現れた。

 また門前払いと押し問答になるのがわかっているが、しつこく商人街を訪れたサキに対する商人の態度が一夜にして豹変していた。

「しっ、しばらく……お待ちください」

 サキの首元に輝く首飾りを認めたとたん、隊商ギルドの番頭の表情が強ばった。

 サキを待たせ奥に引っ込み、すぐにギルドの幹部を連れて戻ってきた。初めて会うギルドの幹部は、髪の白くなった東方系の小柄な老人だった。

 今まで絶対に姿を見せなかった幹部の姿に、サキは戸惑った。

 初老の幹部は、分厚い帳簿を抱えていた。

「サキ様が天狼とゆかりのある方とは存じませんで、今まで大変なご無礼をお許しください。

 お知りになりたい事柄は、全てお答えいたします」

 一番驚いたのは、サキの方だった。

 口の重いギルドが手の平返しするのは、彼らも漂泊民だと言うことだった。

 王家側の人間には警戒して面従腹背の態度を示すが、天狼側の人間となれば扱いがころっと変わる。

 サキには、魔除札の探索が難航する理由の一端がわかってきた。

 この都の二重構造のせいだ。

 王都の市民と漂泊民は見かけ上仲良く棲み分けているが、偏見や不信が双方にある。

 昨日のバザールの奥で見た光景と重なる。

 王家側の人間は漂泊民や異民族をさげすみ、逆に天狼を始めとする漂泊民や異民族は王家に不信感を抱いている。

「ここ最近の、陸路海路を問わず金品の動きに、変化が見られておりますな。

 魔除札の盗賊が狙った商家は、二つに分かれます」

 説明は、詳細なものだった。

 日々の金品の流れが、きちんと整理されている。

「根こそぎ奪われ、夜逃げ同然に店を畳んだ商家が五軒、こそ泥みたいな盗み方の商家が 八軒……手前どもは、こそ泥組は誰かが手口を真似しただけと見ております。

 まぁ普通の警戒をしていれば、防げたでしょう。

 難しいのは、根こそぎの口ですな。全て、ここ数年に現れた商家で、取引が大きくなったとたんにやられております。しかもギルドに所属していない商家ばかりです。

 一方、こそ泥組の被害に遭った商家は、ギルドの所属でございました」

「この街で、次に狙われそうな大商人はいるの?」

「候補は、十軒を下りますまい。

 ですが、まだ狙われていない商家の中には、一番先に狙われそうな規模なのに、何故か狙われていない商家があります。

 しかも、用心棒を新たに雇い入れたり金蔵を補強したりという動きさえ見せないのが解せません」

「おかしな商人、ということ?」

「ええ、おかしいと言うか疑わしいと言うか……手前どもの口からは、はっきり疑わしいとは言えません」

 そう言って、ちょっとだけ笑顔を見せた。黒い瞳が、イタズラっぽい輝きを見せる。

 怪訝そうなサキの表情を見て、声を潜めた。

「商人には、腹芸というものがございます。

 ここからは、ただの独り言でございますのでお耳の片隅にでも入れておいて下さい。

 同業で競争相手が立て続けに襲われる中、一軒だけ狙われていない商家がございます。しかも、盗賊に根こそぎ盗まれ、やむなく店を畳んだ商家の者は、競争相手だったドーンの店に雇われたそうです」

「ドーン?」

「ドーン・バルザック……海路を中心とした交易商と聞いておりますが、ここ数年でレグノリアの街に拠点を移してきた新顔で、ギルドにも所属しておりません。

 アンガス候と知り合いなのか、アンガス候からの鑑札を持っておりますが……アンガス候の所領に海はございません」

 それは、ドーンという商人を洗え、という示唆だった。


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