ACT13 描かれた魔法陣
『多少のことには目をつぶっておくれ』というシェルフィンの言葉が意味することは、サキの認識を超えていた。
その晩、神殿の大広場に巨大な魔法陣が突然出現した。
かつて、レオナ姫が強大な霊力と魔法陣を使って国難を救ったにも関わらず、魔法陣となるとヴァンダール王家は弱いところがある。
そういった古の技術を持った魔道士が、ほとんどいない。神官の中で細々と異能の技術の保存継承が行われているが、その活用となると外部からの魔道士からの攻撃に対する防御程度にとどまっている。
レオナ姫が、結界岩を叩き割り呪いを掛けて王国を立ち去ったのも、王家の魔道嫌いに拍車を掛けた。
市井には民間の魔道士も居るが、王家が正式に任命した魔道官は居ない。このため、こういう騒ぎになると右往左往しているだけで滑稽なほど使い物にならない。
「レオナ姫の魔法陣が、国を救ったって言うのにね」
サキは、閉鎖された神殿広場の入り口に立った。警護官仲間に合図して扉を開けて中に入れてもらう。今日は参拝客も巡礼者も立ち入り禁止になっている。
白亜の石畳が敷き詰められた広場に足を踏み入れると、神官が何人か集まり床に描かれた線を見ながら不安げに話し込んでいるのが見えた。
大きすぎて全体像が判然としないが、足元の記号は確かに魔法陣の一部分らしい。
神官の輪の中に、姉のセアラがいた。
「セアラ姉さん、これはいったい何の騒ぎ?」
姉のセアラの姿を見つけ、サキが駆け寄った。
セアラの白い長衣の腰を縛ったサッシュの色はサキと違い、美しい水色だった。
神官の中でも、神託を司る職位の色だった。
セアラはシェフィールド三姉妹の長女にして、もっとも優れた才女として知られる。才色兼備のセアラはシェフィールド家の一番の人柄・才能の持ち主だった。
末妹のスーは、見習い神官として天真爛漫で好きなことをやっているが、セアラは神官の仕事から家事の采配までを一手にこなしている。
一方のサキは、この三姉妹の中では札付きの異端児だった。
セアラには迷惑を掛けっぱなしで、さすがのサキも頭が上がらない。
サキを見て、セアラが足元の石畳の上に描かれた線を示した。
「見ての通りよ。朝になったら広場一杯に魔法陣が描かれていたの。
警備の隙を衝いて侵入して、暗闇の中で誰にも気付かれず一晩で描けるものかしら?」
「あれ? スーちゃんは?」
いつも姉にぴったりと張り付いているはずの、甘えん坊の姿がない。
「上から見るって」
背後の尖塔を見上げたセアラの視線を追うように、サキは一番近い尖塔を見上げた。
本殿を取り囲むかのようにそびえ立つ尖塔の一つからなら、確かに本殿前の広場の全景がよく見える。
神殿の尖塔は五本ある。
神殿の背後に立つひときわ高い尖塔と、それを中心に方形に取り囲む少し低い四本の尖塔。
その一つの尖塔に人影があった。
スーが、尖塔のてっぺん近くの物見の窓から顔を出していた。
サキとセアラの方を見て、大きな身振りで手招きしている。
「セアラ姉さん、行ってみよう!」
尖塔の開け放たれた扉を抜け、尖塔の螺旋階段を登ってゆく。
石組みの外壁と巨木の骨組みの尖塔には、あちこちに明かり取りの窓が開口しているため、階段はほんのりとした明るさで階段を踏み外すようなことはない。
サキの足取りは軽い。
ともすれば、姉のセアラが遅れがちになる。
サキはセアラを螺旋階段の途中で待ちながら、明かり取りの窓から見えるレグノリアの街並みを眺める。
窓から覗く光景は、木々と運河の中に石やレンガの建物が建ち並び、いつもと変わらぬ平和そのものの朝だった。
「セアラ姉さん、遅いよ」
「ちょっとお待ちなさい。私はサキみたいに鍛えてないのよ」
セアラが息を切らしながら、サキを見上げた。
「しょうがないなぁ、もう」
サキは、セアラの手を取った。セアラを引っ張るようにして階段を上る。
「時々ね、あなたがうらやましくなるわ」
サキに引きずられるように階段を上るセアラの言葉に、サキが振り向いた。
「あたしが? あたしは一族の落ちこぼれだよ」
「でも元気一杯で、このくらいじゃ息一つ乱れないんだもの」
「そりゃ、街の中を毎日駆けずり回ってるからね」
「ここ最近のサキは、すごく晴れ晴れして幸せそうよ」
「うん、神殿警護の仕事が性に合ってるみたい。神殿に参拝する街の人達の笑顔が見れるから。
