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ACT04 黒龍小路

 運河を渡り、対岸の道を港の方へ歩いて行くと、右手に小高い丘がある。

 どこからか、澄んだ笛の音が聞こえてくる。

 丘の途中でサキは立ち止まり、その柔らかな旋律に耳を傾けた。

 どことなく異国の趣きがあるようで、それでいてどこか聞き覚えのあるような旋律だった。

(あら? こんな所も祠があるわ)

 サキは笛の旋律に導かれるように目的地への道を外れ、小さな神域に続く小径へと足を向けた。

 神域が管轄とはいえ、このあたりは天狼と呼ばれる漂泊民の自治領域だった。サキ達ヴァンダール王家の人間が、この地に立ち入ることはない。

 背の低い灌木の間に作られた小径を抜け、その丘の頂上に登るとそこに小さな祠があった。近所に住む誰かが手入れしているのか、敷き詰められた白い砂に汚れはない。

 笛の音は、祠の敷地から流れてくる。

 祠には、サキの背の高さくらいの大岩が鎮座しているだけだった。

 誰かが供えたのか、摘んだばかりの小さな花束が岩の前に置かれている。

 奇妙なのは、その大岩が真っ二つに切り割られたようなきれいな裂け目を持っていることだった。

 サキは、その笛の奏者の邪魔をしないよう、そっと祠の敷地に足を踏み入れた。

 岩の近くの切り株に、腰を降ろした笛の主がいた。サキの方に背を向け、その素顔は祠の入り口からは見えない。

 サキの気配を察知したのか、ぴたりと笛の音が消えた。

 横笛を口元から離した笛の主が、静かに振り向いた。

「こんにちは」

 明るい声だった。

「こんにちは。笛の邪魔しちゃって、ごめんなさいね。

 ここへは、よく来られるんですか?」

 サキは挨拶しながら、相手をさりげなく観察した。

 一瞬、男性か女性か識別できかねる、中性的な人間だった。

 服装は、東から来る隊商が身につけるようなゆったりとした褐色の長衣だった。砂塵除けの口元を覆う布きれが首に巻かれている。

 金髪と青い瞳は間違いなく、このあたりの人間だった。緑がかった碧眼は、サキのシェフィールド家以外では珍しい。

「ボクがここに来るのは、二年ぶりかな……ちょっと、あちこち旅してたので」

「あたしは神殿警護官のサキ・シェフィールド。あなたは?」

 サキが微笑んだ。

「ボクはシーナって言うんだ……下の名前は、どうかご勘弁を」

「あら、何かまずいことでもあるの?」

 サキの言葉に、シーナが恥ずかしげに微笑んだ。

 笑顔はまだ若い。まだ、サキと同い年くらいだろう。

「ボク、家出中なんだ。居場所がばれると連れ戻されちゃうのでね」

「あら、そりゃあ大変ね。でもご家族心配してるだろうから、おうちには早くお帰りなさいね」

「ありがとう」

 好奇心からか、サキを観察するような目でシーナがサキを見上げる。

「ねぇ、サキさん?」

 不意に、シーナが二つに裂けた岩を示した。

「この岩の由来って、知ってる?」

「あたしは、ここへ来るのは、今日が初めてなの」

「この岩は、結界岩って言うんだ」

「結界岩?」

「昔、この都を霊力で護ろうとして結界を張った時の名残なんだ。

 都のあちこちに、こういう岩が安置されてるそうだけど」

「詳しいのね、あなたはこの都の出身?」

「まるで、尋問されてるみたいだね」

「あっ、ごめんなさい。商売柄、根掘り葉掘り聞いちゃう癖が出ちゃったわ」

「ボクは、この都生まれだよ。でも、小さい時にここを離れたので、あんまり覚えてないけど」

 シーナが、サキの左腰の刀に視線を移した。

「サキさんの刀、ずいぶん大きいんだね」

「あら、よく刀ってわかったわね」

