FILE01:ボーイ・ミーツ・ガール2
これで第一話完結です。
ここはどこだ……?
すでに視界を覆っていた霧は晴れ、月を覆っていた分厚い雲も消えていた。
正司は霧の中をどう歩いてきたのか分からなかったが、霧が消えた時にはこの広場にいた。広さは学校の校庭ほどで、地面には紐が張り巡らされている。
真姫のことも気がかりではあったが、今の正司には自分のことで手一杯だった。自分がどこにいて、どの方向に向かえばいいのかまったく見当がついていないのだから。まずはちゃんとした道を見つける必要があった。
「龍宮正司ですね?」
不意に名前を呼ばれ彼は硬直した。女の声だ。すぐさま注意深く周囲を見渡すが、辺りに人影はない。
「ククッ……私はこちらですよ」
幻聴ではないと言わんばかりに再び女の声が響いた。後方斜め上からだ。
「なっ――」
頭上を見上げた正司は絶句した。ほぼ真上に黒衣を身に纏った少女が空高く浮遊していたのだ。
無意識に向けた懐中電灯に少女のマントが怪しく煌いた。蒼白い髪の毛。そしてお世辞にも血色が良いとは言えない白い顔。スカートが微風になびいている。
幼さを残した少女は背丈や顔立ちからしてまだ一〇代前半に見えた。
「えっと、いちごパンツ……?」
風になびくスカートからいちごパンツが見え隠れしていたのだ。慌てて少女はスカートの裾を押さえる。だが、もう手遅れだった。すでに正司の脳内には彼女のいちごパンツが記憶されてしまった。
恥ずかしそうに咳払いをして、彼女は再び口を開いた。
「もう一度訊くわ。あなたが龍宮正司ね?」
「そうだけど……」
少女の顔が微かに歪んだ。
「さすがマスター。作戦通りね。パンツのことは、冥土の土産ということで許してあげるわ」
「冥土の土産……? なんのことだ?」
「じきに分かるわ。そうそう、自己紹介が遅れたわね。初めまして。わたしの名前は、ミリヤ。あなたの中にある賢者の欠片をもらいにきたの」
「……賢者の欠片? なんだそりゃ」
「あなたは知らなくてもいいことよ。知ったってどうすることも出来ないもの」
そう言って彼女は、楽しげに宙でくるっと一回転してみせた。遠心力でスカートが広がる。再びいちごパンツが見え隠れした。
「だから、もう話すことはないの。それじゃ、さようなら」
さようなら。帰路で友人と別れるときのような、そんな口ぶりだ。
ミリヤは目を閉じ、なにやらぶつぶつと独り言を呟き始めた。何と言っているのか正司には聞き取ることは出来なかったが、彼女が呟き終える頃には掌にソフトボール大の紫色をした球体が置かれていた。正確に言えば少し浮かんでいる。その球全体を覆うようにして、明るい紫の気体が纏わりついていた。その気体は月明かりを透過して美しく煌いていた。
彼女は球体の置かれた右手の掌を正司にゆっくりと向ける。
「迷わず死んでね」
無邪気な笑顔での殺害予告だった。その言葉が引き金になったのか正司には分からなかったが、紫色の球体が彼に向けて発射された。
その球体は減速することなく、一直線に正司をめがけて飛んでいく。球体に纏わりつく明るい紫の気体は空気抵抗によって、まるで髪の毛のように球体のうしろでなびく。
正司と球体の距離が詰まる。彼の足は無意識のうちに動いていた。右に一歩二歩。彼の脳は急げと命令するが足はそれに追いつかない。
まるで他人の体みたいだ。
正司はそう思った。空回りもいいところで、彼の体が前のめりになる。地面が近づき、どうにか手をつこうと腕を伸ばした。その時だった。
ドンッ――――
正司が先ほどまでいた場所を紫の球体が直撃し、そして大きな爆発を引き起こした。それに伴う衝撃波が彼を襲う。前のめりになっていた彼の体は一回点して地面に叩きつけられ、三メートルほどヘッドスライディングする羽目になった。
「うっ……」
もうもうと砂塵が立ち込める中、正司はゆっくりと体を起こした。ジーパンであったがために足に傷はなかったが、両腕と左頬にヘッドスライディングによる擦り傷が出来ていた。
振り返って自分がいた場所――着弾点を見た正司は絶句した。金魚のように口をぱくぱくさせ、言葉にならない空気の塊が吐き出される。
着弾点から煙とも土埃とも分からないものが月明かりに照らされて巻き起こり、さらに深さ四〇センチから五〇センチくらいで、直径二メートルはあろうかというクレーターが出来ていた。月のクレーターと比べれば小さなものだが、正司をすくみあがらせるには十分だった。
