ACT16 呪術
暗闇の中で、うごめく影がある。
王都レグノリアの北部、森に囲まれ人々に忘れ去られた昔の墓地だった。百年以上前に、疫病が流行した頃に死人を埋葬した場所で、今では誰も近寄ろうとはしない古い墓地だった。
その周囲には、生臭い腐臭が漂っている。
硫黄、丹砂、……様々な薬品、鉱物がるつぼに入れられ耐えがたい臭気を発している。
星明かりが墓地を照らし出した。
灰色のマントを身にまとった人影がうずくまり、何やら不可思議な作業を続けている。フードから覗く顔は、灰色がかった顔色の悪い老人のものだった。
墓地の一角だけ、広い空間が広がっている。
そこは、墓碑のない石畳の場所だった。
石畳の床に黒い油の線が走り、魔法陣が描き出されていた。
老人の目の前には、人影らしきものが何十体も寝転がっている。仰向けに寝転がっているものもあれば、片膝付いてしゃがんでいる人影も何体もある。
驚愕に見開かれた瞳が虚空をにらみ、両手の指が鉤爪のように虚空を掴んでいる。黒龍小路の老虎を襲撃して失敗した男達の、変わり果てた無残な姿だった。
その一体は、叫ぶように開いた口から欠けた歯が見えている。
その胸が、臍から喉まで縦に切り裂かれ、乾いた血がどす黒く固まっている。傷口はぽっかりと黒々とした空虚な穴を開けている。
老人の手が動く。
様々な材料を練り込んだ粘土のようなもので、赤ん坊ほどの人形をつくる。その口から内部に銀の短剣で大きく穴を穿つ。
老人は傍らの壺の蓋を外し、中に手をそっと入れる。
生臭い匂いが強くなった。
血の臭い。
傍らの壺から取りだしたものは、どす黒い血にまみれた心臓だった。奇妙なことに、まだ微かに鼓動している。
人形にその心臓を埋め込み、丁寧に人形の穴をふさぐ、
人形の手足に、鋼の糸を結びつける。
「お前達も、このままでは死に切れまい」
老人が人形に話しかけた。
「もう一度、機会を与えよう」
人形が微かに震えた。
「そうか、うれしいか……お前達には、鋼の肉体を与えてやろう。
今度こそ、奴らを屠るのだ」
傍らに騎士の甲冑があった。
その甲冑は、片膝を付き座り込んだような姿でうずくまっている。
その胴を開き、人形を収めて再び胴を閉じる。
甲冑に兜を被せる。
片膝を立て、今すぐにでも起ち上がろうかという姿をしている。
老人が、男達からえぐり出した心臓を次々に新しい人形に埋め込み、一つ一つを丁寧に甲冑に収めてゆく。
数刻が過ぎ、全ての準備が終わった。
老人が杖を片手に立ち上がり、用意していたかがり火の台に火をともした。
いくつものかがり火の中、油で描かれた魔法陣の中に、片膝をついた何体もの騎士の甲冑の影が並ぶ。
老人は、その向かいに両膝をついた。
一心に祈っている。
唇から、異国の言葉が流れる。
生暖かい不快な風が渦を巻き、魔法陣の外側に並んだかがり火が一斉に揺れる。
どこからともなく、地響きのような低い振動が聞こえる。
突如、魔法陣に火が移った。
描かれた線に沿って火が走り、老人と騎士の甲冑を囲んだ魔法陣が燃え上がる。
老人の高笑いが流れ、唐突に炎が消えた。
魔法陣の中で、甲冑達が起ち上がっている。
兜の面頬の隙間から炯々とした眼光がのぞく。それは赤黒い炎のような眼光だった。
右手がゆっくりと動き、一斉に大剣を抜く。
いつの間にか、周囲に霧が立ちこめていた。
動き出した甲冑達と老人の高笑いが霧に隠れてゆく。
深い霧の中、騎士の足音だけが微かに聞こえ、やがてその足音さえ霧の奥底に呑まれていった。
◆
(小舟は、どこへ?)
サキは、ドーンの交易船からの積み荷を積んだ小舟の行方を追っていた。
運河の支流を小舟で遡上したのだろうが、目撃者も少なかった。
夜中に小舟で運河を移動することは、事故の危険もあり普通ならあり得ない。
アンガス候の所領にある池へ水を引く支流と運河のあたりで、サキは立ち止まった。支流には水門があり、小舟はここを開かなければ入れない。
(夜中にこっそり……そんな無理なことするかしら?)
建築資材の搬入なら、昼間に堂々と行えば済む。夜中にこっそりと小舟で出入りするのには何か理由がある。
運河沿いの道で、サキは日が落ちるのを待った。
もしも、小舟が通るならこんな刻限だろう。
王都レグノリアのアンガス候の所領の近くは、深い森が茂っている人気の少ない場所だった。
近くには、大昔の墓地跡があるというが、立ち入る人もいない。
オバケが大嫌いなサキには、古い墓地などに近寄ることはもってのほかだった。
いつの間にか、霧が出ている。
木々の間から流れ出た乳白色の霧が周囲を包み、サキの立つ周囲も霧が視界をさえぎりだした。
現実と夢の中の狭間にいるような、不思議な感覚だった。感覚を遮断されたせいか、急にサキの意識が酩酊したようにボンヤリとしてきた。
どこからか、ガチャリ、ガチャリと規則的な音が聞こえるのは幻聴だろうか。水のせせらぎの音の中に、別の音が混じっている気がする。
距離感を失わせる縦も横もわからない深い霧の中にいるせいか、サキの意識が急激に鈍くなっている。
道に立っている感覚はあるのだが、どこか現実の世界にいる感覚が喪失している。
「!」
不意に、霧の奥からぼんやりと人影が浮かび上がった。
気配さえ感じさせないその人影に、サキは魅入られたように動けなかった。
足音が遠くに聞こえるような感覚だった。
微かに霧が動き、視界が戻った。
相手は、黒い甲冑に身を固めた巨人だった。
大剣を抜き放った漆黒の騎士が、ゆっくりと近寄ってくるのをサキはぼんやり見上げていた。
まるで夢の中にいるような、不思議な感覚だった。
両手で掴んだ大剣が、大上段に振りかぶられる。
大剣が、ゆっくりと弧を描く。
大剣の切っ先が、天空を向いた。
(斬られる!)