あたしは、そんな人達を守ってあげたいって」
◆
尖塔の頂上付近に、物見台が張り出している。
もしも、不幸なことに戦乱になった場合、神殿も砦として機能する。
神殿の四方を囲む四基の尖塔も、ここから大きな弩弓で眼下の敵を撃つための無粋な施設だった。
そこに妹のスーが居た。
緊急時に弩弓を設置するための台の上に羊皮紙を拡げ、眼下に広がる魔法陣を描き写していた。
スーには、セアラとサキの二人の姉にはない特技があった。見たものをそのまま記憶に焼き付け、そのままに描くという特殊な能力だった。
「スーちゃん、この魔法陣は何かわかる?」
「見たことがあるような、ないような……でも、あたしの記憶にあるのと少し違うの」
スーがペンを置いて、セアラを振り返った。
セアラより七つも年下のスーは、背の高いセアラをどうしても見上げる形になる。
「私より、セアラ姉様の方が詳しいんじゃない?」
魔法陣が意味するものが何物なのか見当も付かないサキには、セアラとスーの会話の内容についてゆけない。
サキの思考では、『何者が魔法陣を描いたか』であって、『魔法陣の内容』には届かない。
「誰かのいたずらじゃないの?」
「いたずらにしては大きすぎるし、本格的すぎるわ」
サキの疑問を、セアラがあっさりと否定した。
本物だとしたら、そんなものを書き写して大丈夫なのかが、むしろサキには気になる。
「ねぇ、スーちゃん、これって描き写しても大丈夫なの?」
「うん、この羊皮紙は祈祷済みなの。魔力を封じるから模写しても反応しないの」
「ふーん」
サキには、さっぱりわからない話だった。
家庭教師による魔道の講義の間も、あまりの退屈さに半分眠っていた記憶しかない。
「そういえば、ずーっと前にサキが魔道書に落書きして、めっちゃ怒られたことがあったわね」
セアラが、くすりと笑った。
「親父に、しこたまお説教もらったわ」
いやな記憶を蒸し返され、サキが頬を膨らませた。
神官の家柄のせいか、神官としての知識は最低限叩き込まれたが、サキにとってはその講義は拷問に等しい退屈なものだった。
愛刀を抱えて渋々聞いていたが、そのうち睡魔が襲ってきて眠ってしまう。居眠りがばれると叱られる。叱られるのがいやなので眠気覚ましに魔道書の余白に落書きして、さらに怒られた。
その魔道書は、手書きの古い写本だった。
貴重な魔法陣の解説書でも、サキにとってはただの珍しい模様に過ぎなかった。円や四角の中に五芒星や六芒星が描かれて、いろいろな記号で装飾している。でも、こういう文様の方がしっくりくるよね、と余白に魔法陣を模した絵を描いたのがバレた。
おかげで、サキの霊力が皆無、神官の適正は不適という判定が下された。
「あっ、その本だ!」
スーが叫んだ。
「確か、あの本に似たような魔法陣があったはず」
「父様の書斎にあるはずだけど」
「セアラ姉様、確かめてみよう!」
「そうね、サキはどうするの?」
サキは、肩をすくめて独り階段に足を向けた。
「魔法陣なんて、さっぱりわかんないから、あたしは誰かのいたずらの線を追うわ。神殿の石畳に落書きを描いた不埒ものを探し出して、吊し上げにしてやるわ!」
サキには、この騒ぎがなんとなく天狼の仕業じゃないかという気がしていた。リュードなら、この程度のいたずらは喜んでやりかねない。
だとすれば、サキは見て見ぬ振りをせざるを得ない。
◆
「あったわ。この本よ」
書棚の隅の方から、薄厚の本をセアラが引っ張り出した。重厚な革表紙の付いた古ぼけた本だった。
「ほーら、サキが落書きした書き込みが残ってるわ」
書斎の大きな机の上に魔道書を乗せて、セアラが本のページをめくりながら微笑んだ。
羊皮紙のページに手書きされた魔法陣と、古文で解説文が記載されている書物だった。ずっと昔に、原本から書き写して作られた手書きの貴重な魔道書に落書きしたのだから、サキが怒られたのは当然だった。
ページをめくるセアラの手が止まった。
「スーちゃん? さっきの魔法陣の写し、見せてちょうだい」
魔道書と、スーが羊皮紙に描き写した魔法陣を見比べる。
セアラの表情が曇った。
「似てるけど、ちょっと詳細が違うわね」
セアラが開いたページに描かれた魔法陣が、神殿の広場に描かれた魔法陣に一番似ている。
魔法陣にも効果や目的に応じて、様々な種類がある。