そのクレーターを見ていると足がガクガクと震えだした。強度不足で今にも地面に崩れ落ちてしまいそうだ。
「よく避けたわね。じゃあ、これならどう?」
ミリヤはまたしても目を閉じ、そしてぶつぶつと何か呟き始めた。そして、再び右腕を正司へと向ける。
逃げ出そうにも、すでに彼女は呟き終えていた。静かに目を開ける。
「今度こそ、迷わず死んでね」
その言葉と共に紫色の球体が現れ、そして勢いよく発射された。しかしさっきとは違い、一定の間隔で紫の球体が彼女の掌に生成され、そして正司に向けて放たれる。次も、その次も、どんどん生成されては紫色の球体が放たれる。最初の一撃が正司までの距離を詰めていた頃には、すでに一〇発近くの球体が空にあった。それも放たれた紫色の球体は全てが同じ軌道ではなく、一つずつバラけるようになっていて、一発目を避けたとしても、二発目以降の玉に当たってしまう。これだけの量をよけるのは不可能に近かった。
今の正司に出来ることはただ立ち尽くし、夜空を仰ぎながら最期の一瞬を待つことだけだった。今の正司の心の中を埋めているものは恐怖の二文字だけ。見上げる先には幾ばくかの星と、少女の放った無数の紫色をした球体。
彼女はそれだけでは飽き足らないのか、まだ掌から球体を作り出していた。
生きたいと思うことによって生じていた恐怖も、最期が近づくにつれて生に対して諦観の域に達したのか、次第に恐怖という気持ちが薄れていった。恐怖がなくなって正司の中には『もうすぐ死ぬんだな』という、あっさりとした気持ちしか残っていなかった。
意外とあれだな。辞世の句なんて出てこないものだな。
そんなことを考えているうちに、いよいよ球体が目の前に迫った。
「諦めるにはまだ早いわよ!」
凛と響く女性の声。正司と球体の間に人影が立ちはだかった。
「えっ?」
急に現れた人影。すらっとした体つきと声、そして長い髪の毛から女であるということは明らかだった。背丈は真姫と変わらないくらいだが、銀砂の髪の毛が彼女ではないことを物語っている。透き通るような白い肌が印象的だった。
彼女は右手を高々と掲げる。
そして正司が口を挟む間もなく、インパクト。
蒼白い強烈な閃光が見えた刹那、少しのタイムラグがあっていくつもの激しい爆音が巻き起こった。でも、それだけだった。正司は爆発による熱や衝撃波はおろか、爆風すら感じることはなかった。爆発があったのか彼は疑ってしまったが、あの爆音と轟々と立ちこめる砂塵が、爆発があったことを告げている。
巻き起こった砂埃は風に乗って、正司たちを避けるように不自然な軌道で流れていく。そう、まるで見えない壁に隔てられているかのように。
「……どうなってるんだ?」
正司の前に立ちはだかる彼女を中心として、半径二メートルほどの地面は何ともなかったが、その周囲にはいくつものクレーターが出来ていた。正司のいる場所が爆撃の中心であったにもかかわらず、そこには一つも落ちていないのだ。
「間に合ってよかったわ」
正司の前に立ち、浮遊する少女の方を向いたまま彼女は言った。正司と同様に体に外傷はない。銀砂の髪が揺れているだけだ。
「あんた一体――」
正司の頭に真っ先に浮かんだ疑問だった。
「話は後回しよ! ……くるわ!」
そう少女が言い終えた次の瞬間には、正司は意図せず宙を舞っていた。華奢な体つきの少女がすばやく正司を抱え、後方に大きく跳躍したのだ。そのまま一〇メートルほど後退する。
ああ、こいつら普通の人間じゃないんだな。
正司は少女の腕の中でそんな悠長なことを考えていた。だが、すぐ目の前で球体が爆発し、そんな思考能力はあっさりと奪い取られてしまった。
凄まじい爆風が正司と少女の髪をなぶる。
着地して正司を降ろした少女は、再び手を高々と少女に向けて掲げた。その所作に追随するかのように、息苦しさを感じさせるほどの威圧感が彼女の小さな背中から発せられる。正司はその威圧感の前にして、瞬き一つすることさえ躊躇われた。まるで蛇に見込まれた蛙のように。
研ぎ澄まされ、ピンと張り詰めていく空気。
突然、ピリッと彼の体内を電流のようなものが駆け抜けた。痛みがあるわけではないものの、心地良い感じではない。
静電気……?