だが、身体が動かない。
時間が、急に緩慢に感じられる。
頭上から切り下ろされた大剣が、空気を切り裂き迫ってくる。
騎士の面頬の奥で、憎悪に満ちた双眼が光る。
その瞬間、周囲で閃光が走った。
轟音と供に、赤、白、黄色の閃光がいくつも輝き、その衝撃で一瞬騎士の動きが止まった。
『逃げろ!』
誰かの思念が、サキの脳裏に響いた。
その瞬間、呪縛が解けた。
サキの身体が、自由を取り戻した。
落ちてきた大剣の刃を弯刀の刀背で受け流す。大剣の刃が流れる。
(今!)
大剣を持った巨漢を相手にするには、手元に飛び込むしかない。
左手を刀背に添えて、両手で下から弯刀を両手で捧げるように頭上に持ち上げた。
鋼の刃同士が擦れ、火花が散った。
「!」
刃を真っ向から受け止めた衝撃で、ぼんやりしていたサキの意識が唐突に覚醒した。
(何者?)
体勢を立て直し、再び騎士と対峙する。
先ほどまでの夢の中にいるような、酩酊した感覚はどこにもない。冷静さを取り戻せば、サキにも勝機はある。
騎士の斬撃を、後方に飛んでかわす。サキの身の軽さなら、騎士の緩慢な動きをかわすことも可能だった。
騎士が大剣をまっすぐ突き出し、鋭い切っ先がサキの喉元を襲う。
再び、サキが後方に飛ぶ。
サキは、騎士の動きが鈍くなるのを待っていた。
これだけの重さの甲冑を身にまとっていれば、そうそう長時間剣を振り回すことは無理だろう。
事実、騎士の動作は決して素早いものではない。
だが、騎士は疲れを知らないのか、確実に一歩一歩迫ってくる。
サキの額に、汗が浮かんだ。
騎士の攻撃に、疲労の乱れはない。
サキは、少しずつ追い込まれてゆく。
退いた右足の踵が、運河の縁に掛かった。
これ以上の逃げ場はない。
サキが左右に跳んで逃げるのを想定したのか、騎士が大剣を水平に薙いだ。
(今!)
サキは姿勢を低くし、首を狙って横薙ぎに振られた大剣をかわすなり、騎士の足元に飛び込み、下から大刀を跳ね上げる。
鋭い金属音が響き、再び火花が散った。
愛刀の刀柄に埋め込まれた宝玉が、斬撃の火花を受けて真紅の輝きを放った。
刃の食い込む手応えがあった。
切り落とした騎士の左腕が空中を飛び、どこかに落ちる音が響いた。
『運河に逃げろ!』
再び、何者かの思念がサキの脳裏に響く。
サキは、騎士の横薙ぎの一閃をかわし、後方にとんぼを切って運河に飛び込んだ。
騎士の甲冑では水中には追ってこられない。
浅い水深ならともかく、運河では沈んでしまう。
水面に飛び込んだ衝撃と、冷たさにサキは正気に戻った。
(今のは、幻影?)
水中で身体にまとわりつく衣類に閉口しつつ、サキは抜き身の刀を抱えたまま浮かび上がった。
水面から顔を出して振り向いた時、周囲は深い霧に包まれ甲冑の姿も消えていくところだった。
サキは、小さい頃から野山を駆けまわっていたため、もとより泳ぎは得意だった。弯刀の重さで沈まないように手足を力強く動かし、反対岸に向けて静かに泳ぎ始めた。
途中で振り向くと、深い霧が岸辺までを覆い隠してしまっていた。
騎士の姿は、どこにもない。
◆
深い霧の墓場に、二つの人影があった。
「ふがいない」
老人が、不愉快そうなうなり声を上げた。
目の前に立つ騎士を見上げる。
騎士は、左腕を切り落とされている。
怒りにまかせて騎士を打ち据えようとしかけ、かろうじて思いとどまったのか振り上げた杖を静かに降ろす。
敵を取り逃がしたが、まだ術を破られたわけではない。
自分の術が、及ばなかったとは思えない。
「生身の人間に、後れを取るとは思わなんだ。
一体では足りんか……よかろう、次はしくじるでないぞ」
老人の眼光が、怒りと憎悪で輝いた。
それに反応したのか、兜の面頬の奥で騎士の両眼が赤黒い憎悪の炎で輝いた。
「存在を知られた以上、次は大挙して押し掛けてくるか……いや、いっそのこと、まとめて始末した方が手間は省けるか」
霧が深くなり、暗闇の中に人影が溶け込んで消えてゆく。