 王都では、サキの持つような大きく湾曲した身幅の厚い刀は存在しない。

「ここから南東に、ずーっと何千里も離れたところにボーダンって街があるんだ」

「自由交易都市のこと? 国っていうより、商人が作り上げた街よね」

「うん、そこに行った時に見たことがあるんだ。

 東から来た隊商の護衛の人達が、そんな刀を持ってた」

「へぇー、見聞が広いのね。

 あたしは生まれも育ちもこの都だから、そういう異国の物語にはあこがれちゃうわ」

 懐に白銀に輝く笛をしまったシーナが、立ち上がった。

「いつか、サキさんも異国へ行く時が来ますよ」

「そうね、そうありたいわ」

「それでは、お元気で。

 いつか、どこかでまたお会いしましょう」

 軽くサキに一礼し、シーナはサキが来た道を逆にたどるように丘を降りていった。

 バザールの方へ去って行くシーナの背中を見送り、サキは視線を眼下に広がる王都に移した。

 祠から振り向くと、小高い丘から見下ろす王都は美しいたたずまいを見せている。運河が初夏の陽光を弾ききらめく中、旧市街区と運河の対岸の新市街区、神殿、王宮が見える。

 旧市街区と新市街区は運河で区切られ、運河沿いの旧市街区に大きな商業地区を形成している。

 眼下には、諸国から荷物を運んできた隊商が荷下ろしする広大な広場とバザールの屋台街が広がっている。

 諸国と王都を結ぶ街道から東の門を入り大通りを進むと、運河に通じる広場に出る。その左右には、商人が建てた倉庫街が立ち並ぶ。

 運河をまたぐ大きな石橋を渡ると、街の風景ががらりと変わる。

 白を基調とした石組みの家が建ち並び、こざっぱりとした町並みが続く。ここが新市街区だった。

 少し小高くなった丘に向かって、広大な空間が横たわっている。丘の上にある白亜の建物が神殿だった。神殿に続く参道には屋台が建ち並び、諸国からの巡礼者や王都の参拝客で賑わっている。

 王都レグノリアは、神殿を中心に置いた街だった。

 神殿から南に行った先の一番高い丘の頂上に王城があるが、街の機能の中心は運河沿いだった。

 王都の全景に見とれていたサキは、大岩に向き直った。

(街の皆が、幸せに暮らせますように!)

 胸の前で両手を組み、結界岩に一礼してから、サキはきびすを返した。

 のんびりと、寄り道している場合ではない。

 祠からの道を後戻りし、目的地に向かう道に戻る。

 黒い石畳の細い路地が曲がりくねって、丘から港湾地区の方へと続いている。広い王都レグノリアでも、黒い石畳の道は他には見られない。

 路地に沿って、レンガを積んだ二階建ての建物が建ち並び、独特の雰囲気を漂わせている。

 ここが、悪名高い黒龍小路だった。

 旧市街区の中でも、最も古い町並みの一つだった。

 夜にもなると酔客で賑わう酒楼の街だが、午前中は静かで誰一人見かけない。

 だが、狭い枝道の奥は昼間でも薄暗く、何が転がっているかもわからない。

 間違っても、夜中にうろつきたくない街だった。

 昼間でもこんな所に出入りしている姿を見られたら、どんな噂が立つか知れたものじゃない。

 王都レグノリアの中で、王家の権力が及ばない、唯一の場所だった。漂泊民の中でも、天狼と呼ばれる一団が作った王家の権威が一切及ばない街だった。

 もしも、犯罪者がこの街に逃げ込んだら、街の護民官でも手が出せない。

 おおよそ、よからぬ噂ばかりの街だった。

 黒龍小路に足を踏み入れた時から、サキの背中にいくつもの視線が張り付いているのが感じられた。

 よそ者に対する、敵意の混ざった警戒の視線だった。

 午前中の通りに人の姿は見えないが、開け放たれた建物の窓の奥からサキの姿を観察しているようだ。

(まさか、いきなりバッサリはないと思うけど)