「あなたこそ――」
高々と掲げた少女の手が蒼白く輝き始める。その蒼白い輝きは徐々に形を球体に成していく。そしてゴルフボールくらいの小さな球体が彼女の掌で生を受けた。綺麗な円形の中心は白く輝き、そのまわりを薄っすらと蒼い光が装飾している。
少女の周囲からは、そのゴルフボールほどの球体に向かった蒼白い光が集まり、大きさはゴルフボールからテニスボールへ。さらに膨れ上がっていく。
「死になさい!」
バスケットボールほどの大きさになった球体は、バチチっという音を残し、一筋の光となって目にも止まらぬ速さで飛び出していった。それはまるでビームのように彼女の掌から放出され続け、ミリヤめがけてまっしぐらに空を駆け上がる。
少女の掌から繰り出されたビームは球体の時と同様に蒼白い光を放ち、多少ジグザグに屈折しながらも、最終目標であるミリヤに向かって突き進んでいく。それはまるで、落雷を巻き戻し再生しているかのような光景だった。
ミリヤまであと少しと迫り、このまま直撃するものと思われたが、彼女は寸前のところでそれを避けた。ビームは少女の後方へと逸れていく。
「攻撃が甘いわよ?」
ミリヤのその言葉を目の前の少女は鼻で笑う。
「甘いのはあなたの方よ」
その悠然とした口調からは、攻撃を避けられたことに対する動揺や焦りは見られない。避けられるのは予想の範囲内だった、とでも言いたげだ。
「これで終わりよ!」
彼女の力強い言葉と同時に、後方に逸れていったビームが反転。再度、ミリヤに向かって宙を駆ける。しかし、彼女はそのことに気付いていない。ようやく気が付き、振り返った瞬間にはもう目の前に迫っていた。彼女の全身は蒼白い光に包まれ、頭を下にして落下する。
「飛行タイプには雷が有効。これって常套でしょ?」
「終わった……のか?」
「さあね」
そう言って彼女は肩をすくめてみせる。
「とんだ邪魔が入ったわね。まさか護衛がいるなんて予想外よ。世界魔法機構も手回しが早いこと。今日は一旦撤退するわ」
どこからともなく響くミリヤの声。だが姿は周囲にはない。
「逃げる気?」
「決着はいずれどこかで……」
それきりミリヤの声は消えてしまった。
「終わったのか?」
正司は再び少女に尋ねた。
「とりあえずはね」
その言葉に正司はぺたりと地面に腰を下ろす。
「大丈夫?」
慌てて少女が正司に手を差し出した。
「まあ、なんとか生きてはいるな。……ところで、あんたは一体、何者だ?」
「何者って言われても、簡単には説明できないわね。でも、ただの通りすがりの人ってわけでもないわ。とにかくここは一旦、場所を変えましょうか。まだ近くに敵が居るかもしれないしね。それからでも話は出来るわ」
差し出された彼女の手を借りるにも癪なので、正司は自力で立ち上がる。
「それじゃ、行きましょう」
「どこに?」
「あなたの家よ」