神官でも、古い魔法陣や魔道書の判読が出来るのは、神官長の祖父とセアラくらいだろう。セアラは神官の仕事と家事の合間をぬって、細々と魔道書の勉強を続けている。
「セアラ姉様!」
セアラの脇から机上に頭を出したスーが、セアラの袖を引いて注意を促した。
「サキ姉ちゃんの落書き見て!」
傍らのサキの落書きの方が、スーの描き写した魔法陣に似ている。
「これって、まさかサキ姉ちゃんが魔道書の間違いを訂正したってことじゃない?」
「まさか、あの子は魔道なんてかけらも興味持ってないわよ。
それどころか、講義の最中に居眠りするくらいだもの」
「寝ぼけてて、無意識で書いたのかしら?」
「まさか……でも、講義の時にあの子は半分眠ってたわね」
セアラは、他のページを繰ってみた。
あちこちのページの余白に残されたサキの落書きに、一定の共通点があった。
魔法陣の一部を描いた落書きだが、魔道書の魔法陣よりも描かれる記号が少ない。
「まさか、ね」
とんでもない仮説が脳裏をよぎり、セアラが激しく頭を振った。
「あの子、まさか……止め符を外した?」
「止め符って?」
スーが、セアラを見上げた。
セアラは微笑んで、噛んで含めるようにスーに説明した。
「昔は、魔力を封じる祈祷済みの羊皮紙なんてなかったから、うっかり魔法陣が発動しないように、わざと止め符って記号を魔道書や写本に入れてたの。もしも、誰か知らない人に盗み見されて真似されても、悪用できないようにする意味もあったしね」
「どうして、わざわざ?」
「夜中に、魔道書が勝手に悪さしたらイヤでしょ?」
「うん、それは怖いわぁ」
セアラが、何かに気付いたような表情を浮かべた。
「そうか……魔道書を何世代にも渡って……写本の写本を書き写しているうちに、止め符を知らない人が魔法陣の一部だと思って書き間違えちゃったのよ、これ」
セアラが、書斎の机にあった傍らの紙にペンを走らせた。
魔法陣の一部と、いくつかの記号を描いてスーに示す。
「今の止め符ってこう書くんだけど、昔はこう書いてたみたいなの。
それが魔法陣の正式な一部と勘違いした人が、こういう風に書いたわけ……だから、この魔道書の魔法陣を使っても、霊力の循環が途中で止まるので効果が出ないわ。あの子は、落書きでそれを訂正して見せたって訳。
でも、あの子はその知識をどこで得たのかしら。本人も全く覚えてないのに、何故無意識で書けたのかしらね」
「じゃあ……それってサキ姉ちゃんが魔力を持ってるってこと?」
スーの問いに、セアラが大きなため息をついた。
背筋が寒くなってきた。
「霊力と魔力って言葉は違うけど、実態は同じものなのよ。
神殿で使えば霊力って言うし、どっかの墓場とかで悪い人が使えば魔力って呼ばれるの。
力には善悪なんてない……使う人の心次第で、善にも悪にも変わるのよ。
ううん、善悪さえ人の立場で変わるものだから」
途方もない推測に思い至り、眩暈に襲われたセアラが慌てて机に手を付いた。
「あの子は、周りに言われているような……霊力が皆無の落ちこぼれなんかじゃないわ。
ううん、逆に計り知れない霊力の持ち主かも知れない。
とてつもない霊力を秘めてるけど、本人に自覚がないだけよ。周りにいる私達でも、あの子の霊力が大きすぎて測れないだけよ。
私達は精霊が見えるけど、あの子には見えないっていうでしょ。
夜中に蛍の光が見えても、昼間の陽光の中では蛍の光は見えないのと同じだわ。あの子は自分が太陽みたいな輝きを持ってるから、精霊の姿がかき消されて見えないだけなのよ。
もしも、あの子がその力を制御できずに暴走しちゃったり、何かの弾みで悪の道に落ちて悪用したら……この国が崩壊するわ」
セアラは、スーが書き写した魔法陣と魔道書の魔法陣を見比べた。
「もし、サキ姉ちゃんの落書きの方が正しいとすると……広場に描かれた魔法陣って……」
現実に引き戻されたセアラが、目下の問題に思考を切り替えた。
「試したことがないから、はっきり言えないけど……おそらく、これって、本物の『復活』の魔法陣よ。
それも術者の霊力が、この魔法陣の中で循環加速して無駄なく発動するわ。
何が復活するのかは……」
セアラが激しく首を振った。想像するだけでも恐ろしい。
「わたしにもわからないわ。この魔法陣を描いた術者の心が善なのか悪なのか次第で、復活するものが変わるもの」