 敵意のある視線に反応して、サキの身体も神経を張り詰めた臨戦状態になっている。


       ◆


 目的の店は、すぐに見つかった。

 軒先の古ぼけた黒い木の看板には、白い虎の姿が描かれている。

 虎は、五百年の甲羅を経て生きながらえると白毛の虎に変貌し、人知を超えた霊力を持つという。

 叔父のカロンに聞いた、『老虎』という酒楼の看板だった。

 木の扉はサキの訪問を拒絶するように閉じられ、中の様子はうかがえない。

 サキは、意を決して扉を開いた。

 昼間は営業していないのか、中は薄暗かった。

「ごめんくださーい!」

 店の奥で、何かの気配がうごめいた。

 森の奥に猛獣が潜んでいるかのような気配に、サキの背中が無意識に伸びた。

「ごめんください!」

 再度、声を張り上げた。

 陽が射し込む入り口の近くは見えるが、奥は薄暗く細部は判然としない。

 薄暗い店内には長いテーブルがいくつかと、背もたれのない椅子が並んでいる。

「お店は日没からだよ」

 店の奥の暗がりから、澄んだ声が聞こえた。

 柔らかいが、威厳のある凜とした声だった。

「いえ、酒楼の客としてではなく、使いで参りました。

 王家の神殿警護官長カロン・シェフィールドの代理で参りました、神殿警護の任に就くサキと申します。

 カロンからの手紙を持参して参りました」

 無意識に、サキの口から敬語が出てくる。

 敬語を使うのが当然、という品格を持った相手が店の暗がりの奥にいる。

「カロン・シェフィールド?」

 暗がりで、気配が揺れた。

「久しぶりに、その名前を耳にしたよ」

 人影が、ゆらりと姿を現した。

 入り口のわずかばかりの明かりが浮き上がらせた人影は、意外にも若い長身の女性だった。

 年の頃は定かではない。

 サキよりは年上だが、予想より若いことに驚いた。

 背丈はサキよりも高い。

 腰まで届く長い黒髪が揺れ、細身の女性が入口からの明かりの中に姿を現した。

 同性のサキが見ても、ぞくっとする美貌の女性だった。

 切れ長の眼が、静かにサキを見ている。その褐色の瞳には、人を引き込むような不思議な輝きがある。

「手紙の宛先は?」

「黒龍小路の酒楼『老虎』の御主人様へ、とお預かりしております」

「なら、こちらも自己紹介しないと礼を失するわね」

 質素な藍色の木綿の上下を身にまとった女性が、居住まいを正した。

 背を伸ばしたその女性には、なんとも言えない貫禄と威厳がある。

 サキの脳裏で、神殿の絶対神アグネアを守護する十二神将像の一体の姿と、目の前の女性の姿が重なった。

「黒龍小路の酒楼『老虎』の主人、シェルフィン・ロードよ。

 長い名前だから、シェルでいいわ。

 王都レグノリアにいる漂泊民『天狼』の束ね、と言った方がいいかしら?

 以降、お見知りおき下さいませ」

 サキが圧倒されっ放しなのは珍しい。

 普段のサキなら負けん気で対抗しようと虚勢を張るが、今回ばかりは格が違う。対抗しようとする気さえ失せている。

 シェルフィンの漂わせている気配は、王族にもないような威厳がある。サキとは、明らかに格が違う。

「神殿警護官のサキ・シェフィールドと申します。神殿警護長カロン・シェフィールドの姪です」

「あなたが、あの暴れん坊の姪御さんねぇ」

 シェルフィンが、鈴のような笑い声を立てた。

 切れ長の目が、サキの姿を値踏みしてるようだった。

「招かれて然るべきお客さんとわかれば、『老虎』は大歓迎よ。

 むさ苦しい場末の酒楼だけど、まぁおかけなさいな」

 老虎の主人シェルフィンに促され、サキが武門のしきたりで腰の刀を外し右側に移してから、素直に椅子に腰を下ろした。

 頭の中で、シェルフィンの言葉がこだましている。

(王都レグノリアにいる漂泊民『天狼』の束ね?)

 叔父のカロンは、何も教えてくれなかった。

 ただ、この手紙を持って黒龍小路の『老虎』の主人に渡せ、としか言われていない。

 天狼と呼ばれる漂泊民集団の存在は、サキも知っている。

 太古の文明が滅びてから、数千年以上の時が経過しているという。

 シドニア大陸で隆盛を誇った文明が滅びた時、炎の嵐が七日七晩の間吹き荒れ、全てを焼き尽くしたという。

 だが、生き残ったわずかばかりの人々は屈しなかった。

 全ての技術を失った状態から立ち上がり、また新たな文明を築きあげたという。今はそんな時代だと言うのが、このシドニア大陸各地にに伝わる伝承だった。

 そんな中、国を持たない漂泊民と呼ばれる一団がいた。

 どこの国にも所属せず、失われたはずの太古の英知を受け継ぐという漂泊民の中に、天狼と呼ばれる異能者集団がいるという。

 築城・土木・建築・開拓・医術・呪術等に優れ、金で雇われてあちこちの国の中に散らばって生活している。

 遙か東方の天狼山脈に源を発するとして、彼らは天狼と呼称されていた。

「おやおや、びっくりしてるところを見ると、カロンから何も聞いちゃいないのね」

 カロンがこの街を知っていることさえ、サキは知らなかった。

 まして、シェルフィンが『あの暴れん坊』とカロンを親しげに呼ぶところを見ると、かなりの関わりがあったことを示している。

 驚くサキを尻目に、シェルフィンが真顔になった。

「とりあえずの子細は脇に置いておいて、その手紙とやらを拝見させていただくわ」

 向かいに座ったシェルフィンが、右手をサキに向けた。

 いつ向かいに座ったのかさえ、サキにはわからなかった。

 気配を殺したというよりも、あまりに自然な動きでサキの眼にはとらえ切れていない。

 サキは圧倒されたまま、カロンから預かった手紙をシェルフィンに手渡した。受け取ったシェルフィンが、手紙の裏表をひっくり返し外側を点検した。

「カロンは古式の作法をちゃんと覚えてたんだね。感心、感心」

 シェルフィンの楽しそうな声からして、どうやら敵意はなさそうだった。

 シェルフィンが、長い爪で封印を剥がした。

 手紙を取り出し、書面に眼を落としたシェルフィンがしばし沈黙した。

 その表情からは、何の感情も読み取れない。

 実際には、ほんの数呼吸の間だったかも知れない。だが、サキには数刻の時が流れたように感じた。

「ふーん。『約定』なんて言葉は、あたしもすっかり忘れてたわ」

 シェルフィンが、ポツリと呟いた。

 手紙を丁寧に畳み、懐に収めてからサキに視線を移す。

 切れ長で涼しげな眼が、サキの眼を真正面から見据えた。

 東方民族特有の茶褐色の瞳が、サキを見つめる。

「どうやら、お姫さんは事情が飲み込めていないようね」

 サキは、正直にうなずいた。

「カロンの若い頃は、ずいぶん無頼でね。神殿にいるのが嫌いで、この店の常連客だったの」

 とんでもない発言だった。

 漂泊民のことになると煮え切らない態度を取るカロンを見るにつけ、サキはカロンが漂泊民が嫌いだとばかり思っていた。

 それが、漂泊民の街で老虎という酒楼の常連客だったというのは、衝撃的な話だった。

 我慢しきれなくなったサキが、シェルフィンに尋ねた。

「非礼を承知で、お尋ね申し上げます!

 『約定』とは一体、何でしょうか?

 叔父には、『約定」の代償として、私がこの都の礎になる覚悟の有無を問われ、自分がなすべきことはこの都の人々が笑顔で暮らせること、そのためなら、いかなる苦労も受け入れると答えました」

 サキは真剣だった。

 サキの気負った視線を柔らかく受け止め、シェルフィンが小さくうなずいた。

「いいわ、全てを話してあげる」

 そう言ってから、しばしの沈黙の後、シェルフィンが口を開いた。


